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想いや理念を文章にできていない経営者、フリーランスの方に贈る思考。



 先日、お仕事でお世話になっている方が登壇されるオンラインセミナーにお招きいただき、ゲスト参加してきました。そこで図らずも、自分の理念を語ることとなり、お話しさせていただきました。


 理念などを記した書面を、一般的な用語でここでは事業計画書と呼ぶことにします。参加させていただいたセミナーの中で、『事業計画書を、どんなときに活用していますか?』というお話がありました。


 多かったのは、『教育に使っている』でした。至極当然のことと思います。従業員を抱えている経営者の方にとっては、自分が創った会社の存在意義を理解してもらわなければ、共に働くことは困難でしょう。その理念に則った現実世界での行動(お仕事)があるわけで、さらには取り巻く社会、環境は変化し続けていきます。当然、関わる人々も変化していくわけですから、教育に利用するというのは当たり前のことと理解しています。協力業者さんにも見せてご理解していただいた上でお仕事をお願いしている、という方もいました。素晴らしいことだと思いました。


 ではわたしはというと、個人事業主でちゃんと理念もありますが、いわゆる一人親方なので従業員はおりません。なので、教育という場面はありません。


 現状、わたしの場合は、

①何のために仕事をしているのかを見失いそうになるとき、中庸に踏みとどまる、軸に戻ってくるためのよすがとして、理念を思い出すようにしている。

②お客様にもわたしの考え方をご理解いただいた上でお仕事をさせていただきたいので、お話しさせていただくことがある。

 この2点です。


 しかしながらオンラインセミナーに参加してみて、自分の大切な軸となる想いを、成文化(文章化)できていない方がとても多いと改めて感じました。世間では副業がOKになってきているので、経営者だけでなく、会社員を続けながら自分のやりたいことをされている方も増えてきていると思います。


 この記事は、個人で活動しようとしている方、既にされている方、経営者の方に向けて、想いを言葉、文章にすることの大切さについて、わたしの経験を元にざっと書いていきます。


 解釈は自由ですが一個人の考えに過ぎません。
ご参考にしていただけたら幸いです。











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 人生における大切なことは多々あると思います。それは人によって確実に異なるでしょう。何が正解で何が不正解という話をしたいのではありません。千差万別の経験の中で、自分にとっての解を見つけていくのだと思いますし、これは生きていく上での醍醐味かもしれません。(実際、お仕事をさせていただいていて、『大切にしていることを聴く瞬間』が、一番好きだったりします。)


 ここで唐突にわたしの話になりますが、わたしは ”死生観” について考え、それが確立される時期が早熟だったと思います。


 生きるって何だろう。死ぬって何だろう。


 こんなことを考える時間が、(わたしの中での一般的な年齢より)早く訪れたように思います。祖父母に加え、同級生、幼馴染、実兄のように育った叔父など、あらゆる存在の死を経験し、そして一番最近では、父を看取りました。


 突然亡くなった場合を除き、入院や闘病をしている中で皆が口にする言葉は、  ”後悔” でした。


 『○○を食べに行きたかった』
 『あの人に会っておけばよかった』
 『あそこへもう一度行きたかった』
 『本当は○○がしたかったんだ…』


 小さなことから大きなことまで、語られる言葉の端々には後悔がありました。わたしはその人たちのすべてを知っていたわけではありません。理解できたわけではありません。もちろん、それなりには幸せだったと思います。正確には、幸せな瞬間はその人生のあらゆる場面にあったはずなのです。


 しかし、それでも思わずにはいられませんでした。
 『幸せだったのかな?』と。


 父は、65歳で亡くなりました。今の日本で考えたら、若いと思います。それでも、生まれてから65年という時間が、父には与えられていたのです。


 こんなに便利な世の中で、見渡せばやりたいことを全部叶えている人なんてたくさんいるのに、結果はともあれ、『やりたかったけれど、できなかった』というのは、言い訳でしかないと思います。こんなことを書くと、手厳しいと感じる方がいるかもしれません。嫌な氣持ちになったら申し訳ありませんが、それでも、本当はこういうことがしたかった、でも、家族がいる、仕事がある、だからできなかった…このような言葉を耳にすると、『本当にそうだったのかな?』と疑問に思います。現状はどうあれ、現在に至るまでのすべて、選んだのは自分だからです。自己の責任において選んだのだから、誰のせいにもできないですし、その選択をするたびに納得していたら、後悔はしないはずです。(そもそも後悔という概念がわたしからぶっ飛んでいるのかもしれませんが。ちなみに、本当に本当に心からしたいと思っていることが現実になっていない場合の真実(hana調べ)は、①現状を打破する、踏み出す勇氣がないだけ。②人目が氣になるだけ。③そもそも、本氣でそれをしたいと思っていない。)


 明日死ぬとわかっていても、やらなかったのでしょうか。本当に本当に、心からしたいことって、そんなもんでしょうか。


 こんなに後悔を口にする最期って、幸せだろうか。
 わたしは、こんなふうに生きていきたいだろうか



 ものすごく考えた時期がありました。特に父が逝ったとき、『この人がくれた命を、わたしは何に使えばいいんだろう』と、本氣で考えました。


 生き方を考えることは、とても大切なことだと思います。どんなふうに生きていきたい?誰と生きていきたい?どこで生きていきたい?挙げ出したらきりがないでしょう。これらを人生のどこかのタイミングで考える、あるいは何度でも考えることだってあるかもしれません。生き方を考え、決めること、腹を括ることはとても大切だとわたしは思います。


 しかし。
 死ぬその瞬間に、何を想って死にたいか?
 これを決めなければ、生き方なんて決まらないと思うのです。




 だからわたしは、死に様を、先に決めました。



 死因という意味ではありません笑。そんなものわかるわけありません笑。死ぬその瞬間に、何を想って死にたいか、ということです。




 めっちゃ楽しかったーーー!!!
 わたしの人生最高だった!!!
 ありがとうーーー!!!
 (うぇーーーい!!!)



 わたしは、こう思いながら、死にたいです。否、死にます笑。死ぬその瞬間の、心の在り方を先に決めました。


 『死ぬその瞬間、こう在りたい』に辿り着くと、あることに疑問を持ち始めました。仕事でした。わたしは建築のお仕事をしていました。大学もバリバリの理系、工学部、建築科。社会人としても建築の世界しか知りませんでした。建築のサラブレッドです笑。図面を描くことは大好きです。どうやったら創れるのか、空間を把握して考えることも大好きです。組織の一員だったので後輩の指導も任されました。リーダーもやりました。腹立つことならたくさんありましたが、なんだかんだ仕事は好きでした。


 でも、一度死に様を決めてしまった瞬間から、『じゃあ、hanaさんはさ、ずっとこの仕事をしていくの?』と何度自分に問いかけてみても、答えは Yes になりませんでした。


 じゃあ、何をしたいのか?すごくすごく、考えました。当時のわたしは、一生分の思考をしたと言っても過言ではないほど、考えました。でも、何をしたいのか、どうしたいのか、正直わかりませんでした。


 なぜか。


 自分のことを、思った以上に知らなかったからです。


 何が好きなのか。どんなことで喜ぶのか。何が嫌いなのか。何が譲れないのか。知らないことだらけでした。だから、何をしたいのか?を考える前に、自分を知ることからはじめました。さながら、自分で自分に恋するかのように、穴があくほど見つめ続けました。


 昔から無類の読書好きでした。ひいては言葉が好きでした。そして実は書くことも好きでした。(これは周りの方に指摘されたおかげで自覚できました。)誰かの役に立ちたいと思っているけれど、どうも、誰でもいいわけではないらしい。”世のため人のため”、”社会貢献”、のような言葉は素晴らしいと思う。けれど、どうもしっくりこない。範囲が広すぎてイメージしづらくて、残念ながらものすごく響くわけじゃない。それよりも身近な、手の届く範囲の人を幸せにしたい。ご縁をいただいた方を大事にしたいし、笑顔にしたい。 ”必要とされたい” と思っている。手の届く範囲すら幸せにできなければ他を幸せにはできないと思っている。身近な人の役に立てて、その人を通じてまた誰かが幸せになっていく、愛が循環していくことに喜びを感じる。何かを増やすこと、拡大することにさほど興味がない。目の前の人にちゃんと向き合いたい。大きな喜びよりも小さな喜びを積み重ねたい。些細な幸せに氣づいて喜んでいるときの自分が好き。できていないときは自分がブレているとき。大勢でわちゃわちゃするのも楽しめるけど、一人で過ごす時間、内省する時間がないと生きていけない。知らない場所へ出かけるのが好き。行き当たりばったりを攻略するのは割と好き。『やってみなきゃわかんないじゃん』が口癖。自分のことを話すより聴くほうが好き。出逢う人々が何のために生まれてきたのか、どんなお役割があるのか、使命、天命は何なのかにすごく興味がある。


 まだまだ書けますよ、なんせ穴があくほど見つめて恋しましたからね笑。こうしていろんな角度から自分を知ることで、どんどん正直になりました。なぜなら、死ぬ時に後悔するかもしれない生き方を、もう選べないからです。


 好きなことや大事にしていることがわかってきたら、自ずと決断できてしまうものです。建築は好きだけど、このままこの仕事をし続けて、死ぬ時に『何の後悔もありません!』とは言えないと思いました。もっと文章を書きたかった。言葉の海という世界観についてはまた改めてどこかで綴りたいと思いますが、深遠に繋がる誰か…それは、誰かのために利他の心で自分の使命を全うしようと生きている誰か…のために、この言葉を使いたい。稼ぐことはあらゆる意味において大事なことだと理解していますが、それが目的の方とは、お仕事をしたくない。目先の利益のために、曲げなければならない信念があるのは嫌でした。自らの使命、天命を理解している方というのは少ないですし、今わかっていてもわかっていなくても良いのですが、誰かのために自分に与えられた才能を使って心から楽しく生きている人は、美しい。それがどんなお仕事であっても、素晴らしい。そんな方のお手伝いがしたい。良縁に恵まれてほしい。自分を必要としている誰かと繋がってほしい。夢を叶えてほしい。そう思いました。もう一度書きますが、建築のお仕事は好きでした。でも、わたしの生きる目的を果たす手段は、建築ではないと悟った。だから、仕事をやめました。


 言葉は言霊です。不思議な力があります。目に見えない力があります。だからこそ言葉には正直でなければならないし、氣をつけなければならないし、信じて使うことが大切です。これを知らない人が多い。知ってほしいし、知った上で、言葉を好きになる人が増えてほしい。


 死に様を決めたら導かれるように、勝手にしたいことや生き方はわかるものなんだな、見えてくるものなんだなと大いに学びました。


 100万人の通りすがりに見てもらう言葉なんて要らない。たった一人でもいいから、自分にとって必要なご縁、良縁が結べる言葉があればそれで良い。わたしがしていることは、言葉を使った縁結びです。



 ご縁をいただいた方にはこのようにお伝えし、このわたしの理念、考え方をご理解くださる方とお仕事をさせていただいています。人手不足のとある業界で、継続してブログ発信のお手伝いをさせていただいたベンチャー企業の一人親方のお客様は、一年で2名の採用に繋がったと喜んでくださいました。面接に来られる皆さん、ブログを読んだと仰るそうです。ご自身のお人柄をなかなか表現できずにいた別のお客様も、『何をしている人かわからなかったけれど、ブログを読んで会ってみたいと思いました』というご連絡からご縁が繋がり、お仕事のご契約に繋がったそうです。


 こうやって、互いに必要とするたった一人と繋がることが、わたしは本当に本当に嬉しいのです。そうやって良縁に恵まれて、さらに誰かのため、社会のためにと邁進されていくお客様はみなさん本当にステキで、わたし自身もこんなステキな方々のお手伝いができることに本当に感謝していますし、恵まれていると思います。


 現代人はとにかく忙しい。でも、このための時間を、一時間でもいいからとってほしいのです。想いや理念を文章にする、可視化しておくことは、他ならぬ、あなたを助けてくれるものだからです。


 わたしは、会社員だったころからお仕事を断るのが苦手でした。信頼して頼んでくれているのに、断るなんて失礼だと思っていたからです。もちろん、今もそう思ってはいますが、残念ながら明らかに質の悪い仕事が回ってくることもありました。引き受けてから文句を言うのはもっと質が悪いのでやり切りますが、受ける前にちゃんと見極めることができていたらそもそも断れたし、その分他でクオリティの高いお仕事をご提供できたかもしれないな…と思い返す出来事はあります…苦笑。


 売り上げに関係するので、経営者にとってお仕事を断ることは勇氣の要ることかもしれません。『これを断ったら誰かにとられてしまって、永久にそこの仕事は回ってこないかもしれない』という心理もとてもよくわかります。わたしも悩むときがありますが、『この仕事を引き受けることは、わたしのしたいことと合致するだろうか?この人のためになるのだろうか?』という目線で判断しています。


 たとえばお付き合いでお願いされることって、断りにくいときがありますよね…笑。たとえ本業とは少し逸れてもおもしろそうだったり、本当に困っているのなら手伝っても良いのですが、なんとなく乗り氣がしなかったり、トラブルになりそうな予感というものが漂っていたりすると、結果的にやはり上手くいかなかったケースのほうが多いです。頭で考えるより自分の直感に従ったほうが良いというのも一つの真理なのですが、あとから分析してみるとやはり、心からしたいことではなかったり、その人のためにならないことだったりしました。


 今は、たとえばブログのPV数を伸ばしたいとか、たくさんの人に見てもらいたい、というご依頼であれば、他のライターさんを探してください、なぜならわたしがしていることはあなたが求めていることではないからです、とお断りします。結果的に多くの方に読んでもらえるのはありがたいことですが、それがまず最初の目的になってしまうのはいただけません。SEOがどうとかマーケティングがどうとか、そこも大事なのはわかりますが、あなたとちゃんとご縁がある人は、どんな媒体であれあなたの発信をしっかり見ています。そして、正直に、素直に、格好つけることなく書かれたありのままのあなたを好きになってくれる人こそが、あなたとご縁のある人なのであって、誰でもいいわけではないはずです。口当たりの良い文章、とっつきやすい文章、バズる文章…いくらでも書ける人がいます。それを売りにしてライターを育てていたり、ノウハウを教えてくれる場所もあります。通りすがりの100万人に読まれる文章が必要ですか?たった一人にでも確実に届く文章が必要ですか?誰でもいつでも食べに行ける質より量に応えるお店になりたいのか、わざわざ足を運んででも食べに行きたいと思ってもらえるここにしかないお店になりたいのか、どちらがいいですか?という話です。前者を求められているのなら、わたしはお役に立てません。だからお断りします。わたしはそんな文章を書くことに、1ミリも興味がないのです。 


 こうしてはっきりと自分が大切にしていることを述べることも、ご縁を結ぶために必要です。したくないことを積み重ねて、死ぬ時に、『楽しかった!』とは当然言えません。このように、自分の存在意義…事業の存在意義を明確にしておくことは、何かの折に必ず自分のよすがとして、あなたを助けてくれるものになります。判断に迷うことも少なくなります。自分の生きたい道を行かせてくれます。だからご自身でお仕事をされている方が、想いや理念を文章にすることは、一日でも早いほうが良いのです。














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 ■自分で何かしてみたいと思っているけれど、まだよくわからない方たちへ


 いろいろなアプローチがありますが、ここまで読んでもし共感してくださったのなら、まずはゴールを決めてみてください。人生のゴールです。つまり、死ぬ時のこと。考えたこともないかもしれませんが、このままじゃ後悔するだろうな、と少しでも思うなら、今この瞬間からでも、生き方は変えられます。わたしのように、


 めっちゃ楽しかったーーー!!!
 わたしの人生最高だった!!!
 ありがとうーーー!!!
 (うぇーーーい!!!)


 こんなふうに思って死にたいと思ったのなら、自分に恋してください。心から楽しいと思えるものは何なのか、何が好きなのか、苦手なのか、あらゆることを知ってください。大丈夫です、諦めなければこの片想いは、いつか報われる日が来ます。だって相手は自分ですから笑。だから他人に恋するより簡単だし、安心です。


 ■やりたいことは明確だけどご自身の想いを言葉にできていない方たちへ


 言葉にするのが苦手な方はたくさんいます。あなただけではありませんので、まずはご安心を。男女問わず、年齢も関係ありません。しかし、事業をスタートさせるときや資金を集めたりするときに、その事業への想いを記した文書の用意は、ほとんどの場合、避けて通れません。語るだけではダメなのです。とくに一人親方で、文章化するところまで手が回らないという方はたくさんいます。重々理解していますが、まだできていない方はなるべく早く、作られることをおすすめします。


 僭越ながら、とくに書くのが苦手だと思っている方へのアドバイス。


 参考になるものなど探さずに、まずはめちゃくちゃでもいいから、とにかく自分の言葉で書くこと。このときに大事なのは、①自分の想いを書ききること。②自分を愛する氣持ちで書くこと。ナルシスト万歳です。


 PCに向かってもいいです。スマホのメモ機能でもいいです。ペンで紙に書き殴ってもいいです。とにかく、最初は自分の言葉で、とにかく書いてみること。自分のしたいことを自分が一番愛せないで、その事業で誰かを幸せにできるでしょうか?『自分がしていることは誰かを幸せにする、とても素晴らしいことなんだ!』という大袈裟でもいいから『わたしって最高!』という氣持ちで書くのと、『こんなんでいいんかしら…いや他にすごい人いっぱいおるしわたしなんて…』という氣持ちで書くのとでは、書ききったときの出来に雲泥の差があります。ですから、なかなか手をつけられていない人は、たとえばお仕事で嬉しいことがあったときなどに、勢いに任せて書いてみるといいかもしれません。


 『書かねばならぬ…ぐぬぬ…』という氣持ちではなく、本当に心から楽しくご自身の想いを『書ききった!』と思えるところまで書いたら、翌日、読み返してください。いいですか、ラブレターは ”翌日” 読み返すことが鉄則です。書いたら終わりではありません。書いたからこそ、わかることがあります。


 格好悪くてもいいんです。照れてもいいんです。誤字脱字なんてへっちゃらです。可愛いじゃないですか。語彙力のなさにへこんでもいいんです。昨日の自分からの愛を、とにかくありのまま、受け止めてください。


 もしも、『お!ステキなこと書いてるやん!』と思えたら、もうそれだけで完璧です。国語のテストではありませんから、ちょっとくらい日本語が変でもいいんです。自分の氣持ちを表現できたこと、伝えたいことが伝わることが、何よりも優先であり褒められるべきことです。しかし、事業計画書としてまとめておくなど、目下実用の予定がすぐにでもあるならば、読みやすさや言い回し等に注意して、ブラッシュアップしておきましょう。誰かに読んでもらうのもおすすめです。


 自分の想いを読んでみて、『あれ?こんなことがしたいんだっけ…?なんかあってるような、あってないような…』という方もいるでしょう(多くの方はここに該当します)。なぜここに陥るのかは人それぞれ異なりますが、代表的なものを挙げておきます。

①自分の氣持ちを表現するぴったりの言葉を使えていない(語彙力の問題)

②実は自分がしたいと思っていることと、実際にやっていることに乖離が生じていて混乱している(無自覚の場合あり)


 ①の場合は、『言いたいことはあるんだけど、なんかもやもやするのよ!こういうの、何て言うんだっけ!?』という人です(よく出会います笑)。本当は自分で書けたほうがいいですが、全員が全員できることなんて、この世の中にはありません。何だってそうです。自分で時間をかけて言葉を探すこともできますが、誰かの力を借りたほうが上手くいく場合も少なくありませんし、語彙力は数日にして養われるものではありませんので、お仕事として誰かに添削を依頼したり手伝ってもらいながら、ブラッシュアップしていきましょう。


 ②の場合は、ちょっと立ち止まる必要があります。『あれ、こんなことがしたいんだっけ…?』と思ってしまった方は、本当は思っていないことを書いている可能性があります。つまり、これがしたいと思っていたことが実はそうではなかった、あるいはしたいと思っていることが変わってしまった、などが挙げられます。これは個々人の話になってくるので一概に述べることは難しいのですが、たとえば世間体を意識して書いてしまっていたり、したいことと実際にやっていることが違っている場合は現状を否定したくない(今の自分を否定したくない)という心理的作用から素直に書くことができず、ご自身にしかわからないような『もやっとする文章』を書いている、という可能性もあります。いずれにせよ②に該当した場合は、ご自身の心と対話する時間が必要だと思います。


 ①にも②にも該当しない場合もありますが、それは個人的に話して引き出してみないとわからないケースが多いです。人間ですから、いろいろあります。身近な人に聞いてもらったり見てもらったりして、自分を客観的に分析してみましょう。


 いずれにせよ、書いてみないとわからなかったことが浮かび上がってくることには間違いありません。書くというアウトプットを通して、自分をインプットする。この作業を繰り返すことで、自分と仲良くなっていけますし、きちんと言葉にもなっていくのです。





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 以上が hana的、想いを言葉、文章にすることの大切さについて、でした。まだまだ書きたいことはありますが、今日のところはこれにて。いかがでしたか。ご感想いただけたら嬉しいです。


 今、わたしはとても幸せです。自分にできること、得意なこと、好きなことで誰かのお役に立つことができて、ありがとうと言っていただける。これってめちゃくちゃ贅沢だと思います。ライターとしてもそうですし、クリエイターとしても詩を書いたり創作したりと、好きなように好きなことを書いて過ごせています。世界を平和にするためには一人でできることなんて知れているけれど、誰かと共同創造することで、贈れる愛は大きくなります。誰かとの共同創造は、思いもよらないことを呼び、奇跡の連続で、本当に毎日が楽しいのです。出逢ってくださった方々には感謝しかありません。いつもありがとうございます。


 あなたは、どんな人とご縁を結び合いたいですか。たくさんお金を支払ってくれるお客様ですか。あなたのしたいことを理解してくれる人、応援してくれる人ですか。誰でもいいと思っている人ですか。あなたと働きたいと思ってくれる方ですか。どこでもいいから条件の良いところで働きたいと思っている求職者ですか。あなたのサービスや商品を愛してくれる人ですか。


 さまざまな考え方があります。正解も不正解もありませんが、わざわざ悪縁を結びたいと願う人はいないと思います。しかしどんなご縁が自分にとって良縁と言えるのか、考えたこともない方が多いように思います。


 何度でも書きますが、言葉は言霊です。不思議な力があります。確実にあなたを助けてくれるものですが、即効性のある薬ではありません。コツコツ積み重ねて、実を結ぶものです。心からしたいことがある、使命天命があるあなたのことを、探している人がいます。必要としている人がいます。諦めずに、ご自身の想いを言葉にしてみてください。そして、発信してみてください。


 長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。この文章は全体で10,494文字でした!いやあ、読んでもらえて嬉しいなー♪笑


 久しぶりに自分の記事でこれだけ書いたので書ききった感があります!(仕事そっちのけにして味わう充実の極み…笑)やっぱり、書くことが好きです。これからもこうやって、楽しく、人の想いに共鳴しながら、誰かの背中を押せる人でありたい。


 ご縁に感謝いたします。あなたにとって必要なご縁、ステキなご縁がありますように。心からお祈りいたしております。








flag *** hana


今日もありがとうございます♡




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