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「唯々、美しくありたい」そんな目的ってあり得るのか

小学3年くらいのとき、書店で手に取ったのは「ファッション雑誌」。
幼い頃から書店に「居る」ことが好きで、色んな本を眺めながら、買いもしないのに気になる本を選ぶーー そんな贅沢な暇つぶしをしていました。
そんな中、ファッション雑誌は、つい衝動的に買ってもらいたくなったのでした。

ファッション雑誌の世界は、煌びやかでもあり、努力を感じさせる私生活も垣間見えるものでした。「努力を感じた」といえば、モデルのバッグの中身を紹介するコーナーでは、”小顔ローラー”や”炭酸水”、”美容本”が入っていることがよくあり、こんな意識の高い学生がいるのか!と度肝を抜かれました。

その世界観が脳裏から離れず、中学生になって雑誌のオーディションに応募しました。原宿のオーディションスタジオで面接官と話したとき、「肌がきれい」という理由でなぜか採用されたのでした。(当時は、若いんだから当たり前じゃないと思いました)

しばらくして、校則によりモデルの仕事は辞めざるを得なかったのですが、スタジオで様々な服を着て、ヘアメイクをしてもらい、撮影してもらうときの満足度は最高でした。

当時、自らが衝動的にやってみて印象に残っていることは他にもあります。
例えば、「薄っぺらな漫画本の刊行」や「鼓笛隊の指揮者」、「軽音楽部のボーカル」、それ以外にも「演劇」で役を獲得するために必死で練習したことも印象的です。

「美しくある」までの道のり

今回は私のことも少しお話ししたいと思って、最初に自身のことを記しました。ちなみに、ここまでの話は中学生までのことです。

コーチングではよく「生きる目的」について会話します。

私は最初の頃、「〇〇のような社会問題を解決する」「〇〇のような人に貢献する」「〇〇を成し遂げる」「〇〇のプロになる」といった目標を挙げがちで、それに対する一定の満足度とコミットメントがありました。一方で、ふと、「うーむ、本当にそれなのかな」と考えてしまうことも。

散々思い考えた挙句、あるときこう感じることで気持ちが楽になりました。

「美しくあることが、生きる目的である」

理想とする美しいものや生き方を探求し、美しさを表現することに、最もワクワクしてしまう自分の存在に気が付いたのです。

自分を見つめる目的意識

ここまでで、「目的」と「目標」をあえて書き分けたことに、気づれた方もいらっしゃるかもしれません。

目的は、最終的に到達しようとして目指すもの
目標は、目的を達成するために設けた「目印」のこと

クライアントでよく遭遇するケースは、「目標」が完全に自分の「目的」であると勘違いしてしまうことです。
目標には、外部要因が入りがち(例えば、社会的に必要だから、求められているから・・・等)なので、自分の本来の欲求を脇に置きがちです。

多少エゴが入ってもいい。本当にワクワクする、満足度の高い目的を置くことで、自分の欲求を満たすことができます。それが、目的です。

すなわち、「唯々、美しくありたい」ーー  そんな目的はアリなわけです。

自分の目的を理解した上で、チャレンジングな目標を設定する分には全く問題ないです。私の場合、目的から発展した結果、「アートジャーナリストとして発信する」という目標を掲げました。

ちなみに、目的に「社会貢献」が入ってきてしまう・・・というのも別に問題ありません。それが、内側から湧き出す本当の欲求なのであれば。

自分の内なる欲求をきちんと知りながら、動くことが何より大事なのです。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
今日も素晴らしい1日を!











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