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「適応障害」が人生の転機だった

こんにちは!はなはなです☺️

今日は私の人生の転機になった出来事についてお話しをしたいと思います。

noteを以前から読んでいただいている人はすでにご存知かもしれませんが、私は約半年前に仕事のストレスから適応障害になり、ある日の夜中、パニック発作で体が動かなくなりました。


この瞬間、死ぬのかもしれないという恐怖を味わったのですが、今思えば私が過呼吸になり全身麻痺になったあの瞬間が人生が大きく変わるための岐路だったと感じています。

倒れた後も大変なことがたくさんありましたが、振り返るとそれすらもいい思い出だっと思うほど、半年前とは細胞レベルで別人ではないか、というくらい人生が一変しました。


もしかするとこのnoteを読んでくださっている人の中には、

私と同じ適応障害だったり、もしくは別の精神疾患だったり、それ以外でも苦しいことがある方もいるかもしれません。

今日は私の経験を経て、

精神疾患である「適応障害」が私の人生を救ってくれた

この経験が人生の開くきっかけになった

そんなお話しをしたいと思います。


当時の私と同じようき辛い状況の方がいたら、きっと心が軽くなると思います😊



1、人生の分岐点はしんどい渦中いきなりやってくる


パニック発作で救急搬送される前の数週間、数ヶ月は私は真っ暗闇を生きているような感覚でした。自分のやりたいことではない、だけどお給料がよく、責任のある立場を任せてもらえている。そんな状況がありがたくもしんどかったんです。仕事を通して何かに貢献できている感覚がないことから「何のために生きているんだろう・・」と心の奥で思うようにもなっていました。

とは言うものの、責任感も強く、社会人経験の中でも会社を休むことは(忌引きや特別な手術を除いて)なかった私。体調が悪くても仕事を休まない、究極にしんどい時だけ仕事の合間に病院に行かせてもらうような性格でした。

休む=いけないこと

言語化していないそんな感覚がずっと胸の中にあり、辛くてもその場から逃げることも、休むことも、辞めることもできずに苦しみながら働いていました。そんな時、私の心の奥から聞こえるのは

私の本当の居場所はここではない・・

という声。

当時の私にとってはこの心の声なんて小さすぎて聞こえても聞こえなかったフリをして、日常の戦場のような職場に戻っていきます。

今振り返るとずっと聞こえてはいなかったけれど

休みたい ゆっくりしたい

そんな声もありました。

そうやって自分の声をガッツリ無視しながら他人に悪く思われたくない、誰にも責められないために責任感を持って仕事をしなければ、そんな自分ではない世間の声をあてにしながらがむしゃらに働いていた日々。


そうしているある日、突然私の身におきたのが

過呼吸、全身麻痺、手足の痺れ、痙攣

「このままでは体が動かなくなる!!!」

と泣きそうになりながら、震える手で人生初の119ダイヤルを押したその瞬間が人生が一変するまさに岐路でした。


2、休職に入りながら重り手放していく道での苦悩


ここで人生が急変して、それからというもの私は幸せを手に入れた

というそんな甘い話ではありませんでした。

休職に入れば楽になると思いきや、今まで動き続けてきた自分がいきなり休むことになって、そこからはまた別の苦悩がやってきます。

自分が抱えてきたたくさんの重り

この一つ一つに向き合わなければいけませんでした。今まで無視する以前に気づきもしなかったようなネガティブな思い込みや概念にたくさん縛られていたことに気づきます。

今振り返ると、あの日々は毎日降りかかる自分の心の変化と、それで受け取る新たな発見の数々。これが無数に繰り広げられ、人生の中でも情報密度が格段に増え、その中から新たな自分として何を選んで何を手放すのか、これをたくさん試された時期だったと思います。

それほど自分の中でわき起こる情報が多かったことで、このnoteが生まれたのかもしれません。

一つ一つの感情には理由があります。

ネガティブな気持ちが湧くとき、病気のせいであってもそこには必ず理由と思い込みが存在します。あの頃はたくさんの自分の間違った信念たちを紐解く時間でした。

自分の中から当時湯水の如く湧き出る信念や思い込みをこのように一つ一つ変えていきました。

休むことへの罪悪感 → 自分を一番に考える、休みたいという心の声を第一に聞く

頑張らないと価値がないという思い込み → 頑張らなくても「居る」だけで価値があると気づく

人に迷惑をかけてはいけない →  大切に思ってくれている人ほど喜んで迷惑をかけて欲しいと思っている

心配をかけてはいけない →  心配をしてくれるのは大切にされている証拠 一人で抱え込んでいることの方が周りは辛い

嫌われるのが怖い →  人は傷つけられたりしない限り、人は簡単に人を嫌いにはならない

他にも無数にありますが、このように毎回一つ一つ自分の中にあった感情と共に、価値観を書き換えていきました。そして自分を生きづらくしてしまっている信念を体から取り外すことでどんどん体が軽くなっていきました。

そうしているうちに

本当は自分は何をしたいのか

どう生きていきたいのか

を他人の声や意見ではなく、完全に自分の内側の声だけで決められるようになった今、大きな出来事がなくとも日常がとても幸せに満ちています。

改めて、自分の目の前にある現実は自分の心の内側を反映している

という意味が理解できるようになりました。


○○ができたら幸せになる のではなく幸せを感じられる自分の状態を作ること、で初めて幸せが訪れる。そのことに今では心から納得がいきます。

そのためには自分の心の声や感情を無視しないでその都度向き合うということが鍵なんだ、と実体験を通して実感するようになりました。

3、結果、適応障害は転機になった


結果、この適応障害で苦しんだ期間は紛れもなく人生の転機になりました。

私にとってこの病気と向き合ったことで得られたプレゼントは計り知れません。

自分のネガティブな自分と向き合うこと

本当のやりたいことを見つけること

記事で人に想いを届けること

大切な人との時間を大切にすること

自分という存在を心から大切にすること

素敵な方々との出会い

人に貢献したいという気持ち

他にもたくさんあります。

こんなにたくさんのギフトをもらっておきながら、この適応障害が悪者だったなんていえません。

死ぬ時に振り返ったとしてもすぐに思い出せるほど、人生を変えてくれるような出来事や出会いがたくさんありました。

もちろん、向き合う過程の中には苦悩もたくさんあったけれど、それすらも「手放す」過程で必要だったと思えます。この適応障害という症状になっていなければ自分の価値観と向き合って、本当の自分がしたいことを考える暇も勇気もなかった。

「病気」という形で身体が私の行動をストップしてくれたおかげで

本当の自分として生きることができるようになった。

だから、この病気や出来事の数々には感謝しかありません。


適応障害よ、本当に本当にありがとう😭😭


4、今、大変な人へ


長くなってしまいましたが、私はこの経験があったことで「凹んだときは人生が飛躍するチャンス」だと勝手に思っています。

でも、周りを見ても本当にそうです。

辛いどん底から這い上がった人ほど幸せそうに輝いています。

辛い中で考え、模索し、行動し、出会い、普通に生きていたら味わえないようなたくさんのギフトを受け取っている。

だからこそこんなに幸せそうなんだな、と。

だからもし今大変な方がいたら、もしかするとそれは人生の転機かもしれません。

ここからあなただけの

たくさんのギフトを受け取れるはずです。

焦らず自分と向き合って、ゆっくりゆっくり答えを出していいと思います。決断に対しての本当の答えは必ず自分の奥にあるはずです。

そして自分と向き合えば、確実に幸せになれます😊



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