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実家に帰らなくても愛はあるのか問題

もう過ぎてしまいましたが、年末になると「実家に帰らなくてもいいのですよ」と誰かに言っている気がします。


「年末は田舎に帰省するんだ〜るんるん」という人には言いません。


実家は居心地があまり良くなくて…とか。両親とは会いたいけど親戚の集まりはちょっと…とか。結婚の話をあれこれ聞かれるから嫌だな…とか。家族の誰かが絶対喧嘩するから、その中で年越しはうんざり…とか。

そんなお話になった時に、「帰らなくてもいいのですよ」とお伝えしています。


お前が決めていいのか!という感じがするかもしれませんが、一つの意見として伝えるだけです。私の言葉を受けて初めて、その人が「本当はどうしたいかな」と考え始める場合があります。

1年以上相談に来てくれている方で、最初の年は実家に帰り、2年目は帰らなかった方がいました。「今年は帰りません。帰らなくていいって去年言ってもらってから、1年間考えて帰らないことに決めました」と言って。


「正月は家族で」という文化

私たちは「正月は家族で」という文化の中でずっと育ってきているので、正月に実家に帰らないことは親不孝な気持ちになるかもしれません。正月に帰る家がない人も、孤独な気持ちになると思います。


私個人の感想としては、正月って、華やかで楽しい雰囲気と同時に、なんだか寂しい。それはこの文化によって「家族と過ごしていない人=孤独な人」というフレームがあり、一定数その「孤独な人」が存在するからではないかと思うのです。


でも、家族ではなくて友達と年越ししたっていいし、一人で過ごしたっていいんだって、知っていてほしいのです。ただの文化だから。最初は寂しいかもしれないけど、そのうち慣れます。もしくは、いつも家族のために気を張っていたところから解放されて、とても安心して年越しができる場合もあります。

その時に、寂しがる家族や怒る家族、ヒソヒソする親戚などがいる場合に私たちは作戦会議をします。その名もバオバブ作戦会議です。

家族が寂しいのは当たり前です。それも文化だから。家族が家族に会いたい気持ちも当たり前です。誰も悪気はありません。

でも、自分の気持ちを優先してあげなければいけない時がある。そのための作戦会議をする。この会議、私は毎度燃えます。

実家に帰らない=家族が嫌い?

ここで、実家に帰りたくない人はみんな家族が嫌いなのか?という話になりますが、決してそうではないのです。むしろ大切に思っているから、帰らないという選択ができない、もしくは帰らないことに罪悪感があるのです。

でも実家に帰らずに、家族を大切にする方法はたくさんあると思う。

心の中で「ありがとう」「大切に想っています」と伝えるだけで十分なのではないか?と思うのです。顔を見せなきゃ、もしくは何か贈り物をしなきゃ、その愛が存在しないわけではない。相手を想うだけの愛がある。家族に伝わるかどうかは別として。

でも伝わらなかったとしても愛は存在します。そこに愛はあるんです。家族はその時は愛を感じない場合もあるかもですが、それをいつか感じる場合もある。後から感じてもいいのです。

ちなみに、愛がなくてもいいです。愛がなくてもいい話は今回は割愛。

話は戻りますが、「帰ってくるんじゃなかった…」「また喧嘩だ…」と思いながらその場にいるよりも、違う場所にいて、自分が安心安全を感じながら「どうか健やかに」と心から想う方法がある。自分の中にこの選択肢があることが大切だと思っています。


実は、「帰りたくない」とご相談いただくのと同じように、「家族が正月なのに帰ってこなくて辛い」というご相談をいただく場合もあります。


そこでもバオバブ会議が発動(こっちも燃える)しますが、内容は同じことのように思います。会えない家族を大切にする選択肢がいくつもある。それを私たちは探っていくことになります。

答えはありません。自分だけの方法を探っていくのですから。

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2024年のテーマは、やめるまで楽しむこと。手放すことを恐れず、その瞬間までを楽しめばいい。そんなハマダのこだわり記事はこちらに収めます。

対話のカケラ(マガジン)


ハマダユイ
ソーシャルワーカー12年目。大学教員をやりながら、相談室バオバブで個別相談を受けている。精神疾患にまつわる悩み事、家族のこと、人間関係のこと、仕事のこと…。いろんな人と一緒に作戦会議を開く毎日。

バオバブはこちら。



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