見出し画像

与える側・与えられる側

今日、聞いた話。

与える側の意識・与えられる側の意識について

書く側と読む側
読む側と聞く側
演じる側と観る側
出力側と入力側

はっきり言うと、
自分の読みに両方の意識はなかった。

立ち位置としては、
与える側でなければいけないのだが、
与えられる側の意識があまりないから、
よくわからない。

原稿を読む時、
(その場の緊張は置いておいてね)
なんというか
自分の中の考えを出す
原稿の感想を言う
聞いている人を納得させる
聞いている人に面白いと思わせる
そのような意識でやっている。

与える側の意識として、
間違っているかのどうか?
誰か教えてほしい。

与えられる側の意識とはどんなものだろうか?
考えると・思い出すと

この世界に行こうと思った時、

この世界を知った時は、
キラキラしてるとか
楽しそうだなとか
思ったりはした。
けど、やりたいとは思わなかったな。

だけど
色々あって気持ちが滅入ってた時、
死ぬなら納得して死にたいなと思ってた。
そんな時に声の世界に触れたから、
この世界で納得して死のうと思った。
ただそれだけ。

こう考えると、
自分はズレてるような気がする。


このような自分が与える側の人間になれるのだろうか?

これに関しては
納得するまで、死ぬまで、
考え続けることになるのかも知れない。

この記事が参加している募集

#今日の振り返り

21,449件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?