子供心

最近子供を見ることが多い。首都圏の、いわゆる「住みやすい街」と呼ばれる街ではファミリー層が定住していることが多い。最近その子供たちを見かけて気になったことがある。

子供というのはだいたいどこでも同じような挙動をしている。世間一般の向こう見ずで自由奔放なイメージとは裏腹に子供は驚くほど人の顔色を観察し、落ち着いた行動をしている。騒ぎ立て我を忘れる大人とそれを静かに傍観する子供という構図を見てからは、子供っぽいという形容詞は大人のためにあるのではないかと思い始めた。おそらく生まれながらにして「大人っぽい」子どもは教育や社会の洗礼や洗脳を受けながら大人になるために「子供っぽく」なっていくのであろう。

子供はファンタジーの世界に生きているというのは多分大人が作り出したファンタジーなのだろう。子供心を忘れなければ常に笑顔でいられるという一般的認識とは裏腹に、子供は意外と真顔で、大人は意外とニコニコしている。常識や知識は距離を置いて向き合えなければ呪縛となり色眼鏡となる。子供心が大事なのだとしたら、それは感じたものをそのまんま受け止める、繊細で柔軟な感性を持った心なのだと思う。

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