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適応障害・パニック障害で気づいたこと
ストレスからいきなりパニック障害になり、救急搬送されたことをきっかけに気づくことのできたあれやこれやについて記していきます。
休むことを簡単に許可出来ない自分への考察
仕事をしている時の自分
休職期前半、【休みきる】という発想が全く湧いてきませんでした。自分はストレスで全身麻痺という症状にまでなり救急搬送されているのに、深夜救急車に運ばれた翌日の朝、思ったことは
「治ったら仕事に行かなければ」
でした。
この発想がなかなかやばいのは自分でも自覚しています。でも瞬間的にそう感じてしまったのです。
幸い?全身麻痺による手の屈曲が、翌朝の始業時間頃になっても治らず、仕事を休むという冷静な判断ができた訳ですが、もし治ってしまっていたら私はどうしていたんだろう…と思います。
振り返れば私は仕事を今まで休んだことがなく
(特別な手術を除く)少しの体調の悪さであれば病院によってから会社に行く、と決め込んでました。
それほど、【休む】ということに抵抗があったと思います。
(振り返ればおじいちゃんが亡くなる直前にも看病に行きたい気持ちを堪えて必死に働いてたな…あぁなんか大切にする順番間違えてたな、
とか思えてきました。)
良く言うと
責任感が強い
悪く言うと
自己価値の評価が低い
だったと思います。あたかも
「私は責任感が強いから休みません」という顔で振る舞っていましたが、心の奥に眠っているのは
自己価値の低さ。
仕事>自分
でした。
そうした理由で、休もうとすると【罪悪感】が生まれてくる、というシステムになっていたと思います。
休職期間に入ってから
いきなりにあまりにも突然に休職期間に突入した訳ですが、(パニック障害で運ばれ、そこから自動的に仕事を休職することになりました)
今振り返ると前期は自分から出る声がしんどかったと記憶しています。
身体が全く良くない中で、
本来休みたいに違いないのにも関わらず
私が私に浴びせる言葉は
私がいないことでちゃんと仕事回ってるのか?
何か出来ることあるか?
後輩は大丈夫か?
こうしていたらダメだ、何かを勉強しなければ。
せっかく時間があるのだから生産性のあるものを生み出さなければ。
時間を無駄にしてはいけない。
常に何かに急かされている感覚。
そこで気づかされました。
【私は自分に休むことすらも許可が出来ない】
どうしたって許可が出来ないんです。
自分が本当に無価値になってしまう気がして。
今振り返って思うのは、当時私の中の自己評価の図式は
“自分がこなす仕事(行動)=自分の価値”
でした。したがって
何もしなくなること=価値が無くなること
だという恐怖が常にあったのだと思います。
次に続きます。
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