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祖父と夢の中でハイタッチを

私には90歳の祖父がいた。昨年夏に肺炎に罹患し、入退院を繰り返すも体調が戻らず、最終的には誤嚥性肺炎を引き起こし秋に亡くなった。

私の実家は祖父母の家の側にあったので、幼い頃からよく遊びに行っていた。祖父は厳格だった。孫達にも厳しい愛を持った人だったので、私のきょうだいは大人になるまで祖父が苦手だったほど。しかしどういうわけか私には優しく、私は孫の中では1、2位を争うほど祖父のそばにいた。

そんな祖父も孫達がどんどん一人前になってくる頃には性格も穏やかになっていった。祖父は、70代後半の頃に2度脳梗塞で倒れたが奇跡的に麻痺も残らなかった。その後は至って健康で腰も曲がらず高身長。立ち姿は90歳になっても格好よかった。ドライブが好きだった祖父は、運転免許を返納するまで祖母を連れて、田舎道を軽トラで駆け抜けていた。

免許を返納してからは近くの川沿いの田んぼ道を散歩するのが習慣で、近所の人からも元気で健康、長生きするだろうと言われていた。ちょっとした畑のある庭には毎日、祖父が自分で洗濯をした後があり、家の中は、既製品では網羅できない"かゆいところに手が届く”細工を発明し自分なりに使いやすいように生活を工夫する天才だった。家のあちこちには他の家ではみかけないような手作り道具が点在している。無論使い方は祖父に聞かねば分からない。

進学や就職で実家を出て遠くに住むようになってからも、帰省したら祖父母の家に会いに行くことを欠かさなかった。帰り際に祖父の定位置のソファーでハイタッチをすることが私のルーティン。昨年の夏、最初に肺炎で入院した時すぐに退院できたので会いに行くと、祖父は元気に定位置のソファーに座っていた。その元気そうな様子に安心しきってしまい、なぜかその時にハイタッチするのを忘れていた



それからひと月も立たないうちに、祖父は救急車で近くの地域総合病院に運ばれた。回復が悪く、ICUからようやく一般病棟に移れるという時。私は気が気ではなくて、休日に病院に駆け込んだ。ICUから出た祖父は少し疲れていたが頭はしっかりしており「おお。遠いところから来てくれたとかあ。すまんなあ。」と私を見つけるなり言った。

祖父は頑固で病人扱いされることを嫌い「できる。大丈夫。」が口癖だった。だが、この時は看護師や私達に「歩きたくない」と弱音を吐いてずっとベッドに横たわっていた。今思えば予兆だった。その時来ていた台風の規模や進路の心配など、しっかりとした会話もできたので見落としていた

祖父の体調がいよいよ悪くなり、覚悟してくださいと医師に言われたのはそれからまもなくだった。私は涙を堪え病室に行ったが、そこにはかつての祖父はいなかった。食べ物を受け付けられずにやせ細った弱々しい体がベッドに寝ているだけ。起き上がろうとして滑ったのだろうか、頭には痣ができていた。時折目を開けるが心ここにあらず。目を覚ませば口をしきりに動かしている。何か話しているのだろうがもう声は発せない。

少し前に会いに行った伯父から、伯父が誰か分からなかったようだと聞いたのを思い出した。初めて見る祖父の姿に、生きている人間では知り得ない次元での脅威にも似た大きな恐怖を確かに感じた。

恐る恐る私が声をかけると奇跡的に目を開けた祖父と目が合った。「わたし、わかる?」と聞くと頷いてくれた。祖父はまだここにいる。安心して涙がでそうになったことを隠すかのように、祖父のやせ細った手を握った。とても冷たかった。

その時は精神は元気で、それを包む体という外見だけが弱々しく衰えていた。頭では分かっていても体が衰弱していること、声が出ないことも本人が一番わかっていて、ジェスチャーで必死に色々と伝えてくれた。魂の会話だった。

私が遠くから会いに来たことをちゃんと分かっていて、お金は大丈夫か?とジェスチャーで伝えてくる。大丈夫よ、と言うと一瞬ほっとした表情になり頷き続けた。それが祖父との最後の会話。普段からお小遣いをくれるタイプの祖父ではなかったのでとても堪えた。仕事もして結婚もしているのに、やっぱりいつまでも孫は孫で、こどもなんだろう。

葬儀は多くの方が参列してくれ、いかに祖父が生前いろんな人に影響を及ぼしていたのかを知った。死に様とはまさにこのことか。改めて祖父の偉大さを知った。

通夜の後も、葬儀場の親族控室では大勢の親戚や近所の人が集まって思い出を語り合う。祖父は人が集まり賑やかなのが好きだったと懐かしみ、今皆が集まっていることを一番嬉しがっているだろうと笑い、各々心の別れに涙した。

私はずっと、祖父と最後にハイタッチをし忘れたことを後悔していた。もちろんハイタッチの有無が祖父の体調に直接関わっているとは信じていない。ルーティン化されていたので、心の整理の邪魔をしているだけだ。そう頭では分かっていても、祖父のいないソファーをみては祖父を感じ「あの時もしもハイタッチしていたら…」と無意味な考えを巡らせてしまう。


一回忌が近づいた頃、私は不思議な夢をみた。

実家に帰ると祖父が座っているのだ。元気な頃の祖父が。だが夢の中の私はかなり冷静で、「あれ?おじいちゃんなんでここにいるの?」と失礼な問いを投げかける。祖父も満更でもないという感じで「お盆だからだよ」と答えるのだ。「ふぅん。そうなんだ〜。おかえり」なんて軽く返し、祖父の帰宅により大慌てで食事の支度をしている祖母を手伝う。周りの親戚たちもいたってその事態を普通のことと受け入れており、違和感もなく祖父を囲っていた。

祖父の夢は時折みる。それも祖父と私との間での大事な節目になると。祖父が出てくる夢はいつも穏やかだ。私のよく知る祖父。夢の中で祖父は、亡くなっているが生きているという不思議な感覚を与えてくれる。

つぎは3回忌が来る。その近くになったら今度こそ夢の中で祖父とハイタッチをしたい。

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