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はじめまして

こんにちは。
ナッパこと、ふじわらはなです。

ここへ来てくれた方は、わたしのことを知ってる人がほとんどだろうと思います。
デザインをしたり、コーヒーを淹れたり焙煎したりと、日々いろんなことをしているうちに知人も増えてきたので、きちんと自己紹介をするためにnoteを開きました。
この記事では、これまでのこと、いま取り組んでいること、そしてこれからの思いを書いていきます。


photo by cotonowa

デザイナーになるまで

まだ雪の残る四月に長野県で生まれ、幼少期はキャンプをしたり山をかけまわったりして育ちました。
勉強や運動よりもモノを作ることが好きだったので、高校はなんとなく工業高校の情報科へ進学し、映像と音楽を合わせたり、ストップモーションアニメを作ったりしているうちに、パソコンを使って作品をつくるのって楽しいな、と感じはじめます。
母が京都出身だったこともあり、高校卒業後は京都のデザイン専門学校へ。
グラフィックやWEBデザイン、チームでの映画撮影やプロダクト制作など、あらゆる角度からデザインを学びました。
その後、大阪の広告会社に就職し、広告グラフィックやパッケージデザインのノウハウを培います。

仕事に追われて心に余裕がなくなってきたころ、一度大阪の会社を退職し、再び京都でデザイン会社に転職することにしました。
そして、その会社が運営することになった新規開店カフェの店長を任されることになりました。

カフェの店長へ

はじめての飲食業。
カフェで働いた経験もなく、コーヒーもさほど飲んだことのないわたしが店長なんて、本当によくやったもんだと思います。
不安がなかったと言うと嘘になりますが、あたらしく何かがはじまるわくわくが勝り、オーナーが専門学生時代からの知人だったことも手伝って、気持ちも軽やかにバリスタへ転身できました。
デザインをやっていたおかげで、目に見えるメニューや内装をきちんとレイアウトすることができたし、ハンドドリップ会などのイベント企画も取り組みました。
コーヒーのことは、働きながらもくもくと学習を続けているうちにすっかり大好きになり、流行りのカフェや老舗の喫茶店へ行ったり、コーヒー豆を卸してくれている業者さんにどんどん質問して、入れられるだけの知識を体に詰め込んでいきました。

ここでの経験は、まちがいなく人生の分岐点であったと思います。

母になり、育休へ

カフェの営業が軌道に乗りはじめた頃、第一子を授かりました。
新人の後輩になんとか店長業務を託し、育休を取ってじっくりわが子と向き合った一年間。
それまではひたむきに仕事をしていたので、効率を重視するあまり、良くも悪くもずっと緊迫していたと思います。
でも、家庭に入ったことでずいぶん丸くなったと言うか、大切なことはスピードだけじゃないんだな、と考えることができました。

それから、育児の合間をぬって、やってみたかった手網焙煎をはじめました。
休んでいるあいだもコーヒーの学習を続けたかったし、ゆくゆくはコーヒーを淹れる側からつくる側へシフトしたいと思っていたからです。
子どもが生まれたことで、カフェが忙しい土日は家族と過ごす日に変わりました。
平日でも業務はたくさんあるし、子どもを保育園に預ける間に店員さんをやって、閉店後にママをする・・・。
笑顔を保ったままそんなことができるのか、復職後の不安を漠然と抱える中、もし焙煎士になれたら、店舗に貢献もできるし時間にも融通が効くかもしれない、と思ったのです。

焙煎機なんて当然持ってなかった当時、赤ちゃんだった娘をおんぶしながら、ガスコンロの前で生豆の入った網を振る毎日を送りました。

このときの経験が数年後の活動につながります。


七五三撮影を働いているカフェで
photo by cotonowa

ワーキングママへ

娘は二歳児クラスに入園、わたしは悩んだ結果フルタイムではたらくことを決めました。

職場に戻ったときには店舗の数も、人も増え、組織として少し大きくなっていたので、店長の座は後輩に任せたまま、ショップマネージャーやキッチンアドバイザーとして復職しました。

焙煎をやりたい旨は会社に提案しましたが、程なくしてコロナの災厄に見舞われ、厳しい局面を迎えたため一度考えを捨てました。
なかなか焙煎士にはなれないな、と思いつつも、手網焙煎は趣味として根気強く続けていました。


手網焙煎所スタート

本当に最近のこと。
趣味の延長として、手網で焙煎したコーヒー豆を販売する活動をはじめました。
手網をはじめた当時おんぶしていた娘は、四歳になっていました。
名前はシンプルに、手網焙煎所。

この活動をはじめたのにはいろいろな理由があって、まず、自分のお店を持ちたいと考えだしたこと。
そのために、人脈を増やすこと。
そして、自信をつけること。
以上のことを実践するために、まずは動こう!と思ったからです。
幸いにも周りも賛成してくれて、豆を売る機会をたくさん用意してくれました。

仕事は続けたままに、娘も育てながら、
副業のような形で、個人の活動、手網焙煎所はスタートしました。


わたしにとってはほんの一部でも、みなさんにとっては長い長い自己紹介だっと思います。
本当に、ここまでおつかれさまでした。

要するに、現在は
・バリスタ
・デザイナー
・お母さん
・手網焙煎所
を軸に日々がんばっています、ということです。

そして、独立開業に向けて、少しずつ準備を進めています。
今後はそのあたりのことも、情報を整理して記事にしていきます。
おたのしみに。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

(表紙画像:cotonowa

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