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がんばれる、という運

人は変わることができるのだろうか。変わった、ように見えるだけなのか。このことをずいぶん長い間考えている。


普通のことができない

僕は高校生のとき、めちゃめちゃメンタルが弱かった

いつも人の顔色を伺っていた。相手の反応で、態度や言葉遣いを変えていた。これは大変疲れることだ。そうしていくうちに、なぜだか、人の顔を見るのが怖くなった。表情の変化を見るのが恐怖になった。人間関係の悩みはなかったのにもかかわらず。

そしてあるとき、突然電車に乗れなくなった。電車が動きだすと、気持ち悪くなる。吐き気が止まらない。学校までに、何度か途中の駅で休憩しないと、倒れてしまうんじゃないか、そのくらいの不安を毎日抱いていた。

学校に着くまでに、一日分のエネルギーを消費した感覚。授業が始まる前から疲労困憊。そんな状態では、まともに授業を受けられない。先生の話が頭に入ってこない。ただただ、椅子に座っているだけでも、苦痛だった


そういう状態が続くと、学校に行くのがつらくなる。行ったり行かなかったりの日々。人の顔が見れない。まともに電車に乗れない、椅子に座って授業を受けるのが苦痛。もう人生終わりだ、と強く思った。

それでも、両親や先生の温和なサポートがあり、なんとか高校を卒業することができた。しかし、これからどうやって、生きていけばいいのだろう、その悩みは解決していない。

僕は普通のことができない。これは大きな、それはもう大きなショックだった。みんなと同じことができない当たり前のことができない。あの時の苦境は、今でも鮮明に覚えている。なんせ、普通のことができないのだから、普通に生きていけない。卒業の安堵と将来の恐怖が胸にあった。


時間と環境と運。そして意志

大学生になり、時間に余裕ができた。時間があった、これが僕にとって重要なことになった。ゆっくりと、自分を変えていく作業を集中的に取り組めたからだ。なによりも時間があったことで、弱い自分を変えたい!という強い意志が芽生えた。

ありとあらゆる工夫をし、少しずつ、段階的に、自分を変えることができたと思う。改善していくための勉強をし、学んだことを実行に移す。主に食事、睡眠、運動、心理療法などを勉強し実践した。うまくいけば、失敗することもあった。自分に合う方法があれば、合わない方法もあった。とにかくこの繰り返しを続けた。

そのうち、おお、なんか少しずつ変われてる。と思えるようになった。普通に近づけた気がしてきたのだ。

自分を変える取り組みをはじめてから、数年経ち、今では、気軽に電車に乗れるし、人とも話せる。落ち着いて椅子に座り、授業を受けることができる。余裕な心がある、とは言えないまでも、昔よりはマシ、と思える。

自信や自己効力感もいくらか、感じるようになれた。努力をすることで、変化が起きる。それを実感したし、嬉しくもあった。まだ、何かを成し遂げたわけではないけれど、自分を褒めたい。いろいろがんばってえらい!(コウペンちゃん風)


高校生のときを振り返ってみると、よりよく生きていくための工夫が足りなかった。改善しようという試みが何もなかった。今考えると、あのとき、ああしていれば、と思わずにはいられない。

しかし、できるわけがなかった。毎日を生きるだけで精一杯だった。現在の頭をもって、あの頃に戻れたとしたら、どうだろうか。おそらく少しは自分を変える努力はするだろう。でもやっぱり、できないと思う。無理だったよ、あのときは。無理無理。


最近思うのは、僕には、自分を変えていく時間の余裕と環境、そして、があった。この3つがあったおかげで、多少は普通になれたわけだ。とくに環境に恵まれた、という運の良さに感謝したい。両親は協力してくれたし、取り組みに対しても温かく見守ってくれた。がんばれる環境を作り出してくれた。

まだまだ未熟だし、改善していく必要があるけれど、ちゃんと生きれている。これは幸せなことだ。

あとは、なにより自分を変えたいという強い意志がぼくにはあった。これも小さくない要因だ。

そうした数年の努力と、環境の良さを知っていたから、病気になっても、すんなり受け入れることができたのだと思う。以前の僕だったら、病気になったことに対して、抵抗し、怒り、泣き喚いてはずだ。運命を呪うことはなかった。

健康的な生活を意識してきたのに、なんで病気になってしまったのか、とは思った。だけど、考えても仕方ないことだったから、これからどうしていくべきか、だけを考えるようにした。以前は、超ネガティブ思考の自分だったから、その考えができるようになったことが嬉しかった。

そんな運の良さや環境があったから、変わろうとする努力ができたわけだ。


がんばれない人はどうしたらいいの

ある知人にメンタルブレイクを起こし、引きこもっている人がいる。今の僕は、何も知らないわけではいから、少しでも健康的に過ごせる方法や心理療法を教えたり、本格的に専門家に診てもらったりしたほうが良いことを伝えている。

しかし、その人は全く動こうとせず、長く引きこもったままだ。自分がどれだけ、熱心に言っても駄目。家から出ない。

どうしたらいいのだろう。自分になにかできることがあるのでは?と考える。だが、実際にどうするかはその人次第だと思う。あまり深く入り込んでも悪いし、僕なら嫌だ。

なにより僕は自分の意志で自分を変えたいと強く思ったから、行動できた。

話を聴いていても、その人が悪い状況から脱したいと思っているのか、よくわからない。わかるのことは、自ら破滅に陥る生活をしている。そうなってしまう心情はよくわかる。苦しいときは、簡単に得られる強い刺激を求めてしまうし、考えることを放棄する。自堕落な生活になってしまうものだ。仕方ない。ぼくも、かつては、そんなときがあったからわかる。誰しもそうなのかもしれない。

ただ、このままではいけないことは、本人もわかっているはず。いつかは、自分と向きあう必要がある。悪い状況が長く続くほど、取り返しがつかなくなる。。

僕にできることは、温かく見守ることなのだろうか、それとも手を差し伸べ続けるべきなのだろうか。もう関わらない、という選択肢もある。

はっきり言って、その知人は好感のもてる性格ではない。好きな人物ではない。なにか失敗したら、いつも他人のせいにばかりしているし。だから見捨てることは可能だ。しかし、僕の中の人情がそれをさせない。それを許さない。余計なお世話。それは理解している。他人を助けたい、という気持ちはおこがましいのかもしれない。

様々な感情が渦巻いている。とりあえず今は、手を差し伸べ続けることに集中している。いつか、僕の心が折れてしまうかもしれない。ふとしたときに、折れてしまいそうだ。そうはならないよう、意志を保ちたい。



自分でがんばれる人とそうでない人がいる。誰かの力を、助けを借りなきゃ立ち上がれない人がいる。

僕は、そういう人たちに、けっして、がんばれないからあなたはダメなんだ、とは言わないし言えない。

人それぞれ環境や境遇、性格が違うから。

どうしてもがんばれない人は、どうしたらいいのだろう。そんな人に対して僕ができることはあるのだろうか。

生涯勉強!大切に使わさせていただきます!この感謝を忘れません