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「自分を知っている」という感覚について思うこと

「自分のことをよく知っていますか?」と言う問いに、どのくらいの人が自信をもってうなずくんだろう?

わたしはここ数年、「自分を掘り下げる」という作業を具体的に、日常的に行なっている。(と思う。)

本格的に始めたのは、フリーランス10年目を迎えた2019年頃。
個人事業主としてデザインの仕事を請け負って気がつけば10年経っていた。
様々な業種の広告宣伝ツールを制作する慌ただしい日々の中、
"自分"を置き去りにしてているのではないか?というモヤモヤとした感覚がまとわりついた。
「このままではいけない」という思いが日に日に増して、ある時、ノートをつけることにした。
そこがはじまり。

10年という月日は長いようであっという間だった。
デザインや制作と向き合っていると、毎日は淡々と過ぎてゆく。
締切も厳しい仕事。
案件が大きく、複数のエンジニアが絡む規模で進行するものになれば、
納期前の数日は徹夜になることもある。
30代はそれでも身体が何とかもった。
締切を乗り切って、数日休むと復活できたから。

でも40代を迎えた頃、この先はそうもいかないだろうと身体でわかっていた。
力任せの制作が通用しないことも経験から理解できた。
フリーランスは自分で自分を保たないとならない。
会社に行っていれば毎月決まった日に給料が振り込まれる生き方とは違う道を歩んでいるのだという、地味にのしかかる責任と自覚。
誇りを持って楽しくやっていた反面、プレッシャーも静かに感じていた。
自分で選んだ道とはいえ、厳しく難しい場面も経験し、心が折れることもたくさんあった。

そしてその日々の中で、自分が整っているということがどれほど大事かを身をもって経験していた。
会社に属した働き方ではない以上、常に自分を整えていること、ワークライフバランスなども含め、仕事においてベストパフォーマンスを出せる環境づくりは必須だった。
「わたしは何者か?」
そんな哲学的問いも大袈裟ではなく日常的に感じた。

わたしは何者か?というコトバがあまりにもカタイようなら、「わたしは結局どうしたいのか?」という言葉に置き換えることができる。
昔、20代や30代のころ、制作でお客さまのコンテンツに寄り添うとき、自分を一度脇に置く感覚があった。
40代に入るまで、そんな風に自分以外の外側に意識を向ける感覚で日常を生きていることが多かったように思う。
その後、また自分に戻ってくれば良いだけなんだけど、実は現代はそこが難しいという落とし穴があるように感じる。
なぜなら、日々たくさんの情報が目に入ってくるから。

SNS始め、インターネットや様々なデバイスで運び込まれる情報。
これらが全て必要ないということではなくて、"多すぎる"ということ。
日々目にする情報、その中にある"本当に大事なものや人"、そして一番大切な自分の意識が、多すぎる情報の中に埋もれてしまっていると感じる。
そして、それを受け取る側の"自分自身"という器(うつわ)。
自分にとって大事なものとそうでないものを受け取るセンサーがきちんと働いているかは、とても重要だと思う。
そうでなければ、いろんなものに飲み込まれて、結局、大事な判断や見極めができなくなる。
そして結果的に"世の中"という漠然とした他人軸で生きることになってしまうんじゃないかと思う。

これは地味なようで、個人にとっては本当につらいことだと思う。
世の中の価値基準になんとなく"無自覚"に合わせて、知らず知らず自分を消耗していくことになるから。
もちろん、社会的活動の中ではそれが必要な場面も多くある。
ここで言いたいのは、一般的な社会的営みを行いながら、他者と同調し譲り合い、思いやった上でのその先の話。
わたしが感じた違和感は、無自覚に自分を消耗し続けてしまうこと。

そこで改めて「自分のことをよく知っていますか?」ということなのだけど。

話は最初に戻って、フリー10年目の節目に、そのことをとても考えた時期があった。
毎日考えた。
ここから先、10年。
自分はどうしたいのか?
どこに向かうのか…?
お陰様で創業から途切れることなくお仕事をいただき、一度関わってくださったお客さまはずっと制作を依頼してくれる。
私も自分がクライアントだったら私のようなデザイナーに依頼したい、と思うような仕事を心がけてきた。
フリーランスながらに企業理念を掲げるとしたら、それになる。
派手なことはしていないけど、お客さまにとって一番良い形を提供してきた自負はあるし、それが自信となってこれまでやってこれたと思う。

でもこの10年で時代は大きく変わった。
SNSでのマーケティング、働き方の変化、制作スタイルや市場も変わった。
これからも自分が一番納得のいく良い形でサービスを提供し続けるために大事なのは、「自分を知って、自分の本質と繋がっていること」だと強く感じた。
そこに行き着いたとき、やるべきことが見えた気がした。
10年目の節目の年。

***
わたしはそんなわけで2019年頃にノートワークをはじめた。
毎日ノートに自分の内側にあるものをただ書き出していくということ。
最初はなかなか書けない。
朝起きて、ノートを開いても何も書けないこともある。
1行どころか、"ひとこと"すら出てこない。
心の中を見るセンサーが鈍っていると、自分が今どういう状態で何に困っていて何が喜びで、ということが全然わからないのだ。
でも、日々今日食べたもの、やったこと、仕事で感じたことを少しづつ書き出していくと、内側のその先がだんだんぼんやりと見えるようになってくる。
●なぜそれを食べたのか→本当は何が食べたかったのか?
●仕事で困ったことが起きた→なぜそれが起きたのか→そもそもなんで困ったのか?→対処法としてあげられること
●体調面の記録→体重、日々の調子、コンディション。
●気持ちの変化→生理周期の微妙な心の動き
などなど…。

これの地味な繰り返しでだんだんと自分のことが見えてきた。
気がつくとノートに書くことが多くなってきた。
朝起きてノートを開いても「今日は何も書けない…」ということが続いても、書けることを書いていく。
大事なのは毎日書くと言うこと、そして毎日自分と向き合うということ。
ほんの数十分でいいと思った。
ちゃんとやろう、完璧にやろうと思うと続かない。

そうしているうちに、無自覚になんとなく見て、無意識に振り回されていた外部の情報にも意識的になり、自分軸で意図的に取捨選択できるようになってきた。
「これは必要」「これは必要ない」
無駄なネットやテレビなどの時間も、意識的に減らした。
スマホの電源は夜には切るようにし、仕事の連絡は朝に集中させた。
大事な仕事先や友人、仕事仲間、関わっているコミュニティを優先し、
SNSだけのつながりや、攻撃的な投稿やゴシップに無自覚に流されるのをやめた。

そして同時に断捨離も進めた。
部屋を片付けて持ち物を整理し、できるだけミニマムに暮らそうと決めた。
生きているとモノはどんどん増えていく。
年に数回、定期的な断捨離も行うようになった。

自分の日常を整えて、ファスティングも経験してみた。
日常の不足に対し、あらゆるものを足す発想ではなく、無駄なものやいらないものを見極めて、常に減らすことや引き算の発想を心がけた。

シンプルになると自分が見えてくる。
自分が見えてくると、周りの人を大切にできるようになってくる。

わたしにとって大事なことはシンプルでいることだと気がついた。
それに気がついた時、やらなくていいことが見えてきた。

今は自分のことが以前よりよくわかるようになってきた。
昨年からセラピストの勉強をはじめ、さらに自分と他者(世界)を深掘りしている最中で、ますますクリアにしていきたい。

そして、先10年、さらに良いコンテンツを提供できるデザイナーでありたいと思っている。

仕事も、人間関係も、家庭も、今より良くしていきたいと思ったら、
「自分をよく知ること」が、まずは全てのスタートになる。

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