軽トラがはずかしかった、あの頃 【2000字のドラマ】
「ミナちゃん、高校の時軽トラで通学してたよね。」
アキちゃんはコーヒーを口に運びながら笑う。数か月に1度の週末、私たちはランチを食べてからおしゃれなカフェに入って、仕事の愚痴、共通の友人の近況、昔の思い出などを取り留めもなくおしゃべりする。
今日は人気の街の大通りから入った小さな路地裏にひっそりとたたずむカフェだ。店内は女性が8割ほど。ゆったりしたBGMが流れ、人々の話し声はさざ波のように心地よく店内に広がっている。
アキちゃんは高校からの同級生で、同じ町の出身でもある。駅前に住んでいた彼女と違って家が山奥にあった私は、毎日孫六おじいちゃんの軽トラで送り迎えをしてもらっていた。荷台には農作業用の機械が積まれていたこともある。
「正直、当時はちょっと恥ずかしかったんだよね。うら若い女子高生が軽トラの助手席に乗るなんて、って。知り合いに見られたくなくて速足で乗り込んでたもん。」
「うら若いって何。気持ちはわからなくはないけどね。でも0限の時だってすごく朝早かったのに、おじいちゃんに感謝だよね。」
「電車の本数も1時間に1本だもんね。0限のときは、たしか5時40分くらいに家を出てたかな。よく起きれたなぁ。」
0限とは普段の1時間目よりさらに1時間早く学校に行って勉強する時間のことだ。進学校だったため特に高3のときは朝早くから晩まで勉強に追われていた。
当時は自分のことでいっぱいいっぱいだったけれど、そんな私に毎日付き合って支えてくれた家族に対してあらためて大きな感謝の気持ちが押し寄せていく。
*****
私はものすごくおじいちゃん子だった。父は単身赴任で家におらず、母も毎日仕事で帰りが遅かった。孫六おじいちゃんは高校の3年間、朝と夜の2回、家と駅の間の送り迎えをしてくれた。
お互い口数が多くなく、車内ではほとんど無言である。おじいちゃんは数少ない信号をまっすぐ見つめ、慎重に運転している。
私はまだ眠い頭で、車窓からぼーっと朝の田舎道を眺める。民家の間を抜け、畑の間を抜け、道路の両脇に突然広大な田んぼが広がる。その奥には山があり、あの山いつまでも視界から消えないな、なんてぼんやりと考えていた。
おじいちゃんは厳しい人で、いつも怒っていた。約束はきちんと守らないとだめだ、信頼が大事なんだから、が口癖である。
冬の朝、なかなか起きてこない私に「遅刻すっぞ!」と呼びかける。布団から這い出してリビングのストーブ前で放心していると、ゆっくり暖をとるのはやることを全部やってからだ、とよく怒られた。
ご飯を食べて制服に着替えて、忘れ物がないかチェックする。出発の5分前には身支度を終えてないとだめだ、ともよく怒られた。
おじいちゃんは髪の毛が薄かった。むしろスキンヘッドである。「今日ね、道路が雪でつるつるで転んじゃったよ」と言うと「つるつるって言うな!」と怒られた。
でもどこか嬉しそうだった。私は面白がってよく「つるつる」「光る」「薄い」といったキーワードを言っていたものだ。
料理が得意で時々ご飯を作ったり、お弁当も持たせてくれた。
得意料理は大根の煮物。5時間は煮ていたと思うが、「このくらい煮るからおじいちゃんの煮物はほろほろに柔らかくなるんだぞ」と胸を張っていた。めんつゆを入れただけの茶色い大根は驚くほどほろほろでおいしかった。
高校卒業の日の帰り道、軽トラに乗って私たちはラーメン屋さんに向かった。
外食が嫌いなおじいちゃんだけど、この日だけはラーメンをご馳走してくれたのだ。食べ終わってお店を出ると「あんまり美味くなかったな」とちょっと申し訳なさそうに笑った。
*****
それから大学進学を期に上京し、そのまま就職した。電車の本数のあまりの多さにもすっかり慣れたし、雪もないし、おしゃれなお店で友達と過ごす時間はとても楽しい。
それでも時々、毎日軽トラから見ていたあの風景を思い出す。
初夏の田んぼには青々とした稲穂が生い茂り、風が吹くと緑が波打つ。秋には黄金色に輝き、重そうに頭を垂れる。
あの頃は美しさに気づかなかったけど、これからも自分の心に存在し続ける景色だと思う。そしてそう思えるのは、おじいちゃんの軽トラという最高にかっこいい車のおかげなのだ。
おじいちゃんは今も元気だ。ただいつの頃からか大きな声で怒ることはなくなっていった。自分の口癖も覚えていないし、今日が何日か聞かれても答えることができなくなった。
次に会えたとき、私のことを覚えていてくれてるだろうか。そう思うと悲しい。だけど、おじいちゃんにはこれからもずっと笑顔でいてほしい。
*****
「ミナちゃん今度はいつ地元に帰るの?」
「仕事が落ち着いたらなるべく早く帰るつもり。」
私はきっとやわらかくて食べやすようなお土産を手に、おじいちゃんに会いに行くだろう。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?