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夢の国際列車を求めて♯自分史上最高の旅


結論:モンゴル旅行 北京~ウランバートルを陸路で超えて

 今回のテーマである自分史上最高の旅は、北京からウランバートルへを鉄道という陸路で移動したモンゴル旅行である。今まで色々出かけたのでかなり迷ったがこれにした。以下で理由やエピソードを述べていく。

憧れ

 私は旅行が好きだ。そして鉄道ファンでもある。鉄道に関しては国内の路線を全線乗るための記録を付けており(これを鉄道ファン的には『乗りつぶし』あるいは『完乗』と呼ぶ)、それは人生で達成したい大きな目標でもある。海外旅行に出掛けても、その目的の1つが「その国の鉄道に乗ること」だったりする。

 そんな旅行好き兼鉄道ファンの私がずっと憧れていたことがあった。国際列車である。長い距離をゆっくりと進んでいく列車、朝目覚めればそこは異国の地ーーー。島国である日本の国民である私にとって、鉄道で国境を超えるというのは全く想像することができなくて、そのような想像をしては憧れが募った。

 今はほとんど廃止となってしまったが、日本にもかつては長距離列車や寝台列車が走っていた。廃止となってしまった理由はやはり時代の流れで、新幹線・飛行機・バスの方が早く移動できるためである。

 それでも私は寝台列車が大好きだった。廃止になる前にこれでもかと乗りに出掛けた。飛行機の方が早いし、新幹線の方が本数が多いし、バスの方が早くて安い。それにもかかわらず、寝台列車にはそれを凌駕する価値があると思っていた。それは旅情である。

旅情と列車と

 寝台列車が発車する深夜の駅は色々な人がいる。残業帰りと思われるサラリーマン、自分と同じく旅行に行く風な人、2次会3次会帰りの若者など、色々な人の色々な感情であふれている。

そのような人を見ながら、キオスクで好きなお酒とおつまみを買って列車に乗ると、そこは寝台列車で静かな空間。駅が現実世界だとすれば違う世界に入ったかのようだった。列車が発車し、お酒もあけて、ガタンガタンと揺られながらぼーっとひとり車窓を眺めている時間は、本当に映画の中にいるようだった。こんなに贅沢な時間はないなと思った。だから私は寝台列車の中では絶対に携帯電話を触らず、この時間を満喫するのだと決めていた。

 狭いと言われる日本の国土を走る寝台列車でもこんなに素敵なのだから、国際列車はどんなものだろうと憧れが募った。国際列車として有名なのはシベリア鉄道とユーロスターあたりだろう。後者は国際列車と言っても基本的に高速鉄道なので、私が夢見る国際列車とは何だか趣が異なる気がするし、乗るならシベリア鉄道がいいと思った。

 シベリア鉄道とは諸々の支線を含め、モスクワ~ウラジオストクを結ぶ路線のことである。同区間を7日間で走破するという。飛行機とは比較にならない遅さである。だがそれがいい。

私が学生ならば「よーし!」と軽くモスクワに飛んでいたと思うが、何せ社会人の私には7日間+アルファの休みを取ることは無理だった。しかし定年まで待っていたら国際列車に乗りに行く体力なんてなくなりそう。だからまだ若い今のうちに行きたい・・・

そう思ってシベリア鉄道の路線図を見ていたら目に入ったのが北京~ウランバートルのシベリア鉄道の支線であった。これなら!と思った。北京であれば最寄りの空港からも直行便がたくさん出ているし、帰りはウランバートルから成田に直行便もある。それにモンゴルは鉄道抜きにしても行ってみたい国の一つだった。

行動開始

 いいじゃんと思いついてからの行動は早かった。同じく会社員で鉄道ファンの夫に「北京からウランバートルに国際列車が出てる。乗りに行こう」と話すと、夫も乗り気になり数か月後に二人の予定を合わせ、各種予約を取っていった。こんな謎の誘いにノリノリになってくれるのは夫だけだと思うので感謝である。

当然「北京からウランバートルに国際列車で行くツアー!」なんてものはないので、全て個人で手配した。最も予約が困難だったのはメインイベントである列車の切符であった。

まず基本的にネットで購入ができない。そのため、北京の日本人対応に慣れている旅行代理店に問い合わせ、当該切符を手数料を払い予約してもらう。旅行会社にもよるのかもしれないが、その切符は事前にEMSなどで郵送してはくれず、私たちが北京に到着したときに、受け渡し係の中国人と待ち合わせてそこで手渡しになると言われた。

なかなかリスキーで笑えた。日本でさえだよ?人がごった返す成田空港で、スマホない状態で、日本語できない初対面の外国人と待ち合わせってかなりレベルの高いミッションなんじゃないか?

休みに余裕をもって行っている旅行じゃないし、列車の本数は限られているので手渡しに失敗したら終わりだなと思った。結果的には無事に待ち合わせできて受け取れたので良かった。本当に。

北京空港到着が深夜で、列車は翌朝7時ごろ発車だったため、数時間しか休めないので、早くホテルに行ってシャワーして寝ようと思った。翌日は1日列車内だからシャワーできないし。しかし、いざホテルに着くと給湯器が壊れているのか、冷水シャワーしか出なくて風邪ひくかと思った。そんな感じの旅の幕開けだった。

思えばここから思い描いていた「旅情」の2文字が崩れかかっていたのかもしれない。

いざ乗車

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 ほぼ寝れぬまま翌朝北京駅に向かった。ホテルからは徒歩の距離だったがとにかく人がすごかった。人と何かで淀んだ空気がすごかった。

列車に乗る前に買い物をした。シベリア鉄道のブログなどで、食堂車がやってなかったりすることもあるという情報を見ていたため、多めにお菓子などを買って持ち込もうと考えたためである。夫は買いすぎだと言っていたけれど、「もっと買っておけ!今のうちに!」が正解だとはこの時は知る由もなかった。

 買い物をしたけれど乗り場が分からず右往左往した。やっと見つけた乗り場では身体検査が行われており、虫が多いと聞いて持参した虫よけスプレーが無言で検査の人に捨てられて、虫が苦手な私は半泣きになった。

ホームに着くと、そこには今まで見たどの列車よりも長い列車が停車していた。私たちが乗る列車だった。北京に着いてからハラハラバタバタだったけれど、その列車を見るとやっとわくわく感が湧いてきた。

夫とひとしきり写真を撮り、発車ギリギリに乗車した。

出発

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 朝7時北京発、翌日昼過ぎにウランバートル着という長い旅の始まりである。そんな旅の始まりは、予約した座席に誰かがすでに座っていたことから始まった。

当然日本人ではないので言葉は通じず、なかなかどいてもらえなかった。アテンダントの人は多少の英語ができるので、その人を介して話をしてどいてもらった。

昼食は食堂車で・・・と思っていたけれど、どれだけ歩いても見当たらなかった。連結していないのかなと話しながらとりあえず買ってきたカップ麺を食べた。食堂車もだけど自販機や販売の人も見かけなかった。

 昼間は楽しく過ごした。夫と外の景色を眺めておしゃべりして、お昼寝したりした。新婚旅行っぽい。(新婚旅行ではないが)

夜になると、この列車旅のメイン(?)イベントがある。国境越えの準備である。

中国国内とモンゴルでは線路の規格が異なるため、国境の駅に到着したら一度列車と車輪の台座部分を分割して、モンゴル規格の台座に乗せ換えるという作業があるのだ。何この鉄道ファンのためのイベントは

国境にて

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 夫と「楽しそうだよね~」と呑気に話していたけれど、結論全然楽しくはなかった。今となっては笑い話として楽しいだけで。

その台座乗せ換え作業には数時間かかるのだが、まずその数時間外に出られない。当然外に出て乗せ換え作業を見学できると思っていた私は、顔に冷や水をかけられた状態である。

次に、その数時間の間車内のすべての電源が切れる。車内の照明も点かず、空調も切れ、トイレも使用不可。これは本当に健康を害すると思った。何せ当時は7月の半ば。車内は蒸し風呂であった。

最後に、食事問題である。未だなぜか食堂車はなく、電源も点かないのでお湯も沸かせず、カップ麺も食べられる状態ではなかった。お腹がすいた私たち夫婦はちまちまとお菓子を食べてしのいだ。ついでに水も買えなかったので、水が切れそうでどうしようかと思った。

海外なのでネットもつながらないし、夫とおしゃべりするのにも水がないのでしゃべるとのどが渇くので極力しゃべらない。

蒸し風呂のように暑いので疲れてくる。台座入れ替えの数時間が本当に永遠に感じられた。永遠を感じるならこんなところで感じたくなかった。そんなことをしているうちに浅く眠ってしまった。

 私があんなに大好きだと思っていた寝台列車の夜の時間。この北京~ウランバートルの国際列車では、生きるのにとりあえず必死で旅情など楽しむ暇がないままに夜は明けて行った。

私が思い描いていた、長い長い列車が、夜にゆっくり国境を越えていく様子は何も分からなかった。寝台列車に乗りながら音楽を聴くのも大好きな時間だったけれど、そんなことをする余裕はなかった。

この旅行のために入れたチューリップのアルバムがウォークマンの中で泣いていた。(けっこう旅行に合わせて音楽も用意するタイプなので。今回は『心の旅』を聞きたくて用意していた)

あれ、旅の目的が・・・

翌日

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 何とか飢えをしのいで朝を迎えた私たち夫婦、起きたらそこはもうモンゴル国内だった。

夜のうちに連結したのか食堂車を発見したので入ってみた。期待通りの値段(高いという意味で)、期待通りのお味(あんまり・・・)、期待通りのシャイな接客100点満点だった。

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モンゴルに入ってからの車窓は見ていて飽きないものだった。

大草原もあれば、カラカラの干からびた大地、点在するゲル、群れを成す動物たち・・・ずっと窓の外を見ていた。

半径何メートルのカーブなのかも分からない大きなカーブでは、長い長い私たちの列車の先頭車両が車窓から見えた。それを見て「ああ、列車に乗っているのだな」と実感した。

モンゴル国内に入ってからはあっという間に時間が過ぎて、ほぼ定刻にウランバートル駅に到着した。

到着、旅のおわり

 ウランバートルに着いたところで、私たちの旅は終わった。「国際列車に乗ること」これが今回の旅のメインだったからである。

とはいえ飛行機の便の関係もあり、このあと多少モンゴル国内の観光もしたのだが、本稿では国際列車がメインテーマのため詳細は記さないでおく。

 憧れて憧れて、憧れぬいた国際列車に乗れたわけだが、その感想は「しばらくはいいかな」である。

乗車前からバタバタして、列車内では夜の時間を旅情を感じる時間として楽しむということはできなかったし(生きててよかった)、旅情を感じる余裕なんてなかった。

それでも国際列車が

 それでも今となっては思い出補正がかかっているのか、本稿のテーマである「自分史上最高の旅」にこの旅を推すくらい、いい思い出になっている。あのバタバタも国際列車飢饉も今となっては笑い話だ。

「あのときは大変だったね~」思いを巡らせながら夫と話していると、心がほんわかと何かを感じるのである。

それが旅情なのかもしれないなと最近思う。その場で感じない旅情だってきっとあるんだろう。この国際列車の旅はきっとこのタイプだったのだ。

コロナの収束が見通せず、旅行に出掛けられない今こそ、昔の旅行の思い出話をたくさんして、あとから来る旅情を皆さんも楽しもう。

追伸

 ちなみに帰りのウランバートル~成田はかなり遅延して、成田早朝到着から新幹線始発に乗って、そのまま地元着いて出勤というバタバタもあったのです。なので旅情を感じつつも「やっぱりしばらくはいいや・・・」となっているのです。