見出し画像

疲労

 疲れている。今日は一日、疲れている。昨晩、ほんの数時間、兄の家族と一緒にいただけで。

 兄のお金でお肉を食べてきた。実の兄だし、とても優しい義姉のおかげでそんなに気を遣わないように出来たとは思う。

画像1

 こんな席順だった。たまたまだが、私にとってとても快適に過ごせる席順だった。母と兄が遠い。義姉がお肉を焼いてくれた。「今日は気を遣わず」と言われたのだが、そんなにいつも気を遣っているように見られているのだろうか。
 兄が焼いていたら、食べるのにもっと気を遣っただろう。

 実際、「お肉を焼くのも気にしないで」と言われたが、気付けば私はお肉をひっくり返してしまう。気を遣わない様に、気を遣った。極力何もしないように。

 でも、気が付けば、網の上を確認してしまう。無意識とは、怖い。

 ただ、昨日は割と気を抜いていられたな、という印象だ。私の個人的な印象だが。家族なのだから。私は、気を遣い過ぎない人間関係の構築の仕方を覚えたほうがいいだろう。悪いのは、気を遣っているつもりがない、自覚が足りないというところか。

 唯一、と言ってもいいだろう。三年前に出会った友人の一人――とてもお世話になっている女性だが――彼女は、人を甘やかすのが上手だ。彼女には、全面的にお世話になっている。私は、気を遣う側から、気を遣われる側になれる。しかし彼女曰く、私に気は遣っていないらしい。何というか、彼女の才能だとしか言いようがない。救われている。家が遠いのだが、一時期入り浸っていた。写真はその頃の乾杯シーンだ。また行きたい。早くコロナが治まることを願う。

 彼女との共通の友人に、何回か叱られたことがある。「英は彼女に物凄く好かれている」らしい。私も分かっているつもりなのだが、頭でっかちは行動には出ていないらしい。何故なら、私はそんな風に人に好かれた経験が無い。いや、恐らく、無いと言ってしまうと、また別の友人から、叱られるかもしれない。

 だが本当に、少なくとも家庭で与えられてきた愛よりも、無条件に好いてくれている気がする。私は、その理由がわからない。私が彼女なら、私のことを、百回くらいは殴りたくなっているだろう。
 理屈屋は、答えを求めてしまう。何故、好かれているのかが、分からないのだ。それでも、好かれていることは感じる。だから、その戸惑いが、私の行動には現れているのだろうと思う。


 話は変わるが、一昨日くらいからか、躁に移る兆候が出ているように感じている。夕べも、中々寝付けなかった。アルコールを飲んだことも、その後お風呂に入ったことも、きちんと薬を飲んだことも、どれもそれくらいは許されたいのだが、眠りを浅くするには十分だ。

 久々に自転車に乗り、兄たちと夕食を食べ帰ってきた。身体は疲れていたと思う。というより、今に至るまでずっと疲れている。それでも、夜は眠れない。朝は眠くなるのに、どういうことなのだろうか。

 軽躁になってしまうと、その後うつが絶対に来る。それは御免被る。だから、躁転しないように気をつけている。
 だが、創作が出来る体調というのはちょうど今頃なのかも知れない。軽躁に移ってしまうと、行動力があがるのでひとところにはいないだろう。集中して座ってはいられないかもしれない。うつだと、脳が活動を拒否してしまうので、日本語を打つことさえ難しい状態になってしまう。

 そのちょうど真ん中。混合状態、つまり混乱状態とでもいおうか、ともすれば中二病と言われるような状態に似ている。繊細で傷付きやすく、自分の気持ちを分かってもらいたいと願う。焦燥や不安、寂しさ、悔しさ、ありとあらゆる不快感が自分にまとっている。芸術的な作品というのは、そのような時に思い付くように思う。自分の中の表現したいものを、外に出したくてたまらない、苦悩しながら形にしていく……私は、芸術家というのは、孤独と繊細な心を持て余している存在だと考える。芸術を志している時点で、何か大きな傷を持っている。そんな風に感じます。

 私は、そんな時、例えば躁転しそうな真夜中、アイディアが浮かぶ。創作したくなる。ただ、その時に筆を執ってしまうと、眠らないことになるので、躁転してしまうかもしれない。そのリスクを考え、無理やりにでも床につく。常の私は、あまり芸術家肌ではないのかもしれない。そんな時にだけ、アイディアが浮かぶのだから。

 先述の彼女とのことを基にして、何か一作書けたらな。これが、昨夜真夜中の戯言です。



サポートくださったら泣いて喜びます!! いつも皆さんありがとうございます!