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re-move / 第一話【漫画原作部門応募作】

【あらすじ】
 たちばなあかりはドライヘッドスパサロン『re-moveムーブで働いている。頭を揉み解すことで疲労を回復させながら、究極の癒しへと誘うセラピストだ。彼女はこの仕事が大好きなのだが、ある能力を持つことを誰にも話せずにいた。それは施術のあいだ、彼女には『お客様の過去』が走馬灯のように"みえている"ということ。そして、後悔があまりにも強い場合……その『過去』へ直接憑依することができるということだった。
 その日のお客様は、サラリーマン【武田慎吾たけだしんご様】。その『過去』に憑依したあかりは、彼と共に過去をやり直そうとして……

re-move / 第一話 


case1:武田慎吾様
 
地下鉄の【青山一丁目】C2出口の階段を上がり、迷わなければ徒歩5分。駅周りのビル群を右に曲がり、お洒落なお店が建ち並ぶ通りを更に一本入った所に在る、メゾン・ド・プリズム101号室。
 外観にもだいぶ年季が入り、打ちっぱなしのコンクリートでできた外壁を覆うように蔦が這っていた。しかし、当時その界隈では有名だった建築家がデザインしたおかげなのか、その蔦さえもデザインの一部のように見えるから不思議だ。
 そんな築35年の集合住宅の一室に、半年前オープンしたのが私の勤めるサロン

re-moveムーブ

 いま人気の、睡眠の質改善に特化したリラクゼーション「ドライヘッドスパ」専門サロンだ。
 ドライヘッドスパとは、お客様の髪の毛を洗ったり、オイルなどを使ったりもせずに頭をマッサージするというヘッドスパ。セラピストの手技だけで、お客様は究極のリラックス状態へと達し、施術開始から ものの数分で眠ってしまう。極限状態から眠りに「堕ちた」うえに、そこに頭皮へのアプローチが加わることで、目覚める頃には「生まれ変わったかのようにリフレッシュできる」と、幅広い世代に人気がでている。
 『re-move』という店名をつけたオーナーは、この店名に「施術を受け、日頃の疲れを癒したら、また新たに動き出せるように」という想いを込めたと言っていた。

 2階建て8部屋だった集合住宅を4店舗にリノベーションして貸し出されたメゾン・ド・プリズムには、うちのサロンの他に、美容室とネイルサロンがそれぞれ一店舗ずつ入居していた。残る一部屋はというと、少し怪しいスピリチュアルサロン『ハピネス』なのだが……まあ、このメゾン・ド・プリズムは、リノベーションして【複合型リラクゼーションサロン】に生まれ変わったといえよう。

 オープンから半年経っても、この「re-move」には定期の顧客が増えていない。だから、今のところ大半がご新規様。そのせいで道一本入った、よく言えば「隠れ家」的なこのお店までは、お客様のほとんどが、スマホのマップを頼りにやってくるようだ。
 16時からのご予約は、【武田慎吾たけだしんご様】か。
えっと?ああ、ご新規様で、ネット予約ね……年齢は25歳っと。うーん、この時間の予約ってことは、外回り営業のサラリーマンかしら?
 受付にあるパソコンで予約状況を確認すると、私は自分にあてがわれている個室に戻り、麺類ばかりをアップしてくれる お気に入りのアカウントをチェックしながら待つことにした。
 夕飯にはちょっと重いけど……そこには豚骨ラーメンが非常に魅力的に写っている。あー、でも、柚子蕎麦も捨てがたい。



 15時58分。そろそろご来店してもおかしくない時間だな……と思ってた矢先、「ピンポーン」という昔ながらの音でインターホンが鳴った。
 私は慌ててスマホのマナーモードがサイレントになっているかを再確認し、それを鞄へと放り込むと、個室の入り口に貼り付けてある丸鏡で前髪を直す。
 重めにおろした前髪はサラサラ感を残しつつ、セミロングの髪はシニヨンにまとめてある。目だけは二重でパッチリとしていて、万人受けする可愛さがあると自負していた。派手になりすぎないナチュラルメイクに、少し低めで残念な鼻を隠してくれるマスク。上手に見える身なりも、セラピストには欠かせないのだ。
「はーい、今開けますねっ!」
  お店のドアに鍵はかけていないのだけど、一見するとお店に見えない外観のせいか、彼は念のため、インターホンを鳴らしたんだと思う。ドアを開けると、ビジネスバッグを持ったスーツ姿の男性が、スマホを片手に視線を泳がせ、不安そうに立っていた。
 サラリーマンにしておくのは勿体無い。180センチはあると思われる身長と、長い手足。スラッと細身のスーツを着こなしているが、スーツに隠されたその身体はとても筋肉質だとみてとれる。
 髪質はコシのありそうな黒髪。それでいてサラサラとしていそうだ。ああ、指通りの良さそうな直毛……良き。学生時代にはきっと運動部だったはず。部活は……そうね、サッカーかしら?これで笑った時に八重歯が見えれば完璧。私の予想通りだとしたら、頭皮は少し乾燥気味で、毛穴は少し多めな気がする……。私は彼に触れた時の頭皮の感触を妄想し、「むふっ」と声が出そうになったのをグッと堪えた。
「……リムーブさんで、合ってますか?」
 訝しげにたずねられたので、一瞬、妄想がバレたのかと焦る。
「はいっ。お待ちしておりました。ご予約の武田様で宜しかったでしょうか?」
 しかし、私はプロフェッショナル。少し不安を覗かせながら首を傾げる彼にこの焦りを悟られないよう、いつも通りにこやかに、かつ、ご丁寧にお答えさせていただいた。
「あー良かった。ここら辺あまり来ないので、早めに来たのですが……かれこれ2、30分さ迷ってしまいました」
 安心した様に彼が笑みを浮かべると、その口元には妄想通りの八重歯が見える。
(八重歯きた~っ!!)
 いけない。妄想が次々と実現していくことに興奮を覚えながらも、平然と接客を続けなければ……
「店舗がわかり難くて申し訳ございません。皆さま結構迷われるみたいで……早速ですが、お部屋にご案内いたしますね。お履き物はそのままでお進みくださいっ」
 少し重いドアを片手で押さえながら、私は武田様をとびきりの笑顔で促した。



 住居用の2DKだった部屋を改装した店内は、受付と、その奥に小さい個室が3部屋用意してある。
 この店には今のところ、オープニングスタッフの募集で採用された 私とミチナさんだけがセラピストとして雇われている。後は……自分を「"元"セラピスト」だと言い張り、頑なに施術に入ってくれないオーナー。そんな3 人で、この店を運営していた。
 受付から入ってすぐ、一番手前の部屋を私が、真ん中は待機室がわり、そしてその奥の部屋をミチナさんが使っている。
 でもミチナさんは今日、「平日のど真ん中の水曜日だし、予約もしょぼいだろう」と踏んだからお休み。オーナーは最近、気が向いた時にふらっと差し入れを持って来るだけで 店にほとんど滞在することはない。
 そんなわけで今日はミチナさんもお休みだし、オーナーもおそらく来ることはないだろう。
「手前のお部屋へどうぞ……」
 私は 受付のカウンターに用意しておいたカウンセリング用紙を手にとると、武田様の後に続いて部屋に入った。
「お荷物は、よろしければこちらへどうぞ。ご面倒でなければお部屋着ご用意ございますが、お着替えされますか?」
 部屋の中心に置いてある リクライニングソファーの横で立ち竦んだままの彼の足元に、荷物用の籠を置きながらお伺いを立てる。
「あー、いや。着替えなくて大丈夫っす」
 そう答えてくれた彼は、遠慮がちな笑みをうかべていた。
(あー早く頭触りたい……)
 はやる気持ちを押さえながら、ウズウズする指に力を入れた。いくらこの仕事に慣れてきたからといっても、ご案内はちゃんと毎回しないといけない。
「では、お履き物をお脱ぎになられましたら、こちらのお椅子へおかけください。上着はこちらにお掛けしておきますね……」
 少し早口で、でも聞き取りやすい声のトーンを意識して、きちんと端的に説明する。リラクゼーションサロンの接客にしては、少しさっぱりし過ぎている様な気もする。しかし、スムーズでスピーディーなご案内は、早く施術を始めるためには必須なのだ。
 実は、私が勝手に編み出したこの「スムーズでスピーディーなご案内」こそ、私のことを「ベテランセラピストなのだろう」と、お客様に錯覚させる効果があるらしい。それは施術後のアンケートをみても明らかで、この接客方は意外と皆さまに好評価いただけているみたいだった。
(……本当は早く頭に触りたくて、ウズウズしているだけなんだけど)
 さっさとカウンセリングを終わらせて 施術に入りたい。そんな風に「大事な流れさえをもすっ飛ばしたい」という欲求を堪えながら立ち上がると、自分の胸元につけたシルバーの名札に刻印された『セラピスト・たちばなあかり』という文字が目に入った。
 そんでもって改めて思う。本当にこの「セラピスト」という仕事は、やっぱり私にとっての天職だ。
 とりわけこの「ドライヘッドスパ」の施術が、それはもうかなり、変態的要素を持ち合わせる程に、好きだ。



 あの日の夜。
 テレビの中では、『ドライヘッドスパ』を一躍有名にしたお店の『セラピスト』だという、とても綺麗なお姉さんが、その施術でアイドルを眠らせていた。
 これが全ての始まりだった。
 途端に立ち上がった私は、テレビに向かって「これだっ」と叫んだ。その声は、一人で暮らしている1DKの部屋で出すには少々大きすぎたらしく、隣の部屋の住人からは、テレビの後ろの壁を「ドカッ」と叩かれるというお叱りを受けた。
 ヘアメイクの専門学校を卒業後、私は学校の紹介で就職。そこからの3年間、デパート直営の化粧品売場で美容部員をしていた。そこで真面目に働くあいだ、途中店舗を移動しても、ちょっとだけ昇進して役職が付いても、なんだか満たされない日々を送っていた。そんな時に出会った『ドライヘッドスパ』は、今までなんとなくで生きてきた私を、とんでもなく突き動かす。
 居ても立ってもいられなくなった私は、転職先が決まるより先に会社に辞表を提出した。その次の日、信じられない様なタイミングで『re-move』のオープニングスタッフの募集が出た。
 絶対に受かるという「確信」と、全くの未経験であるという「不安」に揺れて、オーナーとの面接の最中、私の身体も実際に揺れて、ずっとぶるぶると震え続けていた。そんな私のどこを気に入ったのかわからない。けど、面接が終わる頃には、オーナーから「バンビちゃん」と呼ばれ、悪そうな笑顔と一緒にその場で「合格」の一言をいただいた。
 このオーナーはただ者ではなさそうだ。でも、これは運命的なことのほんの一部で、私はきっと「ドライヘッドスパ」の才能を持って生まれてきたんだと思う。
 入社後のオーナー自らが講師とモデルを兼任するという、色んな意味でハードな実技研修において、私はまるで過去に一度取得したことのある技術かのように、すんなりと施術の流れを習得したのだった。
 オーナーとミチナさんに褒められまくり、単純な私は、「やっぱりこれが、私の天職だったんだ」と確信した。

 とはいえ未経験セラピストなのだから、研修を修了した後も自主練は欠かさなかった。友達に片っ端から声をかけ、時間の許す限り頭を触らせてもらった。更には、その行き帰りの電車の中で、座っている老若男女誰彼構わず、多種多様なその頭を妄想の中で触りまくった。髪の毛の指通りや皮膚の感触を想像し、妄想の中で手あたり次第揉みほぐす。
 私の記憶をどんなに遡ってみても、こんなにワクワクして 熱中できることなど、今まで何一つなかった。
…………
……
「○※△£×……で、………だったりするので、そこが気になるのと……まだパソコンの仕事に慣れていないので、目が重くて疲れている感じがします……」
 はっ……いけない。カウンセリング中である事をすっかり忘れていた。
 まぁ実際、カウンセリングで聞いたことはあまり参考にしていないし、うん。良しとしよう。それに、無意識のままカウンセリングを続けていたとは……私もなかなかの手練れになったもんだ。
「かしこまりました……眼精疲労ですね。お仕事でパソコンをお使いになるとすると、余計お辛いですよね……お話を聞く限りでは、肩周りもこってらっしゃると思いますので、ご予約通り、デコルテから肩周りをプラスした90分のコースで宜しいですか?」
「はい。それで、お願いします」
 その返事にはまだ少し緊張感が残っているようだった。
 もうちょっとこっちに委ね気味できてくれるとやり易いのだけど。あまりリラクゼーションサロンに通うようなタイプじゃなさそうだもんね、うん。まあ、しょうがない……。私はタイマーを90分にセットしながら、そんな事を考えていた。
「ふふっ。緊張してます?痛いことはしないので、安心して眠ってくださいね」
 彼の緊張を和らげるべく、さっきまでよりも少しだけフレンドリーに話しかけながら、リクライニングソファーをそっと倒す。
 タイマーのスタートボタンを押すと、この雰囲気には全くそぐわない「ピッ」という電子音が部屋に響いた。
 蚊の鳴く様な声色で「胸元に失礼します」とお声がけをしながら、デコルテの上へと丁寧にタオルをセッティングする。
 その流れを崩さぬまま、鎖骨と肩の間に自分の体重を預け、肩周りから順に解していく。乗りかかる様にして圧をかければ、ソファーの軋む音がする。身体の強張りは徐々に緩んできて、彼がリラックスしはじめたのがわかる。
「お顔にもタオルを失礼いたします」
 そんな説明はもう彼に聞こえていなくても良い。少しだけタオルをめくりあげ、彼の目元にかかっている前髪を、手の平全体を使ってそっとよけた。

 ──大きく深呼吸をすると、タオル越しの額に両手を重ね じんわりと自分の体温を伝える。ゆったりとしたリズムにのせて、彼の感触を指先で捉える。すると、お互いの体温は融け合いはじめ、呼吸も重なり──

 目を閉じていても、いま彼の頭のどこを触っているのかがわかる。顔に乗せたタオルを通り越した私の指紋が、彼の額にある薄い筋膜に印をつける。彼の呼吸に合わせながら、流れるように、さっきつけた印を辿る。やがて私の指先は彼の額へと沈み込み、二人の呼吸は完全に重なると、一人分の呼吸になっていく……
 こうして彼と私の境界線がなくなると、いつものように私の全く知らないストーリーが、走馬燈みたいに流れ始めた。

…………
……

──ずっと遠くまで広がり続けている芝生と、誰かの足元だけが見えた。
「見て?一丁前に蹴ろうとしてるわ」
「流石は俺の息子だな。慎吾もサッカーが好きなんだよ……しっかし、まだ歩き始めたばかりでボールを蹴ろうとするなんて、こいつは天才かもしれない。将来、サッカー日本代表入り決定だ!」
 足下に視線が落ちると、そこにはサッカーボールと呼ぶには大き過ぎるボールが転がっていた。大きな手の平がわしゃわしゃと頭を撫でてくる……くすぐったいけど心地良かった──

──小雨の降る夕方、さっきよりも小さくなったサッカーボールめがけて無我夢中で走っている。敵なのか?味方なのか?コート内の子供全員がそのボールに群がってきて、スイカの皮と泥の混じったような臭いがしていた。汗と雨でぐちょぐちょのドロドロになっているのに……なんだか楽しくて仕方がない──

──ランドセルを放り投げ、ダイニングテーブルに並んだおにぎりを頬張る。具のない塩おにぎりがとてつもなく美味い。2個目にかぶり付きながら、急いで外に飛び出した。また少し小さくなったサッカーボールをチャリの前かごに押込んで、がむしゃらにペダルを漕いでグラウンドを目指す──

──ぶかぶかの学ランをもて余しながら、校庭を横目に一人で帰る。サッカー部の顧問の姿は、校庭のどこにも見当たらなかった。サッカー部の奴らは顧問不在をいいことに、基礎練なんてしないまま、好き勝手にゲームを始めている。
「まだ、アップすらしてないだろ……」
 思わずそう呟くと、なんだか無性に苛ついてきた……そんな憤りは振り切ってしまいたくて、一心不乱に走り出す──

──身体中が痛くて眠れない。この痛みは、今日の試合で出来たアザやすり傷の痛みを凌駕している。肘も膝も足首も、ミシミシと音を立てていた──

──机に頬杖をつくと、短くなった学ランの袖が、肘の辺りまでしかなくて手首が寒い。古文なんかこの先の人生に必要なのだろうか?もう高校は決まっているし、早くサッカーしてぇな……中庭をぼんやりと眺めながら、襲い来る睡魔と戦っている──

──いったい何人いるんだよ?並べられたグラウンドには100人近いチームメイトがいる。強豪校とはいえ、ちょっと多すぎだろ?とりあえずはこの中で勝ち続けないといけないのか……はぁ。誰とも仲良くなれる気がしねぇ──

──笑いが止まらなくて、腹筋が痛い。
「まじで、お前っ何回その話すんの?」
「あんだよ?シンゴ、この話大好きデショ?」
 細長いベンチをまたいで座っている。向かい合わせに座るアツシが、いつもみたいにニヤニヤしていた──

──天を仰ぐと、馬鹿みたいな太陽がギラギラと眩しい。
「オフなんていつぶりだよ?」
「ヘタしたらこの夏、これが最初で最後だぜ?」
 ただでさえ蒸し暑いっていうのに、アツシがドスンと肩に乗りかかってきた。
「ってかアツシ、カナはほっといていーのかよ?」
 そんなアツシを振り払いながら、顔がにやけてしまうのがわかる。
「あん?てめぇ。俺はこの先、モデルとしか付き合わねーって決めたの。私、もう自分の安売りなんてしないっ」
「……きもっ。何だよそのセリフみたいなやつ」
「っけ、うるせえな……つーか、シンゴこそ。杏ちゃんどーしたよ?」
「それ聞いちゃう?もう、俺には難解すぎて。オンナノコとの付き合い方って授業受けてないんだからしょうがねーよな?……あの日、何もしなかったんだよ……俺。そしたらなんかキレられた。もう……僕、オンナノコこわい……」
「ははっ。わかるわぁ……こうなったら俺ら、夢に生きるしかねーな?」
 さっき振りほどいたはずの腕を、再びこの肩にドスンと乗せて、アツシがしたり顔で覗き込んでくる。
「今日なに?なんか異常にキモいんだけど……アオハルかよ?」
……真夏のアツシはいつもより更に暑苦しいけど、アツシの隣でこうしているのが一番居心地良い気がしてる──

──毎日。いや、ここ何年も。とりあえずこの試合の為にやって来たんだ。今日もし出なかったら、スタメンに選ばれるかも怪しいんだぞ?くそっ……たかが違和感くらいだろ?
 頭を抱えながらいつものベンチをまたいで丸まっていた。今日のベンチは、いつもにも増して固い気がした──

──大丈夫。ちょい疲れが溜まってるだけ。相手の動きも読めてるし、監督も珍しく機嫌が良い。練習試合とはいえ、良いアピール出来てる……と思っていたのに。
「っつ!は?何だ?……痛い」
 途端に湿っぽい芝の感触に包まれ、意識が遠のいていく。焦点が定まらない視界には俺を覗き込む影がぼんやりと映りこんでいた──

──痛い……痛い。痛い。痛い。下半身が一つになったみたいに全部が痛い。何だこれ?どこが痛いかもよくわかんねぇ。それにここは……グラウンドじゃない。
「衝撃で気を失ってたんだ」
 聞き慣れた声がして、どうにかその方向に首を向けると、そこにはあしたのジョーばりに項垂れて座るアツシがいた。
「今先生呼んでくるから、待ってろよ……」
 はあ?なんだよ。暗すぎるだろ?……おかしなテンションになったアツシの背中を見送りながら、とてつもなく嫌な予感に支配された──

──目の前に座る白衣の女は、他人の気持ちなんか知ったこっちゃねぇとばかりに、ただただ淡々とこの怪我についての説明を続けている。
「……というわけで、手術になりますね」
 こんだけオオゴトなんだから、手術することぐらいは誰にでもわかるって。手術をすればこの怪我は治って、リハビリをちゃんと頑張れば、年内には復帰できてどーのこーの。んなのは知ってる……今すぐ治るくらいじゃなきゃ、手術したってなんの意味もないんだよ──

──タイトなシルエットのスーツは、控えめに言っても俺によく似合っていた。
「背もお高いし、とってもお似合いになりますよ。このシルエットは今すごい流行ってるんですけど……細身で縦長にデザインされていますので、若い方でもこんなに着こなせる方はあまりいなくて~」
 肩の辺りを整えながら、鏡越しのお姉さんが微笑んでる。このデザインは気に入ったけどさ、リクルートスーツにしてはちょっと攻めすぎじゃないか?……あーあ、それにしてもこの太腿、すげえ細くなっちったな──

──ギュっと目を閉じると、パソコンの画面みたいな四角い光の跡が見える。こんだけ同じことの繰り返しって、毎日の再現率高すぎな?打ち込む文章は違う筈なのに。なんだこれ、デジャ・ビュかよ。このあとはいつも通りメシ食って、外回り行って……そのまま直帰出来たらラッキー、か──
 走馬灯はそのシーンで一時停止すると、無理やり自分のカラダに引き戻されるような感覚がした。
(あっ……落ちる……)
 次の瞬間、目を閉じたままでいる私の「視界」はぐわんぐわんと廻りながら、深い闇の中へと落ちていった。



 気が付くとそこは、みたことのあるロッカールームだった。
(ああ。やっぱりここか……)
 『私』は、細長いベンチをまたいで座り頭を抱えている。さっきよりもハッキリとした視界には、自分の手の平しか映っていない。酸っぱいような、苦いような。その場所は、そんな泥臭い汗の匂いで満ちていた。
「毎日。いや、ここ何年も。とりあえずこの試合の為にやって来たんだ。今日もし出なかったら、スタメンに選ばれるかも怪しいんだぞ?くそっ……たかが違和感くらいだろ?」
 彼の思考が自然と流れ込んでくる。
(んー?どうしたものか?……とりあえず、詳しい状況から探るかな?)
「ねえ、いつもと何が違うの?」
 いつまでも悶々としていたって埒が明かない。私はとりあえず今思ったことを率直に聞いてみた。
「うーわっ!」
 首を竦めながら、このカラダが飛び上がる。背中辺りがゾワゾワする。ぶんぶんと腕を振り回し、何かを必死で追い払おうとしている。
「何?誰……?」
 背後を取られたくないというのは、もしかしたら人間の本能なのかな?頭の中から直接話しかけると、だいたいの人がこうゆう動きをする。このカラダの主導権を握っている『彼』も、しきりに背中を気にしながら、クルクルとその場で回っていた。
 まあ、このロッカールームには、彼の他には誰もいないのだから。そうだよね、ビビるのも当たり前だわ……ごめんよ。

──そう。私は施術中の『彼』……武田慎吾様の過去に憑依している。

「大丈夫だよ。天の声?みたいなやつだと思ってさ、ほら?」
 彼のカラダが恐怖で縮こまっていくのを感じ、軽い口調に切り替えた。
「えっ?えっ?なになに?もう……なんだよお」
 ずいぶんと弱々しい声が出た。このカラダは強ばってその場に立ち尽くしてしまう。手も足も開いたままなのに、首だけはまだ竦めたまま。あーあ、情けない仁王立かよ?せっかくのイケメンが台無しだ。
 この状況、誰にも見られてなくてよかったね?
 なんて、そんなこと言ってる場合じゃない。そんなに時間があるわけじゃないんだ。私の存在に慣れされるだけで終わっちゃったら、そんなの元も子もない。
「ねーねー、何かいつもと違うんでしょ?何が違うっていうんだよ~?」
 私は一足お先に気を取り直し、改めて質問を続けてみた。
「おうっ……」
 すると彼は、返事とも相槌とも言えない様な声を出し、このカラダはよたよたとベンチに座り直す。
 まだ戸惑っているのだろう、狭いロッカールームの中で視線を右往左往させるもんだから、ちょっと酔いそう。何だか気持ち悪くなってきた……
(えっ?何?幽霊とかに乗り移られたんじゃ無いよね?俺の考えてる事、全部わかっちゃってる感じ?)
「うんっ。その思考はわかるのだけどね、ここまでの経緯は、端折られてしまうとわからないのだよ……」
 ここまできての接客口調ではあまりに白々しいし、それに、なんとなく私だってバレたくなかったから、素の口調で話しかけることにしてみた。
「とりあえず。いまキミが迷っていることについて、具体的に教えてよ?」
(うー、変なのを呼び出しちゃうくらい、俺ってば追いつめられてたのか……)
「変なの…って?もしかして私のこと?」
(あっ……スイマセン。ヘンナノジャナイです)
「うん。そうだよね?まあ、あれだ。天使的なのを想像してもらえると嬉しいな?」
(ああ、はい……っと、自分、小さい頃からずっとサッカーやってるんっすけど)
「あれ?天使スルー?ってかその辺は知ってるから。端折って良し」
 ずっとサッカーをしてきたってことは、さっきの走馬灯で散々みてきたし。ってかなんなら、彼が来店した時点で、元サッカー部かな?くらいの予想もしてたしね。
 何はともあれ、フレンドリー作戦は功を奏したようだ。なんとか無事に、彼もこの状況に慣れ始めているみたいだった。


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#創作大賞2023 #漫画原作部門


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