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かすり傷をつくりながら

私は基本的に人のことを信じていない。
いつからこうなってしまったのか、自分でもわからない。

人のことを信じていない。この”人”とは、”他人”のことだ。”他者”ではなく”他人”。家族のことは信じている。

なにか大きな原因があったわけではない。母は小学生のときのあの出来事が原因かと心配していたし、姉は自分がなにかしてしまったのではないかと心配していた。
小学生のときの出来事が全く影響していないと言い切ることはできないけれど、姉の心配は完全に否定しておく。
母には「違うと思う」と、姉には「絶対関係ない」と伝えておいた。


だけれど最近、他人を信じることができない理由がわかった気がする。他人は裏切るからだ。私のことなんてどうでもいいからだ。
所詮他人は、私のことなどどうでもいい。これはいじけているわけではない。

一方で、家族は裏切らない。私の家族は裏切らない。私のことをどうでもいいなんて思っていない。大切にしてくれている。そう実感できるから、信じられるのだ。

では、なぜこうなってしまったのだろうか。
別になにか決定的な出来事があったわけではない。小さな積み重ねの結果だと、私は思う。裏切りと言ってしまうと大袈裟な、その程度の小さな裏切り。小さなかすり傷をたくさんつけられたような感じ。
人によっては無傷で済む程度の小さな出来事でも傷ついて、こんな性格だからそれが繰り返され、今に至る。
そういうことなのだと思う。

こうなると、また別の疑問が浮かび上がってくる。なぜこんな性格になってしまったのか、だ。
こんな性格とは、消極的・内向的、ひとことで言えばおとなしい。そういう性格だ。
もともとではない。だんだんだんだん、こうなっていった。

中学生のときに友達から「○○がおとなしくなったのは、人を信じなくなったからだよね」みたいなことを言われたことがある。自分でも気づいていなかったのだが、すごく納得した。

これが正しいとすると、「こんな性格→他人を信じられなくなった」ではなくて「他人を信じられなくなった→こんな性格」という順番になる。
書いてみて思ったけれど、どちらも違う気がする。同時進行というか、なんというか。とにかく、ここに因果関係はないと思う。相関関係ならあるかもしれないが。


これからも小さなかすり傷をつくりながら生きていくのだと思う。

傷つく前になんとかできる人になりたい。
小さなことで傷つかない、強い人になりたい。

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