もう帰ってこない、子供の頃の夏休みをよく思い出す話
梅雨が明けて、いよいよ本格的な夏が始まった。学生達も終業式を迎え、夏休みに突入したそうだ。
私は既に社会人になっているので、「夏休み」の概念が消え失せている。だけど子供の頃の夏休みを、今になってよく思い出すようになった。
――天井に付いている扇風機が回る教室。私が学生だった当時は、クーラーなんてものは教室に無かった。終業式が近くなると、夏休みの宿題の一覧や注意事項などのプリントが配られる。プリントをもらった時、「夏休みが来る!!」とワクワクしたものだ。
海の日の前後で夏休みが始まる。およそ40日間。当時は当たり前のように夏休みを享受していた。だけど働くようになった今、当たり前のように40日間の夏休みを得ることは難しい。
朝起きて、近所の公園にラジオ体操に行ってスタンプを貰う。涼しい午前中に宿題を済ませる。また、学校のプールに行って泳ぐこともあった。
お昼は家でそうめんを食べながら、普段は学校に行っていて観られない昼ドラを観る。
夕方からは家族団欒の時間だった。TVを観たり、皆でゲームをしたり、地元の祭りに行ったり……。
親の仕事が休みの日には、家族で遠出もした。遠出した時のことを、宿題の一つである日記によく書いていた。日記の内容は、非日常なものでないといけないと思っていたからだ。今となっては、普通の夏休みでさえ非日常なのだが。
日記の他にも夏休みの宿題はたくさんあった。夏休みのドリル、天気の記録、朝顔の観察、工作、絵、読書感想文、自由研究など……。「多い!!」と毎年のように思っていた。
いつか夏休みシーズンに、夏休みみたいな生活を送るのが私の夢だ。
子供に戻って夏休みを過ごしたいかといえば、違う。今現在大人の私が、40日間の休暇をどうにかして取って、再びあの頃の夏休みを過ごしてみたい。
夏休み前に配られるプリントを真似て、理想の夏休み計画をそこに記したい。毎朝TVで放送しているラジオ体操もしたい。宿題ではないが、いわゆる「夏の100冊」のうちの数冊を読んで、感想をnoteに投稿したい。日記も書きたい。夏祭りにも行きたい。
長いようで短い40日間、ゆったりと流れる時間を再び味わいたい。
また、私は夏そのものが好きだ。ムシムシとした空気、セミの鳴き声、入道雲のある空など、夏らしさを発見すると、「夏が来た!!」とワクワクする。
そして夏空を見ると、子供の頃の夏休みの記憶を呼び起こされるようになった。以前にも書いたのだが、私の夏休みへの憧憬が強いのは、私自身の夏休みの思い出の他にも原因がある。
私は今まで生きている中で、「日本の夏」というプラスのイメージが刷り込まれていたのだ。私が過ごしてきた子供の頃の夏休みには、友達とのドキドキワクワク大冒険も、恋人との夏祭りでの甘酸っぱい思い出も、山深い田舎の実家に帰省した日も存在しない。
子供の頃から私は密かに「日本の夏」に憧れていた。憧れているだけで、私から特にアクションを起こすということをしてなかった。自分が動かない限り「日本の夏」が手に入らないことに気付いたのは、時すでに遅し、私が社会人になってからだった……。
夏休みのようなゆったりと流れる時間を過ごしたい気持ちと、私の中に存在しない「日本の夏」への憧憬が混じり合って、今の私の「子供の頃の夏休みをよく思い出す」という現象が起こっているのだ。
何とも複雑な話である。きっと40日間の休暇を取って理想の夏休みを過ごしても、私の心は満足しないだろう。
とはいえ、何もアクションを起こさないわけではない。やっぱり私は、憧憬に取り憑かれながらも理想の夏休みを追い求めて生きていきたい。私が動けば、見えなくても変化が起こり、次第に見えるくらいの大きな変化も起こるだろう。社会人になり、様々な経験を積んで変わってきた私は、もう知っている。
Mrs.GREEN APPLEの「青と夏」。
noteを書いていて、この曲を思い出した。
私のように、存在しない「日本の夏」に取り憑かれている人におすすめ。映画じゃない、僕らの夏だ。
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