「Left」 楽曲紹介〜そのどこにでも存在する属性主義と知性の劣化
「総理と会食してペン貰った♪」
3、4年くらい前だっただろうか。朝食か夕食かまでは聞いてはいなかった。あるマイノリティの現状について多数の対象者に取材して連載記事を書いていた某新聞記者が「総理と会食してペン貰った♪」と、当時の取材対象の一人に向かって他意なく嬉しそうに話していた…という話を、やれらた本人から聞いてコケたことがあった。そこから今を見ると、決して朝食会は斬新なヤバさではないというヤバさに気づくのではあるが。この「コケた」についてはいちいち説明するまでもないが、念のため要約したい。
「マイノリティの現状について多数の対象者に取材して連載記事を書く」ということは、現状の政策、行政について何らかの意見を持っている人が取材対象になる可能性が高くなるのは当然予測できる。マイノリティは「それだけ」で半自動的にハンデを抱えやすい立場であるのはもちろん、たとえそうでなかったとしても(優位な位置にいる場合でも)、周囲にそういった者や何かしらの意見を持っている者が少なからず存在していて、本人の意志と関係なくそれらの問題に触れる機会自体が多いからだ。すなわちその記者も、半自動的にそういう現状や意見に向き合わざるを得ない作業をしていたわけで、事実その連載記事には差別や人権に触れた内容が多かった。にもかかわらず、彼はその取材対象を目の前にして、他意なく、またその人が驚いたりする可能性を全く予想もすることなく「総理と会食してペン貰った♪」と、喜んで報告していたのである。そんな想像力をも持ちあわせない者が記者として、人権がどうだの社会部所属だの今は政治部だのと宣いながら言論空間を闊歩し続けていると考えると、現代の病理として知られる「知性の劣化」の問題に触れずにはいられなくなる。
私はこんなアホが左側にもくまなく堂々と住んでいることに対し、昔からずっとどうにかせにゃならんと思っていた。これでもたぶん少しくらいはどうにかした、というか、いくらかやらかした方だと思うのだが、それはまた別の話として。
左側のおかしな記者の例をもう一つ。
「Left」はカルト左翼が生んだ楽曲?
10年ほど前の出来事である。ある地方都市で、あるアイヌによるアイヌ民族についての講演が開催されたときのことだ。会場に潜り込んで許可していない写真をパシャパシャ撮り、本人の許諾も得ず無断で新聞記事にするというとんでもない記者がいた。しかも講演の主旨や事実と全く違う内容になっていた。記事を見て大いに怒った講演者はその新聞社に抗議の電話をかけた。電話口にその「人権派記者」が現れ、
『私はアイヌのためにやってるんです』
と持論を展開してきた。
「いや、あなたの主張の話をしてるんじゃないんですよ。私は<勝手なことをしないで>と言ってるんですが!?」
『でもアイヌにとっていいことじゃないですか』
「アイヌにとっていいことかどうかを何故あなたが決めるんですか?」
『あなたは分かってないですね。私は若い頃から二風谷に行ったりしてアイヌのことを一所懸命勉強してきたんですよ?』
「(ほわぁぁぁ!?)」
という感じのやりとりである。その場に私もいたのだが、それはもう我が事のようにはらわたが煮えくりかえったものだった。
この手の話は決して珍しいわけではない。昔聞いた話だが、アイヌに接触して突然自分語りを展開し、ブログに相手の実名を出して「私の話に彼女は目に涙を浮かべていた」などと事実無根を書くというヤバい奴がいた。自分から声をかけてちょっと会話した程度だったはずなのにである。最近でもアイヌ民族の肖像権を無断使用して堂々とクラウドファンディングして、すぐさま撤回せざるを得なくなったアホもいた。パッと見、いかにも民族にとって良い企画!といった具合だった。ちょっとアンテナを貼ればこういったトンデモな話はその辺に転がっている。
ただ気を付けたいのは、彼らは決して「マイノリティから騙し取ってやろう」とか「俺のステータスに利用してやる」というような、悪意のあるワルではないということだ。
悪気が無いというのはタチが悪い。もちろん公平を期すれば(平等ではなく)、弱者やマイノリティは優先されるべきであるのは当然だ。しかし彼らに大抵共通しているのは、自分はマイノリティや弱者の味方であり、それに基づいた言質が自分の行動の免罪符になると思い込んでいるところである。
結論から先に言うと、彼らは属性というものが全ての根拠になるという、レイシストによく似た思考回路を持っているのである。
たとえばアイヌを指しての「素晴らしい民族」「是非広げたい」「一緒に闘いたい、支援します」「私はアイヌのためを思って…」などという言葉自体だけ見ると、確かに悪いイメージはない。もちろんこの中にヘイトや雑言は含まれていない。聞いた人はこれだけでは悪い気もしないだろう(この手の経験値のある人はこのいずれのキーワードでも聞いた刹那「そら来た!」と身構えてしまうが)。
ただし額面通りに受け取れば、である。このようなポジティブなキーワードに笑顔を添えて迫ってこられると、裏で病状が進行していても(持論の押し売りや、自分語りの強制聴講会が始まっても)、実被害が発生するまで気づかない人は気づかない。またそこに文化的価値や神秘性などが見いだされやすい要素が存在している場合、彼らが持論の根拠の材料として<スピリチュアルなるもの>を盛り込んでいくのも容易に想像できる。すなわち、エビデンスに乏しく、ロジックも脆弱ということである。それらよりも属性が根拠になってしまうということは、特に民族についての属性は生まれ持っての揺るぎないものであることが多いはずだから、確定さえすればそれだけで彼らの持論は彼らの中だけで何も寄せ付けなくなってしまうのだ。「アイヌは一切戦争などしなかった」「富士山のフジはフチから来ている」などという検証必須の妄説から検証を払い除け、そこから「だからアイヌは素晴らしい」まで飛躍することに疑念も抱かず、アイヌのよき理解者を自認して陶酔する…なんて感覚はかなりヤバいと言わざるを得ない。もし彼らにスローガンを与えるとすれば属性有理・連帯無罪といったところか。はっきり言って怖えぇぇぇ。
あともう一つ注意したいのは、これらの問題は何も取り巻きに限った話ではないということだ。先述の「自分はマイノリティや弱者の味方であり、それに基づいた言質が自分の行動の免罪符になる」から「の味方」の部分をカットして通用してしまう存在のことである。アイヌで言えばアイヌ自身のそういう人達である。本当に手に負えないし、前途多難だ。
ちなみに私は内々でこんな彼らをスピリチュアル・カルト、略してスピカルと呼んでいる。可愛い響きだがもちろん敬愛の念は微塵もない。
とりもなおさず左周辺にいるカルトは、権力よりもレイシストよりも、後ろから弓を引くことになるという意味では非常に厄介ということである。97年の新法以来、そういった「今後は地雷原が、左側からもより拡大していく」と懸念する者は極わずかだが存在していたが(と言っても自分以外に専門の研究者を一人くらいしか知らない)、残念ながら懸念通りのシーンを次々と目の当たりにすることになっていった。「人の良さにつけこまれる」という構図自体は結局何百年も変わっていないのかもしれない。また先述のように、自分も横に居て半分巻き込まれて腹が立ったこともたくさんあった。その実体験を元に怒りに任せて作ったのが、IMERUAT 1stアルバム「Black Ocean」に収録されている「Left」である。先述の「人権派記者」が終始登場する。
記者との電話バトルを再現…日本語訳初公開!
「Left」は曲中で、その事件において記者とIMERUATの相方ミナが電話でバトルをした内容を再現している。元々は日本語で歌詞(台本)を作ってそれを英訳したものだが、日本語の原詩は公開しておらず、また電話音声として音声を加工しているため、リスナーの多くが「何を言っているか分からない」まま聴いていたと思われる。そんなわけで本日は日本語版を見ながら改めて「Left」の苛立ちの世界を楽しんで頂きたい。
---「Left」日本語原詩---
Mina:Hello?? It's me again.
あのもしもし、さっきも電話した者ですが。
<間>
Journalist:hmm…well.. I don't understand why we can't just run the article about you in the paper.
はぁ、、どうして(新聞に)載せては駄目なのか、わからないんですけれども…。
M:Well, why would you do that without my permission? You've even changed my story. I don't remember giving you permission.
だからどうして無断で記事にするんですか?話まで勝手に変えて。取材を許可した覚えはありません。
J:But, this is a good thing for your people!
しかしこれはいいことですよ。民族のためになります。
M:How do you judge whether this is right or wrong? And if it`s right, does that really mean you can do anything you like?
いいことかどうか、どうしてあなたが判断するんですか?それにいいことだったら何をしてもいいんですか?
J:I've been researching and covering this issue for a long time. When I was a student, I met people in the same circumstances as you. And having had that experiences, I understand that it`s necessary to appeal to public.
私はこの問題に長い間取り組んできてですね…。学生時代もあなたのような境遇の人にたくさん会ったんですよ。それでこれは社会に訴えていかなきゃいけないことだと思いましてね…。
M:But, that`s just your opinion, isn't it?
でもそれはあなた個人の考えですよね?
J:No, it's not just mine. Most people are happy to get this kind of newspaper coverage.
そんなことないですよ。皆さん掲載すると喜ばれます。
<間>
J: It`s a matter of benefiting the public in Japan.
日本のためにもなります。
M:It doesn`t make me happy at all.
私は喜んでません。
J:Then what do you want? What point is there to appearing in public? It`s for your people, isn`t it?
ではどうしろというのですか?あなたはなぜそういう活動をしているのですか?あなたは人々のためにやっているんでしょう?
M:No! The problem is that you wrote about me for your article without my permission!
だーかーらー、私が問題にしているのは勝手に掲載した事です!
J:What`s wrong with my doing a good deed?
いいことをしてはいけないということですか。
M:Is writing about me in the paper without permission a good deed?
私を勝手に取り上げることがいいことなんですか?
2:33<歌>
I will take off my costume
to avoid being noticed
こびりついた鎧を脱ぐ
誰にも気付かれないように
3:46<歌>
When I am invisible
Will you still want me?
私が見えなくなっても(裸になっても・民族衣装を脱いでも)
まだ用があるの?(※下記参照)
J:Well, it`s too late now. This is the kind of thing that readers expect of me. Now if you`ll excuse me my boss is calling me…
掲載はもう済んだことです。いい反響ももらっています。編集長に呼ばれていますので…
M:Hello? Hello?
もしもし?(ええぇ…もう…!)
---終わり---
注:( )内のみレコーディングで追加した「日本語のセリフ」で、あとは全て元のまま。
問題は左か右かではない、知性の劣化である
歌詞の中の「※ When I am invisible / Will you still want me?(私が見えなくなっても まだ用があるの?)」の部分は、要約すると「アイヌがアイヌらしい衣装や行動をやめても、あなたは私を取材対象にするのか?しないでしょう。なぜならあなたはアイヌという属性にしか興味がないから」という怒りを表したものである。
そもそもで言えば、「Left」とか「Right」とかではなく、問題はアホであるということ、知性のなさということだ(最近よく聞かれるフレーズだが)。しかし「Left」をタイトルにしたのは、これまで書いてきたとおり、属性で決めつけてしまう属性主義者は左側にも多数存在しており、その意味では「日本は優秀、半島は劣等」などと宣うアホと変わらないが、後ろから弓を引いているという点で見方によっては遙かにヤバさを感じたからである。余談だが、タイトルにそうはっきりと示したように左翼を批判する内容の楽曲なのに、「あの時」に攻撃してきたのがネトウヨばっかりだったのはなかなか可笑しかった。ややもすればあなたたちの喜ぶ内容かもしれないのに、なるほどスタンスや主義主張ではなく、単純に知性の問題だとここでも思わされるのである。
そしてやはり翻訳は大事だと今になって思う。半年前に「Giant」の英語&日本語字幕付きバージョンを作っていい感じだったので、「Left」も日本語字幕付き版を用意したいと考えている。
もうひとつちなみに、タイトルは元々はストレートに「Left Wing」であったが、アルバムのプレス直前に「Left」に変更している。Wingを付けると、それはそれで属性主義的すぎると思ったからだろう(当時はそういった語彙を持っていたわけではないが)。あくまで記号として、示唆する意味でなければならないと考えた記憶がある。
閑話休題。
MVには様々な記事が登場する。中央上面にあるのは私が学生時代に組んでいたバンド「origin」の写真。
右派キャラのイラストは自分で描いた。DD論ではない、どちらにも爆弾は沢山あるという意味だったと思う。
音楽的解説…ポリリズムの意味するところ
さて、曲の誕生秘話とか政治的背景ばかりというのも何なので、音楽的なことも書いておきたい。とは言え、音楽的なことを書くにも曲の生まれた背景を語っておかなければ訳が分からんとことも多々あるもので、ここまで書いたことは決して無駄ではないとご理解いただきたい。その音楽的なことについては一つだけ「よし」と思っていることがある。
「ここまで見事なダマしのポリリズムのイントロは二度と書けないのではないか」と。イントロの4拍子のサイン波(「テラレラ/ッ・テラ/レラレッ/・・・・」)をそのままずっと追っかけていただきたい。イントロ部分では1小節ずつ単調に繰り返してるだけだが、6/8拍子の本編に入るとそのサイン派は全く変化を起こしてないのに、突如としてグルーヴ感を出す、合いの手をやる、それでいて一切邪魔をしない、と見事に躍動感を持って才能を開花させて聞こえてくるはず…である。「6/8拍子×4」の中にすっぽり「4/4拍子×3」が入るという構造自体は別段珍しいものではないが、イントロでは4拍子が1小節毎にしか機能していなかったはずが、3回の繰り替えしになるといずれも独立した機能を持ち始めているのである。
得意気に語っているように思われるかもしれないが、これは決して意図して出来たものではない。そもそも当時の制作過程もあまりよく覚えていない(ブチキレていたし)。ただ「必然」はあったと思う。後奏になってもこのフレーズだけが生き残り、劇中のあのカルト記者の「何を言われようと私の信念は変わりません」という憎たらしい態度に気づかされて終わるような構造は、電話を切られた後の唖然とした空気が表れている。コードを見ても、メジャーともマイナーともとれない、妙な無機質さもある。その彼に対してどうにかしようと、抗議や説得のような様々な要素(6/8拍子のメインとなる構造や、海外の電話によくある呼び出し音など)を用いて主人公のMinaが挑むが、逆にそれによって彼の「微動だにしなさ」が浮き彫りになるばかりである。ただ一箇所、途中、初めて歌になるところではそれら全ての要素が消え、Minaのそもそもの想いがクローズアップされたりはするものの、期待を吹き飛ばすような彼の「変わらぬ危険な信念」が何事もなかったかのように淡々と舞い戻ってきて、現実は尚も辛く続いていく。結局、最後まで鳴り続けているのは最初からずっと「なんら影響を受けない彼」だったという、なんとも腹立たしいエンディングを迎えるのである。…とまぁ、このイライラ感は非常によく表現できたと思う。もう一つ、私はこういう輩を見ると「1ミリも揺るがないカルトの精神」に対する恐怖から、極めて強い衝撃を与えたくなり、見境がなくなるように怒ってしまう悪癖があるのだが(怒るだけで実際にぶつけることはほとんどないだらしない人間なので安心していただきたい)、エンディングの最後の最後の音だけは「バカバカしい、ケッ!」と唾を吐きかけたように締められているのは、そういった自分なりの怒りを抑えた表現だったはずである。
…と、分析すると「そんなことまで考えて作ってるのか?」と思われるかもしれないが、これは大凡の部分が後付けの理論である。「気分がいいと明るい歌を歌っちゃうよね〜」とか「あまりの怒りで声が震えてくるわ…」みたいに、この記者との出口のないやりとりを表現しようとしたらミニマルなフレーズや、メジャーでもマイナーでもないようなコードが勝手に浮かんできただけで、美しく明るいフレーズやノリノリの展開は思いつきようがないし、またガリガリと怒り狂うような雰囲気を出すのも手だったかもしれないが、ストレートに怒ってるだけでは負けてる感が出てしまうので、きっと思いついても避けただろうと思う。そうやって条件や要素を揃えていくと自ずと曲に現れ、必然になってくるだけのことだ。ある意味消去法でもある。
何度もあちこちで書いているが、やはり原動力とインスピレーションはとても大事だと思っている。特に「怒り」は大きい。カッカカッカしてたら冷静な状態で作れなくなるのでは?という見方もあるかもしれないが、それははっきり言って「ない」。少なくとも気が散らなくなり、サボらず一気に書き上げられるので、正直すごくいい。もちろん勢いだけでは出来ない。技術はやはり普段から蓄積しておく必要がある。「美少女を描きたい!」といきなり描いても、技術がなければ悲しいものになってしまうのと同じである。もちろんその意欲の積み重ねによって上手くなっていくので、勢いもとても大事だ。この辺のバランスは難しいが重要だと思う。
Illustrated by Mina
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