わかれは一人で佇つ覚悟をくれる
心を分け合った相手なら、できるだけその心をひとつにしたまま、気持ちは受け入れ合いながら、変化を共有しながら、できるだけ長く一緒にいたいと思う。
それが叶わないこともある。
どんなにドラマティックなはじまりでも、どんなに強く誓い合った絆でも、時間とともにほどけて、しぜんと道を分かつこともある。
いつのまにかすれ違っていることも、それに気づかずにいることも……みたいな、安いJ-POPのような描写が湧き出てくるくらいには、私はあの人のことを何も分かっていなかったし、きっといまも分かっていないのだと思う。
私にとっては大きくて重いことが、あの人にとってはそうではないのかもしれないし、あるいは、あの人にとって重すぎたのかもしれないし。
話をしたいけれど、話したところで真実を得られるかどうかは別問題だろうし、せいぜい配られたカードを並べたりひっくり返したりして読み合うしかないのだ。最後はそんなものだ。
あのとき電話で話したこと、未来を重ねることについて同じ熱を持ってくれたことは本物だったと思っているし、応えられなかった私の不甲斐なさも、とてもとても感じている。
私の不甲斐なさだけが原因じゃないことも、なんとなく、わかっている。
あなたのこれからの人生。これからも背負っていくもの。手放せないものとあきらめと、その背にかかる斜陽をそばで見てきた。
人生は自由じゃない。ひとつも自由じゃない。
ましてや、他人の人生を私の自由にできるはずもない。
私もまた、自立しているつもりでどれだけ依存していたか思い知らされている。
私たちは皆、自分の足で歩いてその足跡を回収しなければならない。
ことに、表現することにおいて、人間はどこまでもひとりだということを、わかれのたびに思い出す。
2年間も、一緒に音楽をやってくれてありがとう。……とは、まだ、本人には素直に言えそうにないけど。
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