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逢魔の子 まじむんの母

ああ、まただ。またこいつが目覚めた。
私はこいつのことを、ずっとは押さえられない。

でもなぜ、こいつを押さえなければならないのか。
もう忘れてしまった。

もう何年こうしているのか。
もう忘れてしまった。

苦しい、辛い、悲しい、寂しい、私にはそんな感情しかない。
だって私は、マジムンだから。
私はこいつを押さえるためだけに存在している、マジムンだから。

おう、おう、おう。

目覚めたこいつが暴れている。
こいつは3人もいるから、誰かひとりが必ず目覚めて暴れ出すんだ。
そして私は、こいつを眠らせる。
でもすぐに、他のひとりが目を覚ます。

おう、おう、おう。

だめだ。やはりすぐには止められない。
力が足りない。

ああ、まただ。目の前に子供がいる。
だめよ、早く逃げなさい。ほら、ほら。

ああ、でも、かわいいわ。
なぜなの?どうしてこんなにかわいいの?
もう少し見ていたい。もう少し近づきたい。
もう少し、もう少し。
触りたい・・・・抱きしめたい・・・・

おう、おう、おう。

ああ、こいつが子供に手を伸ばした。
だめなのに、こいつは押さえなければならないのに。
子供から霊気が流れ込んでくる。

ああ、ああああ、幸せ・・・

ああ!いけない!!子供が暴れている。
こいつの瘴気に冒されて、気が狂ったように。
子供は側にいる子供から霊気を奪って、それがこいつに吸われて。

それが私にも流れ込む。

ああ、あああ・・・・幸せ。

だめだ。違うんだ。私はこいつを押さえ込む。
そのために存在する、マジムン。

子供を、助けなきゃ。
ああ、かわいい子供。
私の、子供。
助けてあげるわよ。
ほら、手を伸ばして。
私が、助けてあげる。

あなたからもらった力は、私を強くしてくれる。
その力でこいつを眠らせて、すぐにここを離れよう。

おう、おう、おう。

眠れよ、マジムン。

ミミチリボージ。


 前学期試験の成績が開示され、準備に明け暮れた大学祭も終わり、すでに9月も過ぎようとしていた。そんなある日、琉球弧伝承研究室の面々はいっときの平穏を楽しんでいる。

「当銘さん、うちのサークルって、大学祭で意外と人気あるんですね」

 副部長の当銘に声を掛けたのは、2年の大城望だった。

「なんか、オカルト系って集まる人を選ぶって言うか、そんな気がしてたんですけど、男子も女子も、学年もあんまり関係ないみたいに集客してたでしょ?結構儲かっちゃいました?」
「え?そういうことはねぇ、新垣に聞いてよ。大体さぁ、去年まではお客さん、あんまり集まらなかったんだから、望ちゃんだって去年のこと知らないって事は、来なかったんでしょ?このサークルの出し物」
「あ・・う~ん、そうですね!えっとぉ、真美さん!どうですか?儲かっちゃいました?」
「ふふふ、どう思うね、のぞみくん」

 意味ありげな笑みを浮かべ、新垣真美が決算ファイルを起動する。

「今年はねぇ、すごいのだよ。売れた売れたぁ!マジムンTシャツ!霊能御守り!霊能100円そば!」
「おお、頑張った甲斐がありましたねぇ」
「おうよ!のぞみくん、だがねぇ、一番儲かったのはぁ」
「儲かったのは?」
「占い天使ミスズの部屋!10分1000円!!」
「ああ!奥間さんが発案した、あれ!神鈴さんがめっちゃ嫌がってたヤツ!」
「あはは、そうだね、なにしろ元手がほぼ0円だからねぇ、売り上げ丸ごとボッタクリ!あ、いや、純利益だもんねぇ、もう笑いが止まらんわ」
「そうなんだ!じゃあ、打ち上げ行っちゃいます?行っちゃいます?」
「そうだね!前の部長の時はもう赤字で赤字で。でも今年は違う!くらくら寿司とか焼き肉クィーンとかでもいいはずよ?美鈴さんにお願いしちゃうか」

 部長が神鈴になって大成功に終った琉大祭、ふたりで盛り上がる真美と望の声に誘われたように、部室のドアが開いた。

「あのさぁ~、廊下まで聞こえてるんだけどさぁ~、前の部長の赤字がなんだって~?」
「え?誰?」

 入ってきた男性に向かって、望が思わず口走ったが、真美は目を丸くして立ち上がった。

「あ・・・比嘉部長、じゃなくって、比嘉さん」
「ああ、新垣、ひさしぶり~、赤字で大変な前部長で~す」

 部長当時と変わらない、のんびりした口調で入ってきたのは、琉球弧伝承研究室の前部長、比嘉光良だった。


「ごめんねぇ~神鈴くん、楽しい学祭打ち上げなのに、僕まで呼ばれちゃって~」
「いえ、私も久しぶりで嬉しいですよ。それに後輩たちも増えてます。1年はふたりですけど、2年生は7人になってますよ?」
「ホントだね~、初めて見る子たちが6人もいる。じゃあさ~、僕も就職したからさ~、ちょっとくらい会費に色付けるね~。でもね~、安月給だから期待はしないでね~」

 比嘉は在学中の就職活動を一切せず、卒業後に就職先を決めていた。
 就職には時期や運もあるだろうが、比嘉は自分に合った仕事を焦って探したくない、そういうタイプだった。今は沖縄各地のタウン誌やウェブ広告を扱う会社でデザイナーとして働いている。

「それでねぇ、今日来たのはさ~、うちの会社でちょっと気になる話を聞いたもんだからさ~、神鈴君に相談しようと思ってさぁ~」

 それは数日前、会社の飲み会での話だった。


「比嘉くん、聞いてくれるかぁ、いや、聞いて欲しいなぁ」

 その日、先輩はしたたかに酔っていた。

「君はさぁ、新卒だし、琉大だし、オレみたいな高卒じゃないから、いろいろ勉強してるだろぉ?それに君、教育学部だったらしいし、詳しいだろぉ?子供のこと」
「いやぁ、確かに教育学部ではありましたけど、僕、家庭科の教員免許しか持ってませんよぉ?」
「家庭科?いいさぁ!家庭科!比嘉くんが家庭的ってことなんだろ?じゃあ話すぞ、聞いてくれ」
「いやまぁ、家庭的って言われれば~、はい~、そうですねぇ~」

 その話とは、自分の子供の事だった。
 先輩の子供は小学5年生の女子で、明るくて優しい性格からクラスの人気者だったそうだ。
 ところがある日、その子が突然、学校で暴れたのだ。

「それがさぁ、暴れ方が普通じゃなかったらしいんだよ。うちの子さ、奇声を上げて男子を羽交い締めにして、女子を張り倒して蹴り飛ばして。いつもは優しくて、ガジャンだって叩けない子なのに・・」

 そこまでなら、子供なりに誰も知らないプレッシャーに耐えていたとか、思春期に差し掛かる女の子の不安定さとか、暴れた理由はなにかしら説明が付くのかもしれなかったが、先輩の話で気になったのはその後だった。

「それでなぁ、うちの子が暴れて怪我をした子はいなかったんだけど、オレがその子たちの家に謝りに行ったらさ、何軒かの親に言われたんだよ。あれからうちの子の元気がなくて困ってるって、オレはもう平謝りでさぁ」

 先輩は泡盛の水割りを一気に飲み干した。迷惑を掛けた相手に謝って回るのはよほど大変だったのだろう。

「でもなぁ、それ以上に困ってるのは、うちの子が変なこと言うからなんだよ。あのな、暴れたとき、なんかが後ろから自分の手や足を持って操られたんだって。でな?急にそのなにかが外れたと思ったら、おばさんがいたらしいんだ。それでな、うちの子の顔を両手で撫でて、言ったんだってさ」

 誰かが作ってくれた新しい泡盛のグラスを手に取ると、先輩は人差し指でカラカラと氷を鳴らした。

「かわいいわぁ、ってさ」


「それでさ~、僕の後輩にそう言う方面のスペシャリストがいますから~って、神鈴くんと漆間くんに相談しようと思ってね~」

 最初、比嘉の話を聞いていたのは神鈴だけだったが、いつの間にか漆間や言葉、日葵たち2年と百合子たち1年も集まっていた。

「漆間、これはお前たちが調べている件と関係あるか?」
「ええ、神鈴さん。これは僕たちが調べているのと全く同じです。同じ怪異が起こしている現象だと思います」

 言葉と百合子が顔を見合わせて頷く。

「私たちはこれまで調べた事例を全部マッピングしてますけど、この事例が一番新しいですね。それに場所は、那覇市内ですか?」
「あ、う~ん、そうだねぇ~、久茂地第二小学校、だったかなぁ~」
「久茂地第二、すごく近い。漆間、これ、次どこに行くか、予測できるかも」

 そう言う言葉に、漆間も頷いた。

 結局、比嘉の先輩の件については、神鈴と漆間のふたりがそれぞれ子供たちの家を回り、話を聞きながら霊気を補うことにした。

 そして最後は、比嘉の先輩の家だ。


「それで春香ちゃん、あなたが用具室にひとりで行って、その時なにかが背中に乗った気がしたのね?」
「はい、用具室にチョークを取りに行ったんです。そしたらわたし、急に気分が悪くなって、誰でもいいから叩きたくなって、教室に走って行って、それで、それで・・」

 先輩の娘、春香は俯いて涙ぐんでいる。その背中を神鈴が優しく撫でて、そして霊気を補う。

-ずいぶん霊気を吸われてる。でもこれくらいなら、すぐ元気になる。

 春香は顔を上げ、涙を拭いた。その目には、みるみる生気が戻っている。

「大丈夫よ、春香ちゃんのお友達のところにも、お姉ちゃんたちが行って、ちゃんと春香ちゃんのこと話してあるから。それに、もうみんな元気になってるのよ?」

 神鈴の言葉に、春香の顔が輝いた。

「ホント?お姉ちゃん、みんなも助けてくれたの?」

 そう言った春香の顔が俄に曇る。見れば、わずかに肩も震えている。

「お化けからみんなを助けてくれたの?でも、でもまたお化けが来たら、どうしよう」
「お化けって、どういうやつだった?」
「うん、手しか見えなかったんだけど、ゴツゴツした手で、それに掴まれたら腕や足が勝手に動くの。それでみんなを叩いたり、蹴ったりして・・」
「お化けはひとりだったのね。でも、そのお化けを誰かが・・」
「うん、女の人だった。ううん、女の人の感じがしたの。優しいような、でも怖いような。そしたらね、その人がゴツゴツの手を払って、そして私の顔を撫でて、かわいいわぁって言ったの。そしたら私、力が抜けて、床にしゃがんじゃって・・」
「分かったわ。春香ちゃん。私とこのお兄ちゃんがね、そのゴツゴツをやっつけてあげる。それにね、その女の人も助けるわ。だからね、安心してね」

 神鈴は優しく春香を抱きしめた。
 大丈夫、大丈夫、神鈴の声は言霊となって、春香の心に染み込んだ。


 春香の家を後にした神鈴と漆間は、比嘉に送られて大学に戻っていた。

「ふぅ、比嘉さんも春香ちゃんのご両親も、とても喜んでいた。春香ちゃんも最後は笑ってくれたな。漆間、お疲れ様」
「そんな、春香ちゃんは神鈴さんに癒やされたんですよ。僕はなんにも」
「ははは、でも漆間、見ていただろ?」
「え?ええ、まぁ」
「それで、見えたか?」
「はい、見えました。僕、全部分かってしまいました・・・」

 漆間は神鈴と春香が話している間、春香に残った思念を読んでいた。
 それは用具室で春香を襲った怪異の姿、そして怪異から春香を救った女性の姿だ。

「あれは間違いなくミミチリボージです。でも1体だけでした。あいつは元々4体、前の闘いで1体は消滅していますから、今は3体のはずです。そして春香ちゃんからミミチリボージを退けたのは、やはり僕の母、名城明日葉で間違いありません。ですが・・・」

 漆間は俯いて言葉を詰まらせた。そして意を決したように顔を上げ、口を開く。

「春香ちゃんの霊気を吸ったのは、母です。ミミチリボージではありません」

 神鈴は目を見開くばかりで声を発することができない。

「母に人の心は残っていません。僕の母は、マジムンです」


 ああ、眠ったわ。でもすぐに別のが目を覚ます。
 すぐにここを離れなければ。

 次はどこ?なるべく遠くに、遠くに行かなければ。
 でもどうして、どうして遠くに行くの?

 忘れた、忘れてしまった。

 おう、おう、おう。

 次のが目覚めたら、こいつはすぐに子供を狙う。
 そうしたら、また子供の霊気が吸える。

 ああ、うれしい。力が戻る。
 力が無ければ、こいつらを押さえられないから。

 ここにはたくさんの子供たちがいる。
 ここでたくさん吸いたい。

 そしたら遠くに飛べる。
 だからたくさん吸いたい。

 違う違う。子供は好き。

 かわいい。
 愛してる。
 触りたい、抱きしめたい。

 でもどうして?
 どうしてこんなにかわいいの?

 わたしの子供だから?
 わたしの、こどもなの?

 違うの?

 おう、おう、おう。

 いけない、またひとり目覚めそう。

 次は、あそこかしら。
 それとも、ここかしら。


 数日後、琉球弧伝承研究室に、神鈴と1年生、2年生が集合していた。

「みなさん、このデータを見てください」

 部室に備え付けのモニターに、百合子がデータを映し出す。それは、沖縄本島を中心とした地図で、これまで調べた怪現象の地点がマッピングされている。

 沖縄は離島県だ。その人口、150万人は沖縄本島と伊是名や慶良間といった島々、宮古八重山、そして与那国まで広範囲に散らばる。
 だがその人口のほとんどは、沖縄本島中南部に集中している。つまり那覇市を中心としたその周辺に、小学校も集中しているのだ。

 百合子が示したマップには、これまでに全島の小学校で調べた怪現象のうち、××小学校でミミチリボージと闘い、明日葉が命を落としたあの日以降に起こったものが全てマッピングされている。
 この14年間に起こったものとは言え、その数は膨大だった。いわゆる“学校の怪談”が無い小学校などどこにもないからだ。
 特に沖縄本島中南部や石垣市、宮古島市などの人口集中地域は真っ黒に塗りつぶされ、とてもデータと呼べるものではない。

「ではここから、ただの噂や都市伝説の亜流というものを消します」

 百合子がマウスを操作すると、真っ黒だった画面に変化が起こった。

「わお、ほとんど消えた」
「うん、でもまだ那覇とかはかなり密集してるね。それに石垣とかも残ってる」
「そうですね。それでは次に、明らかに別の霊現象と思われるものと、キジムナーのいたずらを消します」
「ええ?別の霊現象ってそれはそれでまずくない?それにキジムナーは別枠なの?」
「達也くん、今回調べて分かったんだけど、キジムナーのいたずらはすっごく多いのよ。それにね、小学校に入り込める霊って少ないの。だから小学校の不思議現象は、キジムナーがほとんどかも」
「そうなんだぁ」
「もう、達也くんは沖縄出身でしょ?ネェネェに笑われるよ?」

 実際、達也と百合子のやり取りを見ながら日葵は笑っていた。

「じゃ、いきます」

 百合子が再びマウスを操作すると、マップの印は更に減る。

「おお、すごく減った?でも、まだ200?くらい、ある?」
「ええ、でもこれにはよく似た事例も含まれているんです。小学生ってよく喧嘩したり体調不良で倒れたりするでしょ?なので、日付と学校がはっきり分かっている達也くんの2件と先日の春香ちゃんの件を元に、確度の高いものから低いものまでランク付けして、色を付けてみます」

 百合子がマウスをクリックすると、マップがカラフルに彩られる。

「へぇ、赤が確度が高い?で、オレンジ、黄色から白になるほど確度が低いのか」
「あ、宮古とか石垣のポイントは消えちゃったね。久米島は、あるねぇ。渡嘉敷島も、津堅島もあるか」
「あれ?なんか図形みたいに見えるの、わたしだけ?」

 仲間五月が目を細めながら呟く。

「はい、五月さんの言うとおり、赤からオレンジ、黄色といった色を見ると、図形のように見えます。では最後のフィルターです」

 百合子がマウスをクリックすると、皆から声が上がった。

「また減った。で、ポイントとポイントを線で結んであるね」
「う~んっと、これって海があるから分かりにくいけど、螺旋か?」
「で?最後のフィルターって、なんだ?」
「それは、このフィルターに気付いた言葉さん、お願いします」

 百合子に振られ、言葉がモニターの横に進む。ここまで、皆が集めた情報を百合子と言葉が分析し、マッピングデータとしてまとめたのだ。

「じゃあみんな、最後のフィルターについて説明するね。これはね、この現象が発生した日がはっきり分かってる事例と曖昧でも時期は分かるという事例のうち、順番が食い違うものを除いてるの。つまり、時系列データってことね」

 言葉の説明に皆が耳を傾ける。

「この現象は約2ヶ月に一度ほど起こってるみたい。もちろん抜けてるデータもあると思うんだけど、精度は高いわ。そして現象が起こる度にある点から螺旋状に遠ざかる。そしてその距離が限界に達すると、また螺旋状に近づいて、それが繰り返されているように見えるの」

 14年前、××小学校で起きたミミチリボージと漆間の母、名城明日葉の闘い。そこで明日葉は自らの命を使い、ミミチリボージを封印した。そこから始まったこの怪現象は、沖縄本島全域に広がっている。

 日葵を始めとする2年生たち、そして日葵の弟の達也は、これまで友人たちや親類の伝手を頼ると共に、各地の小学校に直接連絡を取り、出来る限りの情報を集めたのだ。更にその現象の発生時期も、聞き取った情報を元に学校まで出向き、古い校内日誌などを確認させてもらっている。

 そんな彼らの行動の結果、怪現象が発生した日付や時間まで判明した事例も多かった。

「この正確に日時が分かっている赤い点、そして時期が分かっているオレンジの点に、年月日を入れてみるね」

 言葉がマウスを操作すると、それらの点の横に年月日が表示される。順番に表示される日付は、約2ヶ月置きに遠ざかり、沖縄本島北部まで北上する。そして日付は、逆方向に近づいてくる。

「沖縄本島の北まで離れるとそれは戻ってくるけど、久米島や慶良間諸島が入っているから螺旋だって分かるでしょ?」

 そこまで聞いて、日葵が声を上げた。

「ねぇ、ことちゃん、それってさ、どうしてせっかく遠ざかったのに、また近づいてくるわけ?」
「うん、ひまちゃん、多分なんだけど、吸収できる霊気の量が関係してるんじゃないかなって思うの。小学校が近くて多ければたくさんの霊気が集まるでしょ?そこで吸った霊気を使って遠くに離れるんだけど、霊気が少なくなると、その、漆間のお母さんの力が弱まるって言うか・・」
「そうか、ミミチリボージを封印するのに霊力が必要だからっていうことね。だから都市部でたくさん集めて・・」

 言葉と日葵は、自分たちの考えがどのような結論に達するのか、まだ気付いていなかった。

 言葉が話を続ける。

「それにね、本島中南部を拡大すると、螺旋がハッキリと分かるの」

 言葉はそう言いながらマウスをクリックした。マップが那覇を中心に拡大される。

「本当だ。中南部には小学校が多いから、現象が起こった学校同士が近い。確かに螺旋になってる」
「それにさ、螺旋の中心は那覇じゃないね。もっと南だ。この中心って?もしかして漆間がいた××小学校?」

 智と武史が口々に声を上げた。そして、××小学校かという武史の問いには漆間が応えた。

「ううん、武史、中心は××小じゃない。少し南にずれてる」
「じゃ、螺旋の中心はどこなのさ?」
「ここは、知念西小学校だ」

 漆間の答えに、言葉が続いた。

「そしてね、春香ちゃんの小学校がここ、那覇の久茂地第二小学校ね。ここから2ヶ月置きにどこかの小学校で現象は起きる。すると・・・」

 漆間が引き継ぐ。

「あれから14年。3年置きに現象は帰ってくる。つまり次にここ、知念西小学校に戻るのは、来年の3月だ」
「そうね、来年の3月。でも、まだ分からないこともあるの」

 皆が言葉の顔を見る。これ以上、なにが分からないのか、という顔で。

「あのね、知念西小の周りで起こる現象は××小学校も含め結構あって、綺麗な螺旋を描いてるの。その中心は、ほぼ知念西小を指している。でもね、この現象は知念西小で起こってないのよ、一度も」
「あのさ、それってさ、どういうこと?」

 意味が分からず疑問を投げる智に、漆間が応える。

「つまり、中心にいるヤツこそが親玉かもしれない、っていうことさ」

 皆の表情が強ばった。

 決戦は来年の3月だ。
 それまでに、計画を立てなければ。

 入念に、入念に。

 漆間は明日葉の顔を思い浮かべた。
 春香の残留思念を読んだときに見た顔だ。

 14年振りに見た母の顔。

 その母の顔は、すでにマジムンだった。


 サークル棟を出たところで、達也が百合子に声を掛けた。

「ねぇ百合子さん、今日の話、すごかったね。言葉さんと百合子さんの分析、すごかったよ」
「達也くん、そんなことないよ。みんなが正確なデータを集めてくれたから分析できたんだし、すごいのはみんなだよ」
「あはは、そうかもね。でもさ、ひとつ気になるんだけど、その他の霊現象は省いて、とか言ってたでしょ。あれはどうなの?ほっといていいの?」
「う~んっとねぇ、ほとんどがキジムナーのいたずらなんだけど、中にはね、あるんだよねぇ。ほっとく?どうなのかなぁ、達也くん、どうする?行く?」
「は?僕と百合子さんと、ふたりで?」
「うん、ふたりで。行ってみる?」

 百合子の思わぬ誘いに達也は戸惑いながらも、ここで引くのは恥ずかしいという子供のような考えに惑わされてもいた。

「よ・・・よぉーし!行こうじゃないか。百合子さんもホンモノなんだし、よぉーし!!」
「よし!じゃあ行こう!ちょうど一番近いところが一番やばいんだから、さ、行こう!」
「えぇええ?百合子さん、一番やばいってどういう・・あ!待ってよ」

 ひとりでさっさと歩を進める百合子の後を、達也は追い掛けた。


 百合子と達也は、夕方も遅い時間の校庭で佇んでいた。小学生たちはとっくに下校し、薄暗くて静かな校庭は、不気味な雰囲気を湛えている。

「百合子さん、なんかすぐに話が通ったけど、この学校に知り合いとかいたんだ」
「うん、私さ、データの分析だけじゃなくって近場の調査にも参加したでしょ?ここにも来たことあるんだ。それでね、琉大の教育学部ですって言ったら先輩が何人もいてね、そう言うこと」
「あ~そうか、沖縄の小学校ならそうだよね。先輩がたくさんいる。僕は教育学部じゃないからなぁ~」
「それでね、この学校の霊現象の話も詳しく聞けたのよ。漆間さんの件とは関係ないってすぐ分かったんだけど」
「ふぅ~ん、それで、その現象って、どういうの?」
「うん、子供がね、突然乱暴になるっていうのは一緒なの。でもね、全然違うんだなぁ。あのね、これが必要なのよ」
「この、サッカーボール?」
「そう、サッカーボール。じゃ、始めよっか」
「え?何を?」
「そりゃ~サッカーでしょ!」

 百合子はそう言うと、達也から離れてボールを蹴った。
 夕方の遅い時間、空には夕焼けの名残がある、誰もいない寂しい校庭。

 その端に植えてあるデイゴやガジュマルの木の傍で、ふたりはボールを蹴り合った。

「それ!」
「はい!」
「ほら!」

 何球目か、もう数えられないくらい蹴り合った頃。

「はい!」
「・・・」
「それ!」
「・・・」
「ねぇ、達也くん」
「・・・」
「ねぇ!達也くんってば!」
「・・・」
「来たわね」

 百合子はそう呟いてボールを蹴った。達也はそれまで黙ってボールを蹴り返していたが、そのボールは違った。
 達也は急に鋭い目つきで、百合子を睨みつける。

「うらぁぁあああぁぁあああ!!」

 咆哮と共に、達也は思い切りボールを蹴る。そのボールはコントロールを失わず、百合子の体を目掛けて飛んでくる。
 ボールが百合子の腹を直撃する瞬間、百合子は両手でボールを弾いた。
 弾かれたボールはどこかに転がることなく、糸が付いているように達也の足下に転がる。そして達也が右足を上げると、ボールは蹴りやすい位置に止まった。
 ボールは達也が止めたわけでもなく、勢いを無くして自然に止まったわけでもない。ボールは達也の足下に、ひとりでに止まったのだ。

「そうか、そういうことか」

 それを見た百合子が身構えると、達也は更に力を込め、右足を振り抜いた。その形相には、いつもの気弱な達也はいない。

「お前があんなことしたからあああ!お前なんかぁああああああああ!」

 尋常ではない速度で、しかも正確に、ボールは百合子を狙う。

「はぁあ、ぐぅっ!!」

 ボールが百合子の腹を直撃する。だが、百合子はあえてボールを受けたのだ。両手でボールをしっかりと抱え込む。

「はははっ!捕まえた」

 百合子の両手が霊気で光る。その霊気は腹に抱えたサッカーボールを包み込んだ。

「これでよし、まずはボールから!!」

 百合子は手近に落ちている枯れ枝を拾った。20cmほどの枝だが、百合子の手から伝った霊気を纏い、霊刃を形作る。

「うん、これでいい」

 そう呟いた瞬間、百合子はボールと達也の間の空間を霊刃で薙ぎ払った。ボールと達也を繋いでいた何かが切れ、ボールはただのサッカーボールに戻る。
 百合子はサッカーボールを投げ捨て、達也に向き直った。

「達也くん、気が付いた?達也くん!!」
「あ・・・あああ、百合子さん、あれ?、僕は、なにを、なにしたの?」
「目が覚めたわね、達也くん。これはね、サッカーをしてる子供に取り憑く霊よ。多分地縛霊」
「僕、あれ?百合子さん、僕の足、動かないんだけど、わぁあああ!動かないんだけどぉおお!」
「うん、ボールに入ってた霊は切ったから、それが達也くんの足に集まったのよ。これからそれも祓うから、ね、安心して」
「わぁぁぁぁああああ!足が足が!!動かないんだけどぉぉぉおおお!!」
「ちょ、ちょっと達也くん、話を聞いてってば!今からそれ、祓うから安心してって!!」

 パニックに陥ったのか、達也に百合子の声は届いていない。

「わぁああ、わぁああああん!助けてネェネェ!助けてぇええ!ネェネェ!助けてぇええ!ネェネェーー!」

 パニックの達也は、居もしない日葵に助けを求めている。

「はぁぁ~」

 姉の日葵に助けを求める達也の姿に、日葵は大きなため息をついて、言い放った。

「まったく、達也っ!!今ここにネェネェはいない!助けてって言うなら、助けて百合ちゃんっ!でしょ!」
「ね、ネェネェ?」
「違うっ!!達也、言いなさい!助けて百合ちゃん!!」
「助けて!百合ちゃん!!」
「そうよ!」

 百合子はその場で右手を大きく振りかぶり、達也に向けて振り抜いた。その手が握った枝が纏う霊気は、まるで振られた鞭のように伸び、達也の足に巻き付く。

「よし達也!今祓うから!!」

 百合子は右手を勢いよく引いた。すると達也の足に巻き付いた霊気の鞭は、取り衝いた霊を剥ぎ取り、百合子の元に戻る。

「これで、あとは」

 百合子が目の前に捕らえた地縛霊は、少年の様に見えた。

「そうか、やっぱりあなたは子供だったのね。私に美鈴さんや漆間さんの様な力があれば、あなたにどんなことがあったのかも理解できるんだろうけど、ごめんね、私には出来ない」

 少年の霊はじっと百合子を見つめている。自分の未練を分かってくれたのは、百合子が初めてだったのだろう。

「でも、乱暴はもうやめようね。せめて私があなたを眠らせてあげる。あのとき漆間さんがやったように」

 百合子は目を瞑り、その霊気を高めた。薄く緑がかった霊気は百合子の体を覆い、そして目の前の少年も包み込む。
 少年の表情は穏やかに変化し、その体は百合子の霊気に包まれたまま、小さな光の球になる。
 その光球を両手の平で優しく包んだ百合子は、それを校庭の隅にあるガジュマルの根元に放った。光球はゆっくりとガジュマルの枝に近づき、枝からぶら下がる気根に取り付く。

「これでいいわ。まるで北食堂のガジュマルみたい。あのガジュマルの子たちも、こんな風にガジュマルに守られていたのかも・・・」

 ガジュマルの気根に包まれた光球の中で、静かに眠る子供の霊。それを見つめる百合子の耳に、達也の声が届いた。

「助けて・・百合ちゃん、助けて・・百合ちゃん」
「あ、忘れてた、ごめんごめん」

 達也は呆然と地べたに座り込んでいた。


 百合子と達也は小学校を後にし、近くのマグドでコーヒーを飲んでいる。

「あのさ百合ちゃん」

 百合子は黙っている。もう達也は百合子の事を”百合ちゃん”と呼ぶことに決めたようだ。

「僕、めっちゃ百合ちゃんにひどいことしたみたいだし、それに、めっちゃ恥ずいことして、しかも助けてもらって、僕なんか、なんの役にも立たないんだよね。もう、明日からサークル、来ないどくね。ね、ひどくて恥ずくて弱いシスコンとか、キモいもんね」

 百合子はまだ黙っている。

「話してくれないのはしょうがないけどさ、とにかくさ、これだけは百合ちゃんに言わなくっちゃね。今日は、ごめんね」

 百合子はまっすぐ達也の目を見た。

「そう、それでいいのよ!でもね、ホントは謝る必要なし!だって達也を巻き込んだのは私だもん。って言うかね、これが私の“初めての除霊”なの。付き合ってくれて、ありがとね」
「は?」
「だからぁ、初めての除霊に付き合ってくれて、ありがとね」
「はぁああああ!?百合ちゃん、はぁああああ!?」

 達也は怒った振りをして声を上げたが、緩む頬を押さえることはできなかった。


 ふたりは追加でビックマグドセットをふたつ頼み、夕食がてら話すことにした。

「百合ちゃん、今日はさ、ものすごく強かったんじゃない?僕、ボールを思いっきり蹴ったのは覚えてるんだけど、すごく強かったよね」
「うん、結局ね、あの地縛霊は子供だった。あの子にどんな過去があったのか分からないけど、なにかとっても未練があって、長い間に霊気を溜めたのね。だからあんなに強かった」
「いや、その子供の霊も強かったんだろうけど、強かったのは百合ちゃんだよ。どうしてあんなに強いの?今は言葉さんより強い?」
「ううん、言葉さんは強いよ、ぜんぜん敵わない。だって私を強くしてくれたの、言葉さんだもん」
「言葉さんが?そうだったんだ」

 北食堂のガジュマルの件の後、百合子は霊力を高めるにはどうすればいいか、言葉に相談していた。

「漆間さんと言葉さんね、剣道がすごく強いの。でね、ふたりが漆間さんのお父さん、雄心さんに相談してみるって、それで雄心さんにすごく厳しい稽古を付けてもらったの。そのとき、霊気を自在に見ることができるようになったのよ?その後、言葉さんにずっと稽古を付けてもらった。今は、木の枝に霊気を纏わせることも出来るようになったの、すごいでしょ?」

 体力と精神力と集中力が磨かれる剣道の稽古は、霊能を持つ者にとって最適の修行だった。それは、漆間が雄心に鍛えられた修行と同じだ。

「そうかぁ、それであの小学校の霊を祓いに行ったのか。初めての除霊には、ちょうどいい相手だった、ってことね?」

 達也の言葉に、百合子は微笑みながら頷く。

「でもさぁ、もし百合ちゃんがあの霊を祓えなくて、僕が取り憑かれて、どうにかなったらどうするつもりだったのさ」
「え?そんなの決まってるじゃない!漆間さんか神鈴さんに頼むだけよ」
「はぁあああ?」
「あはははは!」

 百合子は楽しそうに笑った。

-でもこれで、私も闘えるかもしれない。来年の3月、私は絶対に役に立つ。私は由緒ある奥多摩宝山神社の娘、宝山百合子なんだから。

 百合子はそう胸に誓った。

 決戦の3月は、もうすぐそこだ。

 

つづく

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