NikonF3と祖父の話
僕の思う「最もかっこいい大人」は「祖父」
1番かっこいい大人は誰か?
僕は迷わずに「祖父」と答える。
そう迷いなく言えるほど僕にとって祖父は憧れの人なのだ。
祖父について
祖父は大正10年に4人兄弟の末っ子として誕生。
曾祖父は祖父が生まれる4ヶ月前に食中毒で亡くなってしまったそう。
祖父は自分の父親と会ってないのだ。
曾祖父の死後しばらくして、曾祖母は再婚(事実婚)。
※前述で4人兄弟の末っ子といったが、曾祖母と再婚相手とのこどもが男女ひとりずつ設けたので、厳密には6人兄弟の4番目にあたる。
子ども頃はガキ大将だったようで、子分を引き連れて遊んでたらしい。
我が家の墓はその頃からの友人が住職を務めていた寺にある。
10代後半から20代までは第二次世界大戦の時期と被り、満洲へ出兵したり、60㎏の銃を持って戦地にいったり、終戦頃、数年間ロシア軍の捕虜になったりしたらしい。
戦後は生活のためにいろいろな仕事をやっていたらしいが、ぼくが知っているのは東急バスの運転手と定年後の幼稚園バスの運転手を二つだけ。
あとは知り合いに頼まれて家具やおもちゃの修理もやってたとか。
私的記録にフラッグシップNikonF3を持ち出す
祖父が自身で所有していた最後のカメラはNikonF3。
当時のNikonのフラッグシップにあたるカメラだ。
NikonF3についてはこちらに記事があるので気になる方はみてほしい。
用途は家族の記録や定年後勤めていた幼稚園のイベント等の記録、釣り仲間との記録と日常や私的イベントの記録にしか使っていなかったそう。
今でいうと、家族や友人との記録にミラーレス一眼カメラZ9を使っているようなもの。
おもわず「オーバースペックでは?」と心の中でつっこんでしまった。
レンズに関して父の記憶では50㎜と28㎜の単焦点レンズを持っていたとのこと。
カメラシステムとしては必要最小限でなおかつ携帯性に優れた組み合わせだ。
祖父と僕の思い出
祖父と僕の関係は長男の長男、つまり家(苗字)の直系の跡継ぎだ。
別に家業とかがあるわけではないが、大正生まれの人だし、当時、自分以外に家を継ぐ人がいなかったこともあったのか、ぼくが生まれた時は大喜びだったらしい。
故にぼくは自分の苗字や家系に愛着があるかもしれない。
小さいころ、祖父の部屋にいくと小さい冷蔵庫にぼくの好きなジュースが入っていてよく貰っていた。
で、飲み終わるまでそのまま時代劇や野球、相撲を一緒に見ていた。
NikonF3で撮ってみた。
祖父はNikonF3とレンズは売ってしまったらしいので、我が家にはなかった。
ただ人気機種だったこともあり、状態良いものを買い戻すことができた。
レンズもおそらくこれだろうというものを買った。
とりあえず50㎜で心赴くままに撮ってみた。
最も身近で大切なひとを撮るカメラ
時代が時代ということもあり、若いころは死が身近にあるハードな人生を送っていた祖父。
つらい思い出のほうが多かったかもしれない。
それでも人生の後半では家に残っている写真を見る限り、家族や友人と楽しく過ごせているように思えた。
その思い出をできるだけ良い形で残したい。
そんな思いが祖父にNikonF3を選択させたのかもしれない。
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