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ダーウィンルーム講演会 南方熊楠とダーウィン

ダーウィンルームとは


今月24日、下北沢でダーウィンルームの公演があった。ダーウィンルームとは武蔵野美術大学で教鞭をとっていたデザイナーの清水隆夫さんがかつて経営していた博物学カフェである。下北沢の再開発のとき、建物が取り壊しになり、他のところに移った。しかし地上げ屋のよってこの土地をとられ、再建中にある。「教養の再生」をミッションにしており社会教育活動であるため現在、北沢総合支所のスカイラウンジという公民館を月一回、借りて運営している。創業ごろから武蔵野美術大学との関わりで、文化人類学者関野吉晴先生が企画公演によくきている。

熊楠とダーウィン

・ダーウィン

遡ればカンブリア期にはさまざまな動物が海中に増えてきた。多くの人々は当時の生物について動物ばかりを見る。しかしこの動物が生存している根源には着目されていない。この時代から動物は食物連鎖の中におり、この食物連鎖も動物の生存も植物にさらされている。 
私たちの地球に住む生物うち哺乳類と鳥類の半分以上が家畜であり、植物は農作物で閉めている。非常に環境負荷が高い状況にあり、生物多様性があやうい。
 この生物の歴史や食物連鎖が研究され始めたのは産業革命の時代である。旧大英帝国では、産業革命のころ、科学と博物館が民衆の娯楽だった。このようなイギリスにダーウィンは生まれた。彼は博物館(含む動物園、水族館)で学問研鑽した経験がある。気候学者ケッペンに憧れカナリヤ諸島の調査に挑んだもののカナリア諸島へ行けず、ビーグル号でブラジルへいき生物調査を始めた。「進化論」を提唱した。彼の進化論の世界観はキリスト教にも影響を与えた。進化論にすり合わせた「キリスト教観」がうまれた。そしてダーウィンの進化論は世界中へ出版され南方熊楠に影響を与えた。

南方熊楠は紀伊半島の酒屋で生まれ、東大を卒業してから、イギリス留学をした。イギリス留学先では大英博物館、大英図書館に足を運び、イギリスの科学雑誌にさまざまな論考を投稿した。その中でも科学雑誌ネイチャーに東洋の星座を紹介している。帰国後は在野研究者として植物採取に没頭しいく。イギリスの学者に手紙と標本を届けて鑑別を依頼しいくつかの新種を発見した。なおこの頃であるが、柳宗悦とも交流があり、モノの民族誌、科学を超越した存在である妖怪や幽霊などにも興味があったようだ。実家がある紀伊半島で粘菌、動植物の研究、昭和天皇の植物観察の手伝いなどを行っていた。

私の博物館学研究につながる熊楠の曼荼羅

この時期、熊楠は友人の手紙で博物学と仏教の宇宙観を組み合わせた世界観を構想し、いわゆる「熊楠曼荼羅」を描いた。一番有名なのは殴り書きで、人間を中心にさま様な存在が結ばれているネットーワークの世界図であるが、このほかに学術の間ではもう一つ大日如来を中心とする「金剛界曼荼羅」を同心円の中心にして中核の一番近い外側に「胎蔵界曼荼羅」、この外側に博物学の世界、その最も外れている外側に科学で解明できない人類未到の存在という図が描かれている。この曼荼羅が描かれた背景には熊楠の生家がある紀伊半島は真言宗の総本山高野山との関係がある。ある高野山の高僧に出会い交流していく中で施策にふけていた。けれどもその前に書かれた25歳ごろの書簡を見ると、近代科学の枠組みとなるモノ(ヒトの認識)VS自然の中間にあるコトへの関心から始まったようである。
 ダーウィンルームの会場でのパネリストの会話で知った時、私ははっと気がついた。自然の客観的事実と人間の認識の接点となる「コト」としての博物研究は今の国立科学博物館の企画展だったグレートジャーニー展や国立民族学博物館の企画展「アマゾン展」の展示コンセプトに活かされていると気がついた。先住民族の生業を手がかりにアマゾンの生態系と野生動植物が展示されていた。俯瞰したアマゾンの世界観つまりエコシステムを表現している。このエコシステムをさらに深く観察すれば存在のネットワークつまり
仏教学でいう「縁起」によって成り立っている。熊楠は精神が物質的と宇宙と互いに延長しあっているコトに着目し深層心理を仏教哲学の「阿頼耶識」から探究してきた。
 私と熊楠と重なるところがある。私が学芸員を目指そうとしている契機に大雲和尚(奈良康明先生)の存在がある。モンゴルの文化財破壊を経験して日本から戻ってきたばかりの私はいつも通り大雲和尚の寺へ行き道元『正法眼蔵』「発菩提心」仏教の幸福論と環境思想法話を聞いた。この時にモンゴルの文化財破壊を伴う環境破壊と郊外のスラム街化のなかにあるゲルの内装が表象する仏教とシャマニズムの世界観と仏教の宗教的実践を語った。「世界にはこのような人々がいる。記録をとることが大事です」と教わった。この時が大雲和尚人生最後の法話であり、この法話を含めて私の遺偈となった。



またクレット島でシンボルになっているムタウ仏塔が大雨、気候変動で傾いて行く過程における文化財的価値を考察したことがある。この中で仏塔はそもそも科学が発達していなかった近代以前の人々は、深層心理を見つめることでその当時の科学では説明できない超越した存在を探究してきた。仏教もこの深層心理を探究してきた。この探究は「三界」と呼ばれる深層心理構造を仏塔で表現してきた。この仏塔の世界は仏教の宇宙観である。この宇宙観は仏教の生命倫理実践のプロセスを記した天親菩薩『浄土論』という大乗の名著に影響を与えた。私は熊楠とおなじくコトを仏教思想から考えている。

 ところが熊楠を例外として熊楠が生きていた時代は、近代科学思想がアジアへ到来してこの仏教の宇宙観とその生命倫理は御伽噺として否定されてきた。現在、博物館学芸員は主にアメリカ先住民の博物館を中心に先駆けて宗教哲学にもとづく存在論をパネルと資料を用いて展示するようになってきた。しかし産業革命頃から仏教が欧米に受け入れられてきたことを背景にこの逆効果として欧米から全ての仏教教学が文字化されており、アメリカ先住民の生命倫理研究と同等な扱いをされていない。私は博物館で仏教の生命倫理と生物多様性の危機が展示されていないという課題が山積していると感じる。

博物館再経営には、さまざまな利害関係:ステークスホルダーがあり、この利害関係者の合意形成に基づき、賛同者から寄付金がかかせない。というのもICOM(国際博物館会議)により博物館はNPOのため「配当金」を出さない代わりに、寄付金と社会貢献の評価によって経営されると規定されている。今後、私はクラウドファンドをやっていくつもりである。今後もよろしくお願いします

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