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好きな人にフォーカスするだけでは、人は駄目になる。


「悪意をもって接してくる人からは離れて、あなたが好きな人にフォーカスしよう。」

自己啓発本でよく言われることだ。

でも、果たして本当にそうだろうか。
私はずっと、この言葉に違和感を感じている。


あなたに好意をもっている人にフォーカスしていれば、好意をもってくれる人達ばかりが周囲に集まり、好循環が生まれる。その内容そのものは理解出来るし、それを体現しているかに見える人達も見てきた。

類は友を呼ぶ。

自分と似たような人達との輪。

そこには自分を想ってくれる人達と、自分を理解してくれる人達がいる。

その人達は、自分が怒りに震えるようなことを言わない。


人には怒りのポイントがある。
人それぞれに怒りのポイントは違う。
相手を理解せず、この怒りのポイントに触れてしまった時、相手は憤る。

「人の嫌がることはしない。」

子どもの頃、よく言われたこの言葉も同じ意味を指しているのだと思う。

私達は無意識に、人と接する中で相手の怒りポイントを把握して、そのポイントには近づかないようにする。このポイントを理解するまでには、相当な時間が必要で、よくよく理解した仲だと思っていても、未だ知らない怒りのポイントに触れてしまうこともある。


人と付き合うという事は、面倒が伴う。

日々、時間管理術を用いてタスクをこなしていくような人にとっては、益々人との付き合いは面倒なものになってしまう。それこそ、嫌味を言われようものなら、すぐに離れてしまう。ただ単に、人と向き合う時間は手間であり、非効率だからだ。

そうなると、そういう人達同士が結び付く。
これもまた、類は友を呼ぶ状態だろう。

そしてそれは、相手を深く理解した状態ではなく、表面上だけの取り繕った結びつきだ。ビジネスにおける人付き合いが、正にそれだと思う。自分に何かあった時、助けてくれる人がどれだけいるだろう。人と人として向き合うことなく、お互いを尊重しただけの希薄な関係。

仕事上の関係だ。
お金の元に成り立つ関係に、尊敬できるものがなければ続かないのも無理はない。


人を理解するには時間がかかる。
面倒でも時間がかかる。
その手間を惜しむと、次から次へと新しい関係を求め彷徨うことになる。


完璧な人間などいない。
誰もが知っているはずの事実。

それでも、人はそのことを忘れてしまう。

必ず相手は自分の怒りポイントに触れる。
その時に、上手くかわせるだろうか。
自分の怒りポイントに触れるなと、憤る姿を見せるのも一つの方法だろう。

そう。
人と人の関係は手間がかかる。

相手の怒りポイントを探ると共に、こちらの怒りポイントも伝えなければならない。お互いに心地よい関係を築くため、手間を惜しむとすぐに関係はなくなってしまう。


好きな人とだけ一緒にいて、あなたは成長するだろうか。

あなたの怒りポイントに触れる人を上手くかわす方法を、どこで学ぶのだろう。

怒りというのは瞬間的で、時間が経てばゆるりとした忘却曲線を描いて消えてゆく。完全に消えなくても、いつかどこかへ消えていく。その時、あなたは怒りを忘れ、許すのだろう。

身体的な加害や、心身に支障をきたすようなものはすぐに離れなければいけない。でも、ほとんどの場合、大きさは違えどいつかは消えるはずの怒りではないだろうか。


傷付いた時、逃げるのではなく、一時的に離れる。自分の心を守るため、相手から離れて自分を落ち着ける。
子どもなら「絶交」という言葉を使うのだろうが、大人はちゃんと知っている。数日振りに声を掛けた時、無視する大人がいるだろうか。
お互いに言葉を交わしたその時、あなた達の関係は少し前進したと感じるはずだ。


「人と接する時はGiveし続けなさい。」

勝間和代さんの言葉だ。
Giveしても返してくれないと辛いから、そんなことを忘れるくらいずっとGiveし続ける。

そんな強者もいる。


「好きな人にフォーカスしよう」

もしかしたら、あなたを怒らせたその人こそ、共に一歩前進すべき人なのかもしれない。








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