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命を生かすのは金がかかる。人海戦術、水の入れ替え、バケツ洗い。イタリア人はイタリア人。

人間に捨てられた600頭のガルゴ(スパニッシュ・グレイハウンド)の保護施設の中で朝6時半に起床した。ここはスペイン南部のアンダルシア地方、5月末で気温36度に達する暑く乾いた土地の真ん中にある犬の保護施設である。

ガルゴは、細長い鼻に細長い身体を持つ筋肉質でエレガントな印象の犬だ。かつては貴族しか持てない貴重な犬だったが、今ではレースや狩猟など庶民の娯楽のために飼育され、使い捨てされることが問題となっている犬である。スペインでは年間5万頭が捨てられているとされ、私が滞在している施設はスペイン国内最大規模の600頭を保護している。

600頭という途方もない数の犬たちのそばで眠るのは、よっぽど心を決めた人にしかおすすめできない。同じ敷地内にたくさんのガルゴたちがいると実感しながら寝るのは、私には興味深い経験であった。

前日、始発の飛行機で移動した寝不足により、それなりに眠れたが、犬たちが夜中に「アウー」と遠吠えを始めて、眠りの底からたびたび引きずり出された。6面が揃っていたルービックキューブを何度も崩してやり直すような、完成と始めからを繰り返す感じだった。

しかし、それでも、私にとってはこの場所に来るのは長年の望み(夢の描けない私の数少ない夢)だったので、不満には感じなかった。朝5時半に、一気に犬たちがワーワー言い出して、私も目が覚めたのだが、後から、それが最初の従業員が働きに来ていたためだと知った。新聞配達やパン屋に比べたら驚くほどではないが、かなり早い始業だなと思った。

7時に宿舎のキッチン兼リビングに降りてみると、ガラスのスライドドア越しに、顔の白い老犬ガルゴがジッと座って待っていた。私がドアを開けてやると、スッと入ってきて、ソファに登りすぐ横になった。朝5時半から始業していた従業員の犬、12歳のおばあちゃんトゥティだった。ベストスポット(=ソファ)を知っているから、待っていたのだ。

保護犬スパニッシュグレイハウンド
トゥティのベストスポット

いつもリードなしで、敷地内で自由に過ごしているようだ。あまりに静かすぎて、時々、いることに気づかないことさえある。トゥティも、元ここに保護されていた犬だろうが、今は、フェンスの中で自由が制限されているガルゴたちを遠くから見て、ソファに横になり、自由を謳歌している。フェンスの中と外の暮らしは大きく隔たりがある。コンクリの上のタライ桶で眠るのとソファの上に上がれる暮らしは、やはり決定的な違いがある。

私たちボランティアは、基本的に、朝にうんこ拾い、水替え、掃除をする(他にもリハビリなど別のタスクもある)。文字にすると、たかが、「うんこ拾い」と「水替え」と「掃除」だが、600頭分のうんこは凄まじい。

もちろん、水替えの量も、掃除の労力も、かなりのものである。このタスクは私を含めて4名のボランティアが担当していたが、到底600頭全てには手が及ばない。従業員が半分以上はやっている。

私は水替えの際のバケツの掃除を言い渡された。シルバーのバケツには、緑のぬるぬるがついている。水が強い日光を浴びて、何かしらの緑のぬるぬるが発生してしまうのだ。これを、金タワシでこする。

一つの区画にだいたい5匹の犬がいて、そこに2つのバケツがある。600頭の犬を単純計算すると120区画あり、240のバケツがあることになる。私は36区画のバケツ72個の掃除と、外のドッグラン10ヶ所にあるバケツ10個の水替えを担当した。82個のバケツを洗い、ホースで新しい水を満たした。1個1分で洗っても1時間半かかるが、1ヶ所ずつ鍵の開け閉めをして移動するためもっと時間がかかった。

犬は賢いので、私が出る時に、のろまな私のお尻と壁の間にサッと頭を突っ込み、通り抜けようとする。相手は時速70Kmで走れる世界最速の犬なので、脱走されてはたまったものではない。

ドッグランのバケツの水替えは、ちょっとした罰ゲームのような様相で、1人悲鳴をあげながらも笑ってしまった。飲料水用ホースは10ヶ所中7ヶ所のドッグランに届かないため、自分がバケツを取りに行き洗って水を入れ、36度の照りつける太陽の元、両手にバケツを下げて設置しに行く。

スペインのグレイハウンドの保護施設
ドッグラン

バケツに入った水は重たい。水のありがたさを感じて謙虚に生きることを噛みしめずにはいられない。と同時に、全てはお金があるかどうか、設備投資ができるかどうかなのだな、とも思う。お金がないと、全てがつぎはぎの手作りになり、多くのことは人手を要する人海戦術になる。

この施設は民間が運営し、主に寄付金と施設内の動物病院およびペットホテルの収益でまかなわれている。犬を食わせるのも、従業員に給料を払うのも、全てお金がかかる。毎日の犬の飲料水の交換を機械化するどころか、壊れたバケツを買い替える余裕さえ怪しい。

犬の命を生かしておくのはとてもお金がかかることなのだ。だから、ハンターやブリーダーたちはガルゴを殺すか、生きたまま捨てる。彼らにとってはレースや狩りの道具であり、より質の良い道具を生み出すことには熱心だが、使えなくなった道具の行く末には、関心がないようだ。

13時半、宿舎へ戻り、おのおの料理をする。少し遅れて戻ってきたイタリア人男性2人が、パスタを調理していた。30代くらいの彼らは私に「ハナ、パスタ食べるか(意訳)」と訊いてきた。たっぷりトマトソースのペンネを作ったようだ。すでに食べ終えていたので、ありがとう、と断った。

コーヒー休憩の時にもキャロットケーキを有無を言わさずお裾分けしてくれたり、イタリア人は食を自然にオファーする習慣があるんだなあ、と感心する。前日にいた、イタリア人の女の子2人も、コーヒー「カフェ・ナポリターナ飲むか」と、ノーと言えない勢いでオファーしてくれた(甘かったけど美味しくいただいた)。

イタリア人の独特なクセの強さがおもしろい。彼らにとって、食は他人と垣根なくつながる重要な要素なのだなと感じる。「ボナ・ペティート!」と言うと、男性たちは嬉しそうに「グラッツィエ」と答えて食事を始めた。

彼らは2人とも体格が良く、とても似ていたので、私はもしかして双子かなと思って「兄弟?友達?」と尋ねると、「フィアンセ!イン・ラブ!」と教えてくれた。お互い似ているから惹かれあったのか、カップルだからそっくりになったのか、わからないけれど、鏡のような2人で、私は3日目くらいまで見分けがつかなかった。

ここでボランティアをしている人たちは、皆、身銭を切って、わざわざ周囲にレストランもカフェもない場所に、住み込みで手伝いに来ているのだから、前提としてガルゴに強い思い入れがある共通点がある。だから初対面で寝食を共にしてもそんなに気まずさはない。「犬飼ってるの?」と切り出せば雑談が成立する。

前述のイタリア人カップルの1人に訊いたら、これまでに7匹のガルゴを飼ってきたことがあるという。相当、愛情があるようだ。実のところを言うと、最初彼らは、朝から昼までひたすら携帯を眺めてソファに座っているように見えたので、なぜ作業しないのだろうと不思議に思っていた。しかし、夕方前になると出て行き、夜まで作業をしていた。

何をしているのか聞くと、施設の中に、猫部屋があるので、そこに犬を連れて行き、猫と一緒に暮らせるかどうかをテストする作業をしているそうだ。猫と一緒にいても大丈夫な犬であれば、アダプトされる可能性が上がる。すでに猫を飼っている人でも里親になれるからだ。逆に猫ダメ、他の犬もダメ、子供がいる家庭もダメ、という犬だとかなり的が狭まる。

私は、自分がたまたま見た時に人が何をしていたかで、その人の全てを決めつけてはいけないなと改めて思った。

午後は犬のリハビリに同行し、ドッグランのうんちを拾い、夕方にバケツの水の継ぎ足しをして、私はこの日の作業を終えた。

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