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逢魔の子 ともだち

「おはようございます!!」

 剣道部の部室に入った真鏡漆間まきょううるまは、そこにいる全員に向かって頭を下げた。
 全員が漆間を見て、少し複雑な表情を見せる。
 微笑んで会釈してくれる3年生。あからさまに鋭い視線を送ってくる2年生。素知らぬ顔を決め込む1年生。反応は様々だ。

 漆間は卓球部からこの剣道部に引き抜かれた。引き抜いたのは剣道部の監督、安座真雄心あざまゆうしんだった。
 剣道部は常に県大会上位、全国大会出場を毎年のように争う強豪校。全国制覇も一度や二度ではない。そんな強豪校の監督が、わざわざ卓球部から引き抜いたのだ。

 2年生が1年生に話し掛けている。
「赤城、お前さ、あいつのこと知ってるか?」
「あ~はい、知ってます。クラスは違うけど、”まきょう”って珍しい名前だし、卓球部の1年では一番強いかも」
「へぇ、じゃあ安座真さんが連れてくるくらいだから、剣道も強いんだな?」
「いや、ちょっと聞いたことないです。でも、きっと強いんでしょうね、じゃなきゃ・・」

 卓球部から剣道部に引き抜き、と言えば、小中と剣道をやってて全国でも有名な少年剣士だった、とか、どこかの道場の師範の息子で、道場きっての有望株だった、とかいうものだろう。だが、漆間は違っていた。
 漆間に剣道の経験はない。まったくの素人だった。

 ガラッ!
 その時、部室の引き戸が開き、監督の安座真が入ってきた。
「はい、みんな!練習の前にちょっといいか?」
「はい!」
 全員が声を揃えて返事する。
「みんな真鏡のことは聞いていると思う。私が卓球部から引き抜いたんだ。卓球部の監督からはずいぶん言われたがな、真鏡が剣道部に行くと言ってくれたから、ここにいるわけだ」
 あの安座真監督がそれほどまでに欲しい選手とはどれほど強いのか?部員たちの興味がそそられる。

「でだ!真鏡はな、剣道経験ゼロなんだよ」
「・・・は?ゼロ?」

 赤城の口からつい声が漏れた。あっ!という表情で口に手を当て、周りを見回す。全員が赤城と同じような表情だった。
「お!赤城!ビックリしただろ?真鏡はな、道着の着方も防具の付け方も、竹刀の持ち方も分からない素人だ。でだ赤城、真鏡の指導係をやってくれないか?」
「僕、ですか?」
 赤城がつい声を出してしまったからか、それとも最初から決めていたのか、安座真は赤城を漆間の指導係に指名した。
「ああ!私はお前が適任だと思う!赤城、頼めるか?」
「ん~、はい!分かりました!」

 赤城太斗あかぎたいとは、小学1年から剣道を始め、早くから様々な大会で活躍していた。そして高校1年の今はすでに、全部員の中でも上位の実力者だ。だが安座真が赤城を指名した理由は、その人間性にあった。
 礼を重んずる武道の中でも、特に剣道は人間性が鍛えられる。しかも竹刀という枝ものを持つため、戦う姿勢にはその人の性格も強く出る。赤城はその礼儀正しい振る舞いや、外連味けれんみのない戦い方からも皆の信頼を得ていた。

「じゃ真鏡!赤城が今日からお前を指導してくれる。なんでも頼りにしていいぞ!」
「ああ、なんでも俺に聞いてくれ!真鏡!よろしくな!」
「はい、よろしくお願いします!赤城君!」
 赤城が真鏡の指導係、それだけで他の部員たちは、もう真鏡漆間に何も言えなかった。安座真の考えは、そこにもあったようだ。
 にこにこと笑いながら赤城が漆間に近づいてくる。そして肩をポンポンっと叩いて言った。
「敬語なんかいらないよ。もう俺、漆間って呼ぶからさ、俺のことも太斗って呼んでよ」
「ああ、太斗!よろしくな!」

 いい奴だな、漆間にもそれがすぐに分かった。
 赤城太斗の気の色は、純白だった。


 僕は小学1年まで沖縄に住んでいた。そしてその夏、僕と母さんは東京に移り住んだんだ。でも、その母さんは僕の本当の母親じゃない。本当は小学1年の時の担任だ。
 僕の本当の母親は、僕を狙う怪異との闘いで命を落とした。そのとき僕を守ってくれた担任、真鏡優梨先生が僕を引き取って、本当の子供のように育ててくれた。
 でもこのことは、小学1年からずっと、ずっと忘れていた。
 本当の母親の存在も、怪異との戦いも、優梨先生が僕を引き取ってくれたことも。

 僕が覚えていたのは、”アンマークートゥアンマークートゥ、おかあさんのことだけ見ておきなさい”、という言葉。それと、母の胸の温かさだけ。

 そして僕は、高校生になった。

 中学から卓球部に入っていた僕は、千葉の高校に進学した。スポーツ校で卓球部も強かったが、それにこだわったわけじゃない。文武両道を掲げる校風に惹かれるところがあったからだ。そして当たり前のように卓球部に入った僕を、剣道部の監督の安座真さんが引き抜いたんだ。

 あの夏の夕方、教室で聞いた安座真さんの話、そして見せてくれたもの。
 僕はそのとき、はっきりと思い出した。
 今の母、真鏡優梨先生とチーノウヤという怪異のこと、そして四体で襲ってくるミミチリボージという怪異との激しい闘い。そして、ミミチリボージを封じるため、自らの命を投げ出した僕の本当の母親、名城明日葉なしろあしたばのこと。

 僕の力を気付かせて、引き出してくれたのも、安座真さんだ。
 僕はこの力を、もっともっと強くする。
 そのために剣道部に来たんだ。安座真さんに鍛えてもらうために。
 鍛えてもらうのは、剣道じゃない。

 僕の、霊力だ。


 僕が剣道部に入って、3ヶ月が過ぎていた。
「漆間、そろそろやってみるか?試合稽古」

 赤城太斗はこの3ヶ月間、初歩の初歩から剣道を教えてくれた。自分の稽古もあるのに、初心者の僕に付きっきりだ。それでも太斗の力は1年生の中で抜きん出ていた。元々強いこともあるが、きっと見えないところでも努力しているんだろう。

「うん!太斗、頼む!!」
 これまで剣道のイロハから教えてもらい、素振り、打ち込み、掛かり稽古と進んできた。試合稽古はそのまとめのようなもの。これがまともに出来るなら、僕は独り立ちということになる。太斗の指導係も終わりだ。
 つまりこの試合稽古は、太斗から僕への、卒業試験。

「漆間、あんまり気負わなくていいからな、お前スジがいいからさ、いつも通り打ち込んでくればいいから」
 太斗の言うことはお世辞ではなかった。打ち込み稽古や掛かり稽古では、その太刀筋や踏み込み、それらのセンスのようなものが分かるらしい。太斗と僕ほど実力差があれば尚更だ。そして太斗はいつも“おまえセンスある!”と言ってくれていた。
 審判は2年生の先輩にお願いした。

「はじめ!」
合図と共に太斗が僕の間合いに入ってくる。速い。歩数は最小限、無駄な動きはない。
「ッタァーーーーッ!」
 太斗が気合いと共に竹刀を振り上げる、面を狙うと見せ、太刀筋を変えて胴に来る。僕にはそれが、手に取るように分かった。
 太斗が動けば、影のように気が動く。気は白い人型に見える。影と違うのは、気は“太斗が動く前”に動くんだ。
 だから僕は、太斗の竹刀を簡単に避ける。わけではない。

 僕は素人なんだ。いくら太斗の太刀筋を読めるとはいえ、鋭い太斗の剣を避けるのは難しい。胴に入る竹刀は、間一髪で一本を逃れた。
 後ろに下がる僕を太斗の気が追う。正面からと見せかけ、半歩左に踏み込んで更に間を詰めてくる。その気の動きから一瞬遅れて太斗が動く。僕はそれをなんとか避け、間合いを開けて構えを直す。
 僕に合わせ、太斗も止まって構えを直した。面の中に見える太斗の口元は、少し微笑んでいる。
 よし、次は僕の番、だけど、素人の僕に出来るのは、まっすぐ面を打ち込むことだけだ。
 気合いを込めて足を踏み出す。間合いが詰まる。太斗は動かない、だけど、太斗の気がズッと左に動いた。僕はその気に向かって面を打ち込む。次の瞬間、太斗はまさに、そこに動いてきた。
 太斗は目を見開いている。
「キィエェーーーーイッ」
 渾身の一撃、しかし、太斗は首をわずかに捻って面を避けた。
「ヒュッ!」
 太斗の口から空気を裂く音が漏れる。僕の竹刀を鍔で受けた太斗は、そのまま勢いを受け流して自分の竹刀を振り上げる。それを避けるため僕は後ろに下がって構えを整える。だが、太斗は更に踏み込んで僕の隙に打ち込んでくる。

 太斗の動きは全て読めた。気が先に動くからだ。だがやはり太斗の剣は速い、避けきれない。だがその打ち込みは浅くなり、辛うじて一本を逃れた。

 数度の競り合いの後、太斗が動いた。
 “右!”
 太斗の気ははっきりと右に動いた。
 “そこ!!”
 僕はその気に向かって面を放った。
「トォアァーーーーー!!」
 だが、太斗の気はスッと消え、太斗自身も動いていなかった。僕の竹刀は太斗の右を通り過ぎる。
「ゥリィアアーーーッ!!」
 太斗がわずか一歩踏み込んで、僕の胴を切り裂いた。体がふたつになった、と思った。太斗の一撃は、僕の霊気も切り裂いたんだ。
「いっぽん!!!」
 審判の声が響いた。

 僕は床に四つん這いで、はぁはぁと上がる息を整えた。ほとんど息をするのを忘れていたようだ。汗が目に入って痛い。
「漆間、ほら」
 太斗が僕に手を差し伸べてきた。僕はその手を取って立ち上がり、礼をして試合稽古を終えた。

「真鏡、お前ホントに初心者、だよなぁ」
 僕に声を掛けてきたのは、審判をしてくれた2年生だった。いつの間にか、僕たちの試合稽古は皆の注目を集めていたらしい。
 その中には、女子部員たちもいた。
「おい、あいつ、赤城の動きに付いていったぞ?」
「まじ?あれで剣道歴3ヶ月って?嘘でしょ」
「太刀筋とか足の運びとかメチャクチャだけど、なのになんか・・・」

「・・・スジがいい」

 幾人かが僕のことを言っている。太斗のことも、手を抜き過ぎじゃないか?とか言っているようだ。それはそうだろう、1年の部員で一番、部全体でもかなりの実力を持っている太斗と素人同然の僕なんだ。太斗が手加減するのは当たり前のことだ。

 僕のところに、太斗が近づいてきた。
「お前に教えることは、もう何も無い」
 映画に出てくるなにかのお師匠様のようなことを言う太斗の顔は、満面の笑みだ。
「て言うか漆間さ、俺、かなり危なかったぞ?何あれ、何回もあったんだけど、お前、俺が動くとこ分かるの?」
「いや、そんなことは、ないよ」
「まぁそうだよなぁ~、でもさ、相手の動きとかで先読みするってのはあるんだよ。それは、そうだな、センスがいい!ってことだな」
 太斗は僕のことを褒めて喜んでくれた。まるで自分のことのように。きっと太斗は良い指導者になるだろうな。
「とにかく!もう明日から、いや今日から!オレはもう漆間を教えない。で、一緒にやろう!稽古」
「ああ!今日までありがとな、太斗!」

 ああ、本当にいい奴だ。
 剣道で目指す目標は、太斗だな。


 僕たちは、高校2年になった。
 太斗は1年から大会の出場選手に選ばれ、その活躍で赤城太斗の名はライバル校にも轟いている。

 僕は安座真監督と太斗に鍛えられた。練習に明け暮れる日々。それに、初心者の僕にとって先輩部員はもちろん、同級生部員も全員が僕より強いのだ。誰とやっても学ぶことがあった。
 そして僕は、強くなっていった。

「ふぉ~、漆間、お前強くなったな~、1年前監督が連れてきたときは、なんで?って思ったけど、監督ってお前が強くなるって、分かってたのか?」
 稽古が一段落して、太斗が僕に話し掛けてきた。
「もう同級生ん中じゃ漆間が一番強いんじゃないか?」
「な~に言ってるの、そんなことないよ、稽古ではアレだけど、試合ではやっぱ負けちゃうし、大体お前、太斗のが強いじゃん!」
「ははは!俺を除いて一番!ってことだよ~」
「な~に~、やるか?試合稽古!」
「う~ん、試合稽古じゃ俺も負けるかも!やっぱ漆間は一番だな!稽古では一番だ」
 太斗の言うとおりだった。一連の動きが大体決まる試合稽古ならば、僕は気を読むことでほとんど負けることは無い。それは上級生相手でもそうだった。だけど、綺麗な型で打ち込むことを求められる試合稽古だから動きも読みやすいんだ。本当の試合ではそうは行かない。結局地力の差が物を言う。
 僕に必要なのは実戦経験。それはもう、皆が分かっていた。

 そこに、数人の女子部員が話し掛けてきた。

「赤城君!漆間くん!ちょっといいかな?」
「うあ、千代か、また稽古のお願いか?」
「うん、今さ、一段落付いてるんでしょ?安座真監督にも聞いてきたからさ、試合稽古、お願い!」
「あ~、いいけど、どうせお目当ては漆間でしょ?」
「わかる~?剣道歴たった1年の変人漆間くん、じゃさ、赤城君は幸とお願いします!で、漆間くんは私とね!審判はふたり連れてきてるからさ~」
「え?俺まだなんにも言ってないんだけど?」

 千代と呼ばれた女子部員、八千代言葉やちよことのはは、剣道部女子のエース。個人なら全国レベルの実力者だ。

「大体千代さ、なんでいっつも俺なのさ!」
「え~?さっき言ったじゃん、剣道歴たった1年の漆間くん、それなのに君は強い!だから“かよわい女子”の私は稽古を付けてもらいたいのよ」
「さっき変態漆間って言ったろ?」
「変態じゃなくって変人、ま、いいじゃん!さ!始めよ?」

 八千代言葉、僕はこの女子が苦手だった。人として苦手とか、キライって意味じゃない。剣道の相手として苦手なんだ。

 僕には千代の気が、まるで見えない。

 だから千代との試合稽古は、全く相手にならず、僕は負けてしまうんだ。だがこの1年、僕も強くなっている。気を読めなくとも、ある程度は相手できる、はずだ!


「チェーーストォーーーーーッ!!」
 千代の長い余韻を持った気合いと共に、見事な面が決まった。
 もちろん僕の頭上にだ。
「いっぽーーん!」
 負けた、また負けた。僕はがっくりと頭を垂れる。

「漆間、また負けたのか?お前、千代には連戦連敗じゃない?まぁ今日はちょっと粘った方だと思うけど」
 先に試合稽古を終えていた太斗が近づいてきた。
「うん、千代ってほんと苦手!それに、なんでいつも俺んとこ来るんだよ」 

 確かに連戦連敗だった。だけど気が見えない千代との稽古は、僕の実力を試すのに好都合でもあった。僕は気が見えなければ、この程度の実力なのだ。最近は打とうと思えば打てる気がするけれど・・・
「え~?だから言ってるじゃん、剣道歴たった1年なのに、強豪剣道部の強者にも劣らぬ実力者、漆間くんの力をお借りしたいのよ」
「はぁ?そんなこと微塵も思ってないでしょ、俺が千代に弱いのをいいことに、俺をいたぶってるんじゃない?」
「いやぁ、そんなことないよ、ないない、ないってばぁ」

 試合稽古では見えなかった千代の気が、今はチラチラと見えている。どうやら喜んでいるようだ。おそらく集中すると気を内に溜めることが出来るんだろう。強いはずだ。

「しかしさぁ、漆間は間違いなく強いぞ?稽古だけなら剣道部のトップクラスだ。あとは試合経験さえ積めば、って思うんだけど、なんで千代にだけ負けるんだ?漆間さ、お前もしかして、千代を打つのが嫌なんじゃないのか?」
「な、何言ってる太斗!そんな手を抜くようなことするわけないじゃん!」
「そぉかぁ~?自分でも気がつかないうちに、千代のこと大事に思ってたり、するんじゃないかぁ~?」
「また何をいい加減な・・」

 僕は言い掛けた言葉を呑み込んだ。僕の目の前に、気の塊が立ち上がったからだ。
 真っ白に輝く巨大な気、それは、千代の霊気だった。
 黙って俯いている千代は、実は激しく動揺しているんだ。
 しかし、こんなに大きくて、そして綺麗な霊気を持っていたなんて。

 僕は千代に向かって言った。
「千代、また頼むよ。今度からはオレから頼む、よろしくな」
 千代は顔を上げて、にっこりと笑った。

 頬が、赤く染まっていた。


 僕たちは、高校3年生になっていた。

 高校剣道の大会は夏に集中している。高校2年の終わりから高校3年の夏まで、僕たちは剣道に集中した。
 太斗は我が部の主将として奮闘したが、全国目前で敗れた。僕も選手として名を連ね、精一杯力を尽くしたが、やはり超高校級の闘いには力及ばなかった。ただ僕の名前は、剣道を始めてわずか2年余りの選手として大いに注目された。
 だが、負けは負けだ。
 千代も注目選手として期待されたが、全国には一歩届かなかった。

 僕たちの剣道部生活は、終わった。

「あーー終わった!なぁ漆間!これからどうする?OBとして後輩に稽古付けてやるか?暇だし」
「太斗、そういうのって煙たいと思わないのか?空気読めよ」
「あはは!そうだな!で、漆間も進学だろ?これから受験勉強一直線!どこに行くんだ?決めてんのか?」
「ん、うん、そうだなぁ」
 僕の頭の中に、志望校は一校しかない。だけどまだ言えない。そう思っていた。

 僕たちがそんなことを話しているところに、千代が通りかかった。
「お!千代!おまえもよっぽど暇してるな?」
「しっつれいね!太斗、私はあんたみたいな暇人じゃないの!今だって部活に顔出して、後輩の指導してきたんだから!」
「うわっ、漆間、ここにいたぞ?言ってやれよ~、空気読めって!」
「え?なんの空気?酸素?二酸化炭素?字なら読めるよ?」
 千代は意外に、中々の天然だった。
「千代さぁ、それで大学通ると思ってんのか?よっぽど勉強しないと、どこにも行けないんじゃないか?」
「もう、失礼だわ、私、あんたよりよっぽど成績いいんだから!!多分!」
 千代はやっぱり天然だ。剣道着を着ているときとは別人みたい。

「へぇ、千代って勉強出来たんだ。剣道ばっかりやってると思った」
「そ、そう言う漆間くんはどうなの?やっぱり剣道ばっかりやってたでしょ?太斗ほどじゃないけど、受験は、その~、どこに行くのかな?」
「う~ん、俺ね、もう行くとこ決めてるんだけどさ、う~ん、ちょっと頑張れば大丈夫かなぁ」
「げげ!まじか!漆間はもう決めてんの?で、大丈夫そうって?なんだよそれ!いつの間に勉強してんのさ」
「あはは、言ってなかったか、俺の母様は、学校の先生なのだよ。だからまぁ、その辺は抜かりなしって言うか、ね?」
「うぁ!反則だ!!千代!ここに反則負けの人がいるぞ?」
「え?漆間くんのお母さんって先生だったの?じゃ、どこに進学するの?大学だよね?」
「うん、大学。でもね、決めてはいるけど、もう少し考えようかなって」
「そうなんだ。じゃ、今度教えてね!必ずだよ?」


 僕は剣道を通じて強くなった。剣道はもちろんだが、安座真さんには剣道の他に、霊気の使い方を習っていたんだ。みんなには剣道の稽古にしか見えなかったはずだけど、僕と安座真さんの稽古は全て、霊気を鍛錬するためのものだった。
 そしてもうひとつ、安座真さんがこれまで経験してきた不可思議な現象、特に沖縄でのことを追体験させてもらっていた。それで僕の霊力は、2年前と比較にならないぐらい大きくなっているし、様々な怪異に対する知識も身についていた。安座真さんの話では、僕の力は安座真さんを遙かに超えているらしい。
 でも、あともう少し、もう少しだけ強くなりたい。安座真さんに教えてもらったことだけではなく、自分の経験として、強くなりたいんだ。

 僕に必要なのは、実戦経験だ。


 高校3年生の、冬。

「さっむ~い!ね?漆間!」
「うん、さむいね~!俺、沖縄生まれだから、なおさらすっごく寒いよ!」
「だったね!漆間は沖縄生まれだった!でも、なんで東京に来たの?」
「え?う~ん、それはねぇ、ちょっとねぇ、なんかねぇ」
「あ、いいからいいから、ごめんね、漆間の家もお母さんと二人だもんね、言えないこともいっぱいだよね」

 僕は、登校中に会った千代と話しながら校門をくぐろうとしていた。僕たち3年生はもうすぐ終わる高校生活を思いつつ、そこから始まる新生活を夢見つつ、ふわふわとした時間を過ごしている。

 僕も千代も、そして太斗も進学志望だった。太斗は剣道の腕を買われ、スポーツ系の大学に進学する予定だ。やっぱり全国レベルの選手は違う。
 僕はこれまで考えていたとおり、沖縄の大学に進学することに決めていた。特に勉強が出来る方ではなかった僕だけど、高校1年からしっかりと準備は進めてきたんだ。どうしても、沖縄の大学に進学したかったから。
 このことは太斗にも千代にも言ってある。

 そしてある日の放課後、僕たちは教室に集まって、いつものように話していた。

「漆間は沖縄の大学なんだよな~、そこって剣道は全然関係ないんだろ?おっしいよなぁ、漆間がひと言、“俺も行く”って言えば、また一緒に剣道できたのに!」
「太斗、それ、誰が惜しいの?漆間は惜しくないよね?私も惜しくない。あんたが惜しいって思ってるだけでしょ?」
「あ、わかった?」
 太斗は常々、自分と同じ大学に行こうって誘ってくれた。曰く、高校で始めた剣道だけど、たった2年ちょいでここまで強くなるのは異常だそうだ。あり得ないって。

 いつもと同じ他愛ない会話、しばらく話して、じゃねって解散、そう思っていたが、今日は千代が思い詰めた顔をして話し出した。
「ところでさ、あのさ」
 声を落とす千代。こんなことは滅多に無い。いや、初めてかもしれない。
「え?どうしたの?千代のそんな困った声って、珍しい」
 僕は思わず千代に聞いてみた。
「ん~、私だってこんな声になることもあるよ!だってさ、ちょっと、困ってて・・」
 僕と太斗は目を見合わせた。こんな千代は本当に初めてだ。そして僕たちは、目線を合わせながら頷いた。
「おい千代!俺らに言いたいことがあるなら言え!!返り討ちにしてくれる!!」
 千代の目が少し潤む。
「ば!太斗、何言ってんの!あのさ、千代、今のを翻訳すると~」
「分かってるよ、太斗のバカの言いたいことくらい。助けてくれるって事でしょ?」
「そう、そのとおり!何でも言ってよ、俺らが力になるからさ」
「うん、ありがと、漆間、太斗」

 それから僕たちは、千代の話を聞いた。それはちょっと信じられないような話だった。
 始まりは、中畑幸なかはたさちだった。
 幸は剣道部でも千代と並ぶ中心選手、そして千代の親友でもある。

「それでね、幸が放課後、3階の女子トイレの前を通りかかったとき、スマホが鳴ったんだって。見たらRINGの着信なんだけど、設定してる着信音じゃなかったから、おかしいな?って立ち止まって確認したらしいのよ。そしたらね、トイレの中から声がするんだって」
「う~ん、どっかで聞いたような話だなぁ、それでトイレに入ったら、一番奥の個室がギィ~って開いてぇ」

 太斗が茶化すけど、僕は千代の話を聞いて、鳥肌が立っていた。どうも千代の霊気の色がおかしいんだ。

「私もね、そんな気がしたんだけど、違うの。幸はね、なんだろ?って思ったけど、誰かが使ってるんだなって、通り過ぎようとしたら・・」
「そしたら?」
「またスマホが鳴り出して、しかもまた別のRINGの着信音で、ハッとしてスマホの画面を見たら、メッセージが入ってて、“こっちこっち”って」
「こっちこっち?女子トイレってこと?」
「うん、そしたらね、女子トイレの中からも、“こっちこっち、こっち来て”って聞こえたんだって!」
「そ、それで?」
「うん、あんまり気味が悪いから、幸は走って逃げたんだけど、今度は後ろから聞こえたらしいの・・」
「な、なにが聞こえたの?」
 太斗はゴクリと喉を鳴らした。僕の鳥肌はもう全身に立っている。
「バタバタバタって追いかけてくる足音と、こっちこっちこっちこっち!逃げるな!!っていう声!」
「ぎゃーー!なにそれ!小学校の怪談みたいじゃん!」

 太斗は両腕を組んで、二の腕をさすっている。本当に小学生がするような王道の怪談話だ。でも、千代の話はそれで終わらなかった。
「でね、幸がRINGで剣道部の女子たちにその話を回したんだけど・・」

 千代が言うには、その後、同じような経験をする女子が続いているらしい。それも、ある女子は幸と同じく女子トイレで、ある女子は部室で、ある女子は図書室で、校内いたる所で起こっている。いつもひとりの時、そしていつも放課後遅い時間に。

「そしてその子たちね、みんな見てるの。追いかけてくるお化けの姿」
「幸は見てなかったよね、でも他の人には見えたんだ。どんな風に見えたの?」
 普通の人に姿が見えるなら、そいつはかなり危ない怪異だ。僕の鳥肌はおそらく、千代からごくわずかにそいつの瘴気を感じるせいだろう。でも、なぜ千代に瘴気が?
 千代が話を続ける。
「それがね、白いシャツに赤いスカートはいてて、白いソックスで、髪はおかっぱ・・」
「ちょ待ってよ!白いシャツ?赤いスカート?おかっぱ?それってまるで」
 太斗が慌てて口を挟んだ。
「うん・・・花子さんなの」
「そんなの小学生の怪談じゃん!高校生がそんなの、見る?」
「でも違うのよ、太斗。確かに花子さんみたいなんだけど、それ、身長が2メートルくらいあるみたいなの」
「に、2メートル?」
「うん、それと、顔はまっくろで見えなくって、手には真っ赤な手袋をしてるみたいで、とてもあの、”花子さん”っていうイメージじゃないの」

 花子さんのイメージ、それは様々なメディアで皆が見ているイメージ。小学生なら必修科目のように見せられ、刷り込まれるイメージだ。僕は千代に聞いた。
「千代はそれ、誰に聞いたの?確認だけど、幸は見てないんだよね」
「うん、私はそれを見た子の話を聞いた子たちからの又聞き。それと幸からもね。困ってるのはそこなの。実は、それを見た子たち全員が体調を崩しちゃってて、休んでる子もいて、登校してる子たちもいつも何かに怯えてるのよ」
「そうか、ところで幸はどうしてる?落ち込んでるんじゃないか?」
 太斗は眉をしかめ、腕組みしながら千代に聞いた。
「うん、すっごく。全員が剣道部の女子で幸の友達だから。それに幸自身はそいつを見てないせいか、体調が悪いわけじゃないし、みんなに、ごめんね、ごめんねって言ってる」
「なるほどな、じゃ漆間、俺らには何ができるかな?」
 太斗は僕の目を見ながらそう言った。きっと、幸のところに行ってやりたいんだろう。
「あぁ、幸に話を聞いてみよう。何ができるかは、それからだ」
「ホント?良かった!漆間たちなら、きっとそう言うと思った!」

 千代は幸を心配して僕たちに相談しに来たんだ。落ち込む親友を見ていられないけど、自分だけではどうしたらいいか分からなかったんだろう。しかし、太斗と僕が行って、幸は元気が出るのかな?
 それと、ひとつ気になることがある。

「あ、千代さ、幸はRINGで繋がってる剣道部の女子たちにそいつのこと送ったんだろ?千代にはそのメッセージ、来てないの?」
 千代はちょっとだけ目を伏せて、すぐに頭を上げて言った。
「うん!私ね、RINGやってないの!そういうのちょっと苦手なのよ」
「へぇ、だからこれまでアドレス交換とかって言ってこなかったんだな!俺、ホントは嫌われてんのかと思ったぜ!」
 太斗は千代の話を聞いて少し嬉しそうだ。僕もSNSは苦手だから、千代の気持ちは分かる。

 そのときはそう思った。

「じゃ、千代、太斗、明日の放課後、幸と話してみよう!」
「おう、分かった!」
「うん!ふたりとも、お願いね!」

 時間はもう夕方をかなり過ぎている。
 僕たちは明日の約束をして、別れた。


「それでさ、幸はそいつのこと見てないでしょ?みんなが見たやつの話聞いて、どう?」
 僕たち3人は、幸に会って話を聞いている。
 教室には僕ら以外誰もいない。気心の知れた僕たちに全部喋って、幸の表情は少しだけ明るくなっていた。

「うん、怖い、もう単純に怖い。だって花子さんって意外と良い子のイメージがあるでしょ?寂しがり屋とか、それが2mもあって、手足が血に濡れてるって、私はすっごく怖い。みんなも怖がったでしょ?」
「うん、ホントに怖がってる。あとさ、幸が追い掛けられた時に聞いた声は?女みたい?それとも男?」
 僕は幸の話から、この怪異がどんなものなのか探っていた。でも、幸に刺激を与えすぎるのもまずいから、言葉は選んでいる。
 刺激を与えると、変わるんだ。気の色が。
「う~ん、やっぱり女かなぁ、花子さんだもんなぁ」
 幸はやはり、みんなの話に引きずられているようだ。一番最初に怪異に遭遇しているから、一番フラットな情報を持ってるのは幸なんだけど。

「漆間、もういいんじゃないか?幸もいろいろ思い出したくないだろうし、とにかく今回の件は、幸のせいじゃない。それは間違いないだろ?」
「ああ、もちろんそうだ。ある意味、幸はこの怪異の一番の被害者だよね。でも最後にもうひとつだけ、その子たちには、どうしてRINGしたの?」
「だってすっごく怖くて、でももしかしたら、こんな事があったよ!ってみんなに教えたかっただけなのかも」
「あと、千代には電話で?」
「うん、千代はRINGとかしてないから、いつも電話とか直接会って話すの。それはみんながそうだから」
「そうか、分かった!幸、ちょっと元気が出たみたい。ね、千代」
「うん、ホント、ちょっと元気出た、ね!太斗」
「ああ!来て良かった!俺らで何が出来るかってちょっと思ってたから、すごく良かった!」

 幸は、太斗の顔をチラリと見て、にっこりと笑った。


 僕たちは校門を出るところで幸を見送っていた。直接聞いた話はやはり貴重で、僕はいろいろな事を考えていた。だけど、もうひとつ確認しておきたいことがある。
「あのさ、太斗、千代。俺、この怪異のこと、もう少し確かめたいことがあって、時間いいかな」
「そっか、じゃ、その辺のマグドででも話そうか、千代も、いい?」
「うん、いいよ」


 僕たちはハンバーガー店の少し奥まった席に座って、ドリンクを飲みながら話している。
「千代さ、RINGだけじゃなくって、他のSNSもやらないんでしょ?」
「・・・うん」
「それってさ、女子の中では結構大変だと思うんだけど、そういうのやらない理由って、あるの?」
「漆間、それ、千代は言いたくないことかもよ?」
「うん、太斗、そうなんだけど、幸が怪異のことを伝えたみんなの中で、そいつのことを見てないのって、もう千代だけだったろ?きっとなにかあるはずなんだ」
「うん、ホントにもう私だけみたいね。RINGをやってないのが関係あるのか分からないけど、私ね、そういうのって小学生の頃からずっとやってないの。あの頃、もう小学生でも普通にスマホ持ってたから、みんな面白がっていろんなSNSやってたけど、私だけ、絶対やらなかった」
「小学生の頃、10年くらい前か、そう言えば俺も持ってた。逆に持ってないとみんなに置いてかれるって言うか、ちょっと必死だった気もするぞ?」
 太斗が驚いて声を上げた。

 僕たちの世代は小学生の頃からスマホとネットが当たり前になっていて、クラスや友達でグループを作るのが普通になっていた。もしスマホがないと、それだけで仲間はずれにされたりしたし、ネット上で虐められることも問題になっていた。

「千代はそういうの、怖くなかったの?」
「うん、とにかくやりたくなかった。うん、もう・・・言うね!ふたりには言う!」
 千代の目は少し潤んでいるように見える。何かを決心した目だ。
「私ね、小学生の頃、お父さんを亡くしちゃったの・・」

 そこからの話は、普段の千代からは想像できないものだった。明るく、誰にも好かれる千代。SNSをやっていなくても、誰も千代を仲間はずれになんかしない。それほど中心的存在の千代に、こんなことがあったなんて。

 千代の父親は、自殺していた。千代が小学4年生の頃だという。
 父さんっ子だった千代は、その頃一緒に遊んでくれない父に、ずいぶんと文句を言ったそうだ。それに、スマホをねだったこともあったらしい。
 だがその頃、父は日に日に憔悴しているようだった。朝起きると父はスマホで何かを話している。帰りは決まって遅かった。もう寝る準備の千代が父のそばにいくと、いつも血走った目でスマホの画面を睨み付けている。そして、深夜までスマホの着信音が響く。父のうめき声がそのたびに聞こえて、布団に入っている千代の耳にもこびりついていた。

 ある日、千代が家に戻ると、父の車が止まっていた。母はまだ仕事から帰っていなかったから、きっと父は体調が悪いとかで帰ってきたんだな、と千代は思った。
 そして玄関を開け、リビングに入ろうとするが、ドアは開かなかった。
 それで台所を回ってリビングに入ると、そこには、ドアノブにタオルを引っ掛け、首を吊っている父がいた。

 口が開き、舌がだらりと下がっている。父の首が、不自然に伸びているのが分かった。
 千代は何も言えなかった。夢なのか、現実なのか、もしかしたらお父さんのいたずらかも・・
 すぐに起き上がって“ことちゃん!ビックリしたか?やったー!”って言うのかも。

 そのとき、父の右手の側で、スマホの着信音が響いた。RINGだ。

 着信音は鳴り止まない。
 ディスプレイに通知の一部が表示される。次々と。

-課長、早く来ないと部長が怒鳴って・・・・
-八千代、お前何考えてる!早く来い!先方・・・・
-返信しろ八千代!あっちの損失はもう億越え・・・
-課長、もう僕たちではダメです、持ちこたえ・・・
-あっちの担当も出ない、お前までいなけりゃ損失は・・・
-俺の責任じゃない、全部お前だからなおま・・
-覚悟して出てこいよ、いいか八千代、おまえ・・

 千代は、胃の中の物がすべて逆流してくるのを感じた。
 その場に座り込んだ。
 母親が帰るまで、何時間も。
 その間、RINGの着信音は鳴り止まなかった。

 父の葬儀の後、母は千代に教えてくれたそうだ。
 千代の父は金融のプロで、海外で資産を運用していた。そこでハイリターンの取引きに手を出す。一見急激な経済成長を見せる国での運用だったが、実は政情不安を常に隠している国だった。その取引で、千代の父は莫大な損失を出した。
 だが、そんな失敗も有り得る世界の話だ。問題は、千代の父を追い詰めたパワハラだった。

 千代の父は課長としてそのプロジェクトを管理していたが、部下である係長の問題行動に悩まされていた。それを指摘すれば、すぐにパワハラだと脅され、そのことにも悩んでいた。
 更に、上司である部長は、全てを課長である千代の父に押しつけ、問題行動を繰り返す係長のことも、千代の父の指導力不足だと断罪した。

 千代の父は、毎日繰り返されるプロジェクトの進捗をコントロールするのに必死だった。日中も、深夜も国内外からのメッセージに対応した。それに加え、係長の理不尽なメール、RINGメッセージ、更に部長から入る電話やメッセージ・・・

 上司と部下からのパワハラだった。

「ことちゃん、お父さんはね、追い詰められていたのよ?いつもあなたを愛して、気にして、仕事が一段落したらもう辞める、ことのはと一緒に暮らすんだって言ってたのに、お母さん、なぜあのとき、すぐ辞めさせなかったんだろうね」

 千代が、八千代言葉が泣いていた。
 僕たちは、千代に掛ける言葉を持たなかった。ただふたりで、千代の姿を見守ってあげるしかなかった。

 でも、千代の話で分かったことがある。もう僕だけじゃダメか。
 僕はスマホを取り出して。素早くメッセージを打ち込んだ。


 少し時間を置いて、千代が落ち着いた。
「千代、辛いこと話させたね、ホントにごめん。でもね千代、お陰でだいぶ分かったよ。この怪異のこと」
「え?私の話とか、RINGをやらないこととかで、分かるの?」
「ホントか?それに漆間、さっきから怪異怪異って、お前、何者なの?」
「うん、それはまた後でな、それよりも、この怪異のことだ」
 僕は、これまでのことをまとめてふたりに話した。

「まず幸なんだけど、最初にこの怪異にあったとき、幸は怪異の姿を見てなかったよね。そして友達にRINGで、千代には電話でこのことを伝えた。それからRINGで伝えた友達はみんな、この怪異にあった。そしてみんな体調を崩している。幸以外みんな」
「うん、そうだ。でもそれは幸がそいつの姿を見ていないからじゃないのか?」
「ああ、見てないんだよ、幸は。でさ、千代さ、怪異を見た子たち、そいつの姿はどうだって言ってた?」
「え?だから、白いシャツで、赤いスカート、ソックスも白で、おかっぱで、顔はまっくろ、手には真っ赤な手袋をしてて・・」
「だよね、で、幸はなんて言ってた?」
「う~んっと、身長が2mもあって、手足が血に濡れてるって・・あれ?」
「うん、みんな手には赤い手袋、そして白いソックスって言ってるのに、幸は手足が血に濡れてるって、幸は見てないはずなんだよ?おかしいでしょ?」
「う、うん、みんな白いソックスって言ってるのに、足が赤いって言ってるの幸だけだ。あと赤い手袋をはめてるように見えるのに、それが血だって」
 千代がそう話して、首を傾げる。僕は千代を見ながら話を続けた。

「それとね、幸さ、その怪異の姿を、私はすっごく怖い。みんなも怖がったでしょ?って言ったんだ。まるで自分が作ったイメージをみんなが怖がったみたいに」
「でもそんなんじゃさ、幸がどうとか言えないんじゃないか?」
「そうだよね、太斗。きっと幸も気付いてないんだ。いいか?幸はね、怪異に取り憑かれてるよ?」
「ま、まさか!漆間そんなこと言ったって、誰が信じてくれる?」
 太斗が声を上げ、すぐに口に手を当てる。そして少し声を落とした。
「じゃ、最初に幸がその、怪異に襲われたとき、ホントは逃げ切れてなくて、取り憑かれていた、ってこと?」

「ああ、そのとおりだ。赤城」

 僕たちの座るテーブルに近づいてきた男性が、よく通る声で言った。
「あ、監督・・・」
 剣道部の監督、安座真雄心だった。
「どうしてここに、監督が?」
「太斗、僕が安座真さんを呼んだんだよ。僕の話だけじゃ、もう難しいと思って」
 安座真さんは空いている席に座り、僕の話を引き継いだ。
「ん、幸が取り憑かれてるっていうのは間違いないな。私もこの前から幸に話を聞いていたんだが、ずいぶん巧妙に隠れているようだ。だが・・」
「はい、安座真さん、幸の霊気の色、そして形、おかしいですよね」
「ああ、話の端々で出てくるんだが、あれは・・」
「霊気の形が歪に削がれているように見えました。そして、ちょっとした隙に、霊気の色が変わる。幸の霊気は桜色に近い白、でもそこに・・」
「真っ赤な気が混ざる。まるで出血したように」
「はい」

「あ!あの!安座真さんと漆間って、なんのこと話してるんですか?霊気?形とか色って、それが幸になんの関係があるんです?」
 太斗が話に割って入る。
 千代は黙って僕たちを見ている。

「うん、これはもう、お前たちにも言わなきゃならないようだね。私と漆間は、人の持つ気、霊気と言っていい。それがな、見えるんだよ」
「太斗、こんなこと言っても信じられないだろ?でも安座真さんと僕は、そういう人間なんだ。シャーマンとか、巫女とか、ユタとかいう種類の人間」

太斗は絶句した。

「じゃ、漆間、今日までのこと、私にちゃんと教えてくれないか?」
 そこから僕は、幸と怪異のこと、RINGで繋がった友達のこと、そして今日、幸が言ったことを安座真に話した。
 そして次に、僕が考える怪異の正体について、話すことにした。

「この怪異の鍵は、スマホだと思うんです。最初に幸はRINGの着信で足を止めた。そこが女子トイレだったから、幸はトイレの中に何かいると思った。でも、怪異はスマホの中、幸の手の中にいたんです。そして幸は取り憑かれて、走って逃げたっていう記憶を植え付けられた」
 安座真さんは頷きながら聞いている。
「そして幸は、RINGで友達にこの怪異を繋いでいます。そして怪異を繋がれた子たちは、ひとりの時を狙われて、怪異のイメージを見せられた。そのイメージは元々、幸が怖れている“大人の花子さん”のイメージです。だから幸は、みんなも怖がったでしょ?なんて言った」
「スマホから取り憑かれたってこと?でもそれで、なんでみんな調子悪くなるわけ?」
 太斗が口を挟んできた。
「うん、それはね、多分みんな、ほとんどの気を吸われてるんだと思う」
「ああ、そのとおり、私はその子たちにも会ってきたが、みんなほとんど気が残ってなかった。それでな、これは本物の怪異だって確信したんだよ。ただ正体が分からなくってな、普通学校には、怪異は入って来ないから」
「え!そうなんですか?学校ってその、お化けとか妖怪とかたくさん集まるんじゃ?」
「いや、赤城、それは思い込みだ。学校はお前のような元気なヤツが多いだろ?だから普通の怪異、まぁお化けでも妖怪でもいいか、そういうのは入って来れない、ちょっとした結界みたいなものなんだよ」
「うん、だからスマホなんだと思うんです。スマホが繋がって力を強める怪異、それが狙うのは、今、安座真さんも言った、元気な人間の霊気」
「それが、そんなヤツが幸の中にいるって言うの?」
「そう、太斗、でもこれから言うことをちゃんと聞いてな?こっからが本番なんだ」
 太斗が黙って、そして大きく頷いた。
「コイツの狙いは、千代だ」
 太斗の目が大きく見開いた。

 千代は女子の中でも飛び抜けて大きい霊気を持っている。しかも、まぶしいほどに輝く真っ白な霊気だ。スマホに巣くう怪異は、当然千代の霊気を狙っただろう。だけど、千代はRINGをしない。だから次に狙われたのは幸だ。千代の親友というだけじゃなく、幸も大きな霊気を持っているからだ。それに、日々精神を鍛えている剣道部の女子選手は大概の女子より霊気が大きい。幸の友達から大きな霊気を集めることもできる。

 この怪異は、最初はそれこそちっぽけな存在だったろう。でも、SNSの中でやり取りされる情報は、恨みや、妬みや、それこそ自ら命を絶ってしまった子供たちの怨念という負の感情が溢れている。こいつはその感情を餌にして、ネットの中で育ってしまった。そして長い年月の後、人を通じて現世に影響を与えるほどの怪異になったんだ。

 そして今回、こいつは幸の持つイメージを利用して“大人の花子さん”という怪異を作りだし、RINGで繋がった子たちを襲った。でも本体は今、幸の中にいる。

 だが、こいつは千代を諦めていない。その証拠に。

 僕は改めて、千代の目を見た。千代は黙っている。
「おまえ、さっきから千代の目を使って、何を見てるんだ?」
 千代がハッとして頭を振り、僕の目を見返した。
「うるま!私、なんだろ?ぼ~っとしてたけど、みんなの事を見てるような聞いてるような・・・」
「うん、もう大丈夫。千代の気にね、混ざり物があるのは分かってたんだ。幸が千代に電話で話したろ?そのときね、少しだけ千代に瘴気を植え付けたみたい」
「どうしてそんなことを」
 千代の疑問に答えるのは簡単だった。
「ヤツが千代の隙を伺ってるのさ、すぐ襲えるように」

 千代と太斗は固まってしまった。

「うん、よく分かった!怪異の正体はネットで育った子供たちの負の感情か。それがたくさんの、きっと何千何万という子供たちの霊気を集めて、都市伝説の姿で実体化している。そういうヤツ、アメリカにもいるんだ。なんて呼ばれてるか知ってるか?」
 僕たちは、安座真さんの言うアメリカの怪異のことが分からず、黙ってしまった。

「それな、ブギーマンって、いうんだよ」

 ブギーマン、アメリカの子供たちが長年語り継いだイマジネーションから産まれた怪異。
 子供部屋の奥に潜み、暗闇から子供を狙う、悪意の存在。

 ブギーマンは時を越え、時代を越えて様々に姿を変える。そして今も語り継がれ、成長している。

 ネットに生じ、子供たちの負の心を糧に、長い時間を掛けて成長した現代の怪異。それはまさに、ブギーマンだ。
 それが今、幸の中に、ともだちの中にいる。

 行かなきゃ、助けに!

 僕たちは顔を見合わせた。



逢魔の子 ともだち 了

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