【感想】日本一長い『海の上のピアニスト』レビュー
映画『海の上のピアニスト』(英:The Legend of 1900)
これは映画知識や時代背景から見える考察などをひけらかす記事ではなく、映画好きで影響されやすい感情的なひとりの男の心情文です。
つまりは、映画を観ながら感じた気持ちをつらつら書いていくだけの記事です。
さらには、自分が映画を振り返る時の日記のようなものになるでしょう。これは自分の為に書いた物です。
さて、今回の話題となる映画はこちら。『海の上のピアニスト』。4Kデジタル修復版を映画館で鑑賞してきました。予告編はこちらです。
はああああん。
予告編を見てまた感動が蘇ってきました。
あああはああん。
なんだってんだよ…泣かせるねえ…
本当に良かったなああ。いい映画だなああ。
さてと、この映画ですが、映画館で観るのは初めてでしたが、人生で言えば二回目です。およそ11年前のことですが、当時お付き合いしていた女性から勧められて観たのが一回目です。
当時も感動したんですが、今回ほどの感動を得てはいなかったんです。内容もほとんど忘れていましたし。
それはきっと人生経験の浅さだとか若さゆえの事だったんだと思います。
それではこれから映画鑑賞中の気持ちをずらずらと書き続けていくのですが、はじめに、鑑賞直後に書いた僕のツイートをお見せします。
素敵なこと言ってるねえ。
それもそのはず、映画中に出てくるセリフ達が名言ばかりで、自分も良いこと言いたくて仕方がなかったんです。
メモを取りながら観ていたわけではありませんので、記憶の限りのセリフ起こしになります。できるだけ物語の順番通りに感想(感情)を書きたいと思いますのでお付き合いください。
おそらく読み終わったあとに「長すぎる」「何を伝えたいんだ」という貴重なご意見が寄せられると思いますが、母親からの手紙だと思って(そう信じ切って)読んでいただけますと助かります。
それではまいります。
・彼はよく言っていた「何かいい物語があって語る相手がいる限り人生捨てたもんじゃない」と。 ……物語の冒頭にあるマックスの語り。この言葉に関しては後述しますけれど、今こうしてnoteを書いていることや僕にとっての人との繋がりを意味する、核心的セリフです。
・甲板にボルゾイがいましたよね。茶色と白のまだら模様で、歩かされてるというかリードを持つ人を気遣うような歩きかたをしていましたね。
・いつも決まってそうだった。誰かが目を上げ彼女を見る。……マックスの語りが続く中、車いすを押す二人の女性がカメラの前を横切ったけれども、あの赤と白とぐるぐる模様は一体どこぞの国の伝統服なのだろうか。世界のファッション史について全く詳しくない僕ですが、直感的にロシアと判断しました。どなたか教えてください。
・アメーリカーァァァ!! ……視界を隠す霧と靄のなかから自由の女神が現れる。このシーンすごい。もはやクライマックス。僕の頭の記憶倉庫に歴史断片表はなく、つまりは歴史についてアホであるのでこの時代のアメリカの凄さを知りません。ですがこの最初のクライマックスシーンで誰もが察することができます。アメリカへの憧れと未来への期待と生まれ変わる喜びと一人ではないという一体感を。中には無表情の者もいますが、それはきっと慣れた姿でいることがかっこいいと思っているからなのでしょう。最近、僕が住んでいる街の商店街に芸能人がロケにきていたのですけれど、何食わぬ顔で通り過ぎてやりました。芸能人に驚かないってのは東京通であることの一つであると信じ切っているからです。さて、話を戻しますが、僕はフィルムの順番間違ってますよ?!とまで思った。ここが映画のオチなんじゃないの?!とさえ思った。
・運命 この一瞬を見ることが人生に刻まれている こどもの頃の彼の目を見ればわかる 目に映っている アメリカが……鑑賞中、この言葉はどういう意味だろうと考えましたが間に合わず。なので今ここで考え直します。きっと人の中には小人が住んでいます。←説明しますからお待ちを。何千何億と小人が住んでいて、それぞれ違う役目を担っています。小人たちは出番を待っています。アメリカ!と叫んだ男がニューヨークの景色を見た瞬間にはニューヨークを見た瞬間に出番が来る小人がいます。出番が来た小人は男の体内に溶けだし、全身に血を巡らせ脳を刺激します。この瞬間(小人たちの出番)は子供のころから決まっていて、それを運命と言います。と、いう意味でしょう。伝わりましたかね?
・ニューヨークが視界いっぱいに映り、乗客は静かになる。アメリカアアアアアアと叫んだ男の瞳にカメラが寄っていく。その瞳の中からマックスが再び現れるのだが、帽子大きいな~と思いました。帽子のつばと顔も合わせてまるでソフトクリームみたいだった。
・陸に上がると小便がまっすぐに飛ばない。便器は静止しているがこっちの体が揺れている。……ここ好きなんですよねえ。なんか海の面白さと言うか陸の良さと言うか経験してはいないが分かる分かると共感できる面白さと言うか。そんな風に思っているとマックスがこんなことを言います。その頃の夢はただ一つ、トランペットを吹くこと。なのにどうして、この場合に楽器屋に来る理由などたった一つ。売ってしまうの?やめときな~…観客は皆そう思ったでしょう。彼の人生の苦しみなど理解しようとはせずに、売ってしまってはダメだ!と、そう思ったでしょう。例えばもし僕が歌うことが生きがいだとして、結果として愛用しているマイクロフォンを売ってしまわなきゃいけない状況になったとします。僕は売るでしょう。けれどトランペットはそれとはまったく違うんです。…うまく伝えられないけれど、上映時間的にまだ五分ほどのところなので先に進みます。
・感情の揺れは目に出る。物語の中でマックスはしきりに目を左右に動かします。これはマックスの癖なのかまたは意識せず起きる症状なのかは分かりませんが、感情は目に出ます。演技について少しだけ勉強した時期が僕にはあるのですが、恋している表現として相手の目を交互に見るというものがあります。じっと目を見つめるよりも右左右左と交互に見つめることの方が観客としては「この人、恋しているな」と感じるそうです。僕の推測としては、マックスのこの目の揺れは…何でしょうかね。読み取れません。次に行きます。
・プープゥ~ププ~~~~~~ピッピプゥプ~~~……映画館で聞くトランペットの音は痺れる。たぶんだけど、僕は目の前で演奏を聴くよりも映像を通した方が感動します。事前に演奏者のドキュメンタリーを見ていたのなら変わってきそうですけれど。 曲名はない……少数のものしか聞いていないというマックスの言葉。船のバンドメンバーとその瞬間にいたお客さんだけが聞いた即興の音楽なのかな?それをたまたま録音してたのかな?とこの時点では考えていました。
・ジャンプスケアは苦手。この映画で唯一直接的な音の驚き(感動とは違う)があるとすればここだろう。それは、碇を下す際の鎖の濁流音。
・ダニー(ビル・ナン)が1900を見つけるシーン。床にはゴミばっかりが落ちている。えええ?こんなに汚す?とは思ったけど、どっかの老舗バーだか昔からあるバーだかでナッツの殻は下に落としちゃってくださいみたいなルールの店があったような、と考えたらこの時代は下に落とすことが当たり前だったのかな。にしても汚い。ま、髪の毛やオートミールが自室の床に落ちてても、蜘蛛が現れても気にしない僕が言えたことではないですが。
・1900専用の機械ゆりかごには何となく見覚えがありました。そうだそうだ、うちのおばあちゃんの部屋にあったミシンだ。真っ黒の潜水艦が水面から顔を出したような足踏みミシンで、でっかいハンドルを回すことでも稼働する。小学生にも満たない僕は必死になって回したもんです。回す行為自体が面白くて面白くて…懐かしいなあ。おばあちゃんにはよく可愛がってもらっていました。ちなみにおばあちゃんはハムスターが好きでした。
・ダニーが、いいこと言うじゃねえかの顔をしたからてっきりチューズデイになるもんだと。僕だったらチューズデイと名付けてしまっていたなあ。脚本家目線ではなく、その場に父親としていたら、の話。
・僕は船酔いをこれでもかとよくするし、もちろん車酔いも何酔いでもするのですけれど、1900は一切しない。毒ガスの環境で生まれた蛇はその抗体を持って生まれるなんて話がありますが、例えばもし陸に住む生き物が水の名で子供を育てたら水に強い生き物が生まれるんですかね、とか考えながら大きな船のシーンに圧倒されていました。
・だれか肩をたたいたか……この一言でダニーの生き方が見えてきますよね。この一言だけでダニーの走馬灯が見えるような、荷物袋を肩にかけて歩くダニーの若い時の姿が見えてくるような。
・音楽…ミュージック……日本語(日本人)をここに登場させたわけを考えてみました。この場面に必要なのは優しさだと思うんです。死の別れを経験し新たな出会いとの場面でもあります。ここでなんでもない人が音楽だと教えてもいいのですが、理想的なのは1900の母親です。僕が聞いた話なのですが、ある海外の人がこう言ったそうです「日本人は穏やかな顔をしている」と。あの場に1900の母親はいませんので、代わりに優しさを持った(優しそうな雰囲気を持った)人物が必要です。つまりこれが日本人が登場した理由と僕は考えます。
・8歳の1900は立ち入り禁止の扉を開けて、船客の住居エリアに入ります。ガラス越しに見えるのはキラキラしているがぼんやりとした世界。彼の耳にはピアノの音だけ鮮明に聞こえている。1900の目はキラキラしているがこれは憧れの目と言うよりも飛び出す絵本を楽しんでいるような目なのかな~と僕は感じました。けれど、ピアノを見る1900の目は、驚きに肩車してもらっている圧倒的な興味を含んでいるように見えました。まるで飛び出す絵本の仕組みを知ってしまったかのような。1900がピアノと出会うとても印象的なシーンでした。その直前の給炭室の階段を上るシーンも印象的でした。深い黒寄りの青が給炭室を照らし、まるで深海にいるような色でした。
・1900のピアノが船長にばれてしまうシーン。洗顔料?パック?夜用クリーム?を付けたままの婦人が1900の名前に曲名みたいと答えた印象的な場面ですが、ここで一緒に考えたいのです。1900の演奏は、その日(ピアノを初めて目にした日)の夜に行われたのか、それから何日も経ってからなのか。つまりは、その日のうちにピアノを演奏できたのか何日か練習し続けて出来るようになったのかどうかです。僕はその日のうちだと思います。理由は船長の顔を見ながら手元を見ずに演奏する瞬間があったこと(天性のものとしか思えない)、船員船客がピアノの音に今まで気づかなかったはずはないのではということの二つです。顏に炭汚れが増えているから別日なのでは?という懸念もありましたが、まあそれくらいは付くだろうってことで。皆さんはどう思いますか?どちらにせよ素晴らしいものでした。
・規則なんかクソくらえ……ダニーの口調を真似して身についた言葉遣いなのだろうなと、微笑ましくなりました。
・ちなみに、この時1900が演奏していた曲の曲名は“A Mozart Reincarnated‘’(モーツァルトの再来)です。
・マックスが爆破前のヴァージニアン号を訪れる。錆で赤茶色に変わった船の塗装を見上げるその直後に過去シーンに入り、当時の綺麗なヴァージニアン号が現れる。演出が上手いですよね。カメラワークに注目しながら鑑賞すると映画に対する監督達のこだわりを感じられて好きなんです。
・船に乗るための流れ面接、マックスが演奏しながらそのまま船に乗り込んだら面白いなあと思いました。両手塞がってるから無理な話だけれど。採用担当者にそれはジャズだと言われていましたが、ここでマックスが演奏したのはマックスのオリジナル曲なのでしょうか。後にも出てくる話ですがこの時代はジャズが生まれたばかりと言うことで、聞く者にとってマックスの演奏は新鮮なものだったでしょう。それを見ている1900の後ろ姿もたまらない。これから友情が芽生える確信を観客に持たせてくれます。
・テーントッテーントットテットトッテ~ン♪マックスが船に乗った三日後の夜、海は荒れ立っていられない。この時に流れているBGMはこの時代の映画ならではの音だ。最近の映画で聞けることはまずない。いまではおじゃる丸くらいでしか聞けないだろう。と言っても海の上のピアニストの頃の映画でも珍しいのではないのだろうか。もう少し古い映画でよく流れているようなBGMだから。そして、僕はこのBGMに驚きました。物語の空気感が一気に親しみあるものになるというか、大衆的に感じられるというか。このBGMを流すか流さないかは意見が分かれるんじゃないかなとも思いました。僕は好きです。
・またもや映像技術の面で感心してしまいます。これは予想でしかないのですが、おそらく船の揺れを表現するシーンは扉や椅子を手で動かしているのでしょう。そりゃそうだと思われるかもしれませんが、船の上であることを観客に視覚的に理解させる、映画技術とからくりが詰まった大好きなシーンです。
・子供はいるのか?…いない…孤児院行きになるぞ…ママ!…競馬好きか……僕がこの映画で一番一番大好きなシーンです。1900に誘われピアノダンス。このシーンの直後に映画館が閉店してお帰りくださいと言われても笑みこぼしたまま満足に帰れる自信があります。それくらい気持ちのよくなれる大好きなシーン。この映画内だけでなく、僕の映画史全体を通しても大好きな映像です。音楽の知識についてはまるっきりな僕です。そんな僕がこの時のピアノから連想したのは、犬。その場で楽しそうにぐるぐる回るわんちゃん。それから前脚を上げてぴょんぴょん跳ねるわんちゃん。
・楽しそうに笑うマックスもガラスにぶつかる瞬間とそのあとは驚きの表情を見せています。ですがティム・ロス(1900)は無邪気な笑顔のまま。避けていく靴。船長の部屋にぶち当たったあとのマックスの笑いをこらえる何とも言えない表情。そして1900の船長も乗ります?のセリフ。からの給炭シーン。しこたま怒られたんだろうなあって情景が見えてきます。その時も笑いをこらえながらお互いを見合っていたんだろうなあとか思いながら。
・罰として石炭焚きをする二人(罰と言っても給料から弁償代を差し引かれただろうな)。さて、ここのシーンで僕の自己紹介の概念と言うものが変わりました。概念と言うと、自己紹介そのものへの意義や必要性を問う話と勘違いされそうですが、ここで話したいのはかっこいい自己紹介とは、についてです。今までの僕にとって一番かっこいい自己紹介方法はoo7のジェームズボンドでした。「ボンド…ジェームズ・ボンド」←これ。さて、これからの僕の中で新説・定説となるかっこいい自己紹介は、自己紹介をしないです。
・君が誰であれ マックス・トゥーニーだ よろしく……かっこいい。先ほど自己紹介をしないことがかっこいいと書きましたが、正確には自己紹介を後回しにするです。大人になってからの生活で自己紹介が後になるシチェーションはゼロに近いですよね。あったとすれば幼少期。公園で知らない子達と遊んで、そのまま名前も明かさずにバイバイと手を振った夕暮れ。僕自身が久しく感じていないこの友情が羨ましい。
・石炭の上に寝転びながらのシーン、1900はニューオーリンズはいい街だと言います。そして実際に見たことがあるかのように、小説らしい装飾のある文で街の情景を語ります。鮮明でいて幻想的。温度や匂いまで知っているような話しっぷりにとても惹きつけられました。ニューオーリンズの話は想像だけで知り得たものでは無いはずです。きっと船の乗客から聞いた話なのでしょう。甲板で聞いたり、ピアノを演奏しながら聞いたり。船のいたるところで聞いて、たぶん質問もたくさんして、人の記憶を自分の物としていたのだと思います。頭の中には地球儀のようなものがあって、ピアノを前にすれば選んだ場所にいつでも飛んで行けるようになっているんでしょう。それはグーグルアースのように地球をぐるぐる回して好きなところにズームするような、そこに日々新しい世界を記録をしていくような。
・指揮者の棒長いな~コックさんと同じで偉い人ほど長いのかな~と思って見てたら指揮棒ではなくヴァイオリンの弓だった。
・1900の暴走がはじまる前に奏でられていた既定の音楽がありますよね、テテレテッテレーみたいなやつです。あれなんだか、葛飾…柴又…派出所…が連想される音楽でしたね。優しく人情味のある音で心地よい。
・↑曲名は“1900's Madness #1”だそうです。葛飾部分はその前半1分までのところ。
・からの1900の暴走。足元で炭酸が弾けているから飛び跳ねて楽しまなきゃ、って感じで心拍数上がりまくりでこれもまた心地よい。途中で、立ちくらみが~でもまだまだ跳ねるよ~、って感じの盛り上げ方も楽しい。この場でからだを動かさずにいた者たちは寝る前にベッドで同じことを考えたでしょう。踊っておけばよかったな~と。僕だったらかっこつけて縦揺れで済ましますけれど。
・一般等でも演奏をする1900。ここで演奏された音楽から僕が見えたヴィジョンは、てきぱき仕事をこなす女性です。「奥さまは魔女」ばりに一度に全てのことをさささーっと終わらせる働き上手な女性の姿が見えてきました。窓をあけて風を自分のものにしているような。二曲目はしっとり。新聞を読む男性の姿が見えてきます。ちらちらと女性を見ては髪をかき上げかっこよさをアピールしている男性の姿。新聞は読んでいるふりです。初対面の女性というよりかは妻に対してかっこつけている男性のヴィジョンが見えます。演奏から思い浮かべる映像は人それぞれです。なので皆さんがどう見えたかも気になります。
・この映画二回目となる、アメェーリカー……この時の1900の顔がめーぇちゃくちゃー良い。姿勢も相まってノトールダムの鐘のカジモドみたくなってる。たいていの人はあしたのジョーのあのシーンみたいだとも言うでしょう。白さで言えばそのあとに映る雪景色のほうが大変白くて美しい。
・陸の人間は なぜ ばかり 冬が来ると夏を待ち 夏が来ると冬を恐れる だから飽きずに旅に出て 遠い常夏の地を求めてさまよい歩く 僕はごめんだ……翻訳ってすごいですよね。英語でもこの言葉と同じことを言ってたと思うんですけど、そのまま文章にすると国語(日本語)では無くなってしまいますから。これは僕の英語力の低さがもたらすものではあると思うのですが、とにかく、翻訳さんってすごいですよね。ところで僕はほとんど外に出ることは無く旅行もしません。それに僕自身も19○○年生まれですし、1900との共通点も多いと言うことになります。なので肩書をつけるなら、部屋の中のタイピストとでもしておきましょう。そんな僕ですが、ヒョウ柄のネクタイは選びません。1900と僕の違いを挙げていくならまずここからでしょう。
・映画に出てくる合成写真フェチとでも言いましょうか、それが好きです。最新映画でも合成だと分かってしまうんですよね。あれはなぜなのでしょう。色味も汚れ具合もおなじなのに、一体なぜ違和感があるのでしょう。ともかく、好きです。フェチと言い切っておきましょう。今回のシーンでは横顔の1900の過去合成写真が好みです。けれどもおおっぴらに合成じゃんとは言いませんよ。恋人が真っ赤なコートに真っ赤なパンツ姿でデートに来たとしても変だよとは言いませんよね?言わないのはそれと同じようなものです。晴れの日に傘をさしている人に雨降ってませんよ?と声をかけませんよね。言わないのはそれと同じようなものです。違和感ある位置に線を引いて涙袋を作…まあこれくらいにして次にいきます。
・ある日 見たこともない美しいものを見た 海だ 稲妻に打たれたかと思った そして声が …海の声? …そう 海の声だ 海は大声で叫んでいた 大きな力強い声で 繰り返し繰り返し叫んでいた 「愚か者 人生は無限だ 分からんのか」……これから偉そうに大きなことを言いますが、人生が変わる瞬間は一瞬です。さてこれからグチャグチャナ文章を綴りますよ。映画感想に関係ない話になるかもしれませんが、いきますよ~。人生を変えたいと思ったことはありますか?と他人に言われたら、大丈夫です~で去るだけ。ですが自分自身に言い聞かせ説得する試みはここにもどこにも誰でも経験あると思います。大きなきっかけがないから自分は変われないんだ。そう思うことがいちばん楽なんです。楽だしマジでそう。誰だって大きなきっかけがあれば変われる。人生経験から考察するに、僕は運が悪い方なのでそのビックチャンスが訪れません。じゃあ、どうするのか…どうすればいいですか?涙…現状に満足できていない僕が言うのもなんですが、行動するしかないんですよね…ダリぃですよね正直。お金が無限にあって顔がかっこよくて背が高くて英語も話せて…まあ英語は行動次第ですけど…行動したからって必ずしも良いほうへ向かうとは限らないことは、魔法のないこの現世の状況から推測できます。でも僕たちは行動するしかない…やる気の出ない毎日だったとしても、行動することで見えてくるものがあるし、やる気も出てくる…自分のやりたい事…やりたくない事…見えてきます。きっと。僕がやりたいことはたぶんこうして文章を書き続けることです。たぶん。たぶん…たぶんでいいのだ! やりたくない事…うーん、うーん、やられたくない事は、自分の老後の世話をされることですかね。それでは次へ行きます。
・船爆破管理者とマックスで1900を捜索するシーン。ピアノがあった場所は?の質問に管理者の部下とマックスが同時に同じ場所を指さす。ここ好き。質問に声を出して答えるのは部下の人だけってのも、もはや粋。
・若い愛人に手伝わせて夫を殺し……思い出から逃れられない……尼になろうと考えている売春婦……たぶん密航者で一等にもぐり込んだ……マックスが1900に音楽を湧き出させる方法を聞いたシーン。その人物から見えてくるオーラや目の動き、表情、行動からその人物が置かれている状況を即座に読んでいるのでしょう。人間観察は僕の癖になっています。あの人は今こういう状況に置かれていて、誰を待っていて、こう考えていて、性格はこうで、異性に対してはこう接して…なんてことを人とすれ違ったりカフェで目に入る人みんなにやっている僕。女性とのデートの際には特技の一つとしてひけらかしても良さそうだ。夜の最後には、君みたいな人はねえ僕みたいな男が好きなんだよ、なんて言ったげればイチコロコロンでしょうね。
・今日のおしゃべりは失敗。船内逃走。無邪気な笑顔。追い詰められたが要件決闘?! と言うわけでジャズを発明したジェリー・ロールの登場です。演じたのはクラレンス・ウィリアムズ3世なのですが、その姿が現れる前に僕はもーしーかーしーてーと疑いました。もしかしてもしかして、サミュエル・L・ジャクソンじゃないだろうなあ?と。映画好きであればあるほどこの疑いが生まれてくることかと思います。だってこういうときサミュエル絶対いるもん。ま、絶対サミュエルは比較的最近の映画で頻発する出来事ですのでそこまで疑っていませんでしたが。ところでサミュエル・L・ジャクソンとモーガン・フリーマン、ここ15年くらい歳とってなくないですか???サミュエルはいつみても若い姿だし、モーガンはいつ見てもおじいちゃん。ちょっと前にこの世に魔法は無いと書きましたが、その現実を疑ってもよいかもしれません。
・決闘シーンですが、短く長~く小節区切って書いていきます。
・ジェリーの態度に対して不快さを一切感じませんでした。確かに嫌な奴という印象は持たれがちな行動ですが、僕からしたら悪い気はしないな、徹底した演出作りと自信にあふれていてかっこいいなという印象です。
・静けさと緊張感漂うなか、お酒を注ぐバーテンマスターもかっこいい。何を注いだかだけは教えて欲しかった。物語には必要ないけれど、僕には必要なのです。趣味の一つと言えるでしょうが、映画に出てきたウイスキーを飲むのが好きなんです、僕。気に入ってずっと飲んでいるのは映画『グリーンブック』に出てくるカティサークです。…味は普通ですけどかっこいいから…マハーシャラ・アリが。
・きよしこの夜……ジェリーぴきぴき。圧倒的自身で負けるはずないとは言え音楽に対して真剣であろうジェリーはいい気分ではないでしょう。僕の好きなワンピースで例えますけど、
「我が名はジュラキュールミホーク!小僧 名乗ってみよ!」
「ゾロで~す」
みたいなことでしょ?ちょっと違う?
・1900がジェリーの演奏に涙を流しているシーン。こーこーもめちゃくちゃ好きなシーンです。この直前にヴァイオリンの人、船客の女性達の数名が演奏に感動している表情を見せています。僕はこの時、音楽通には特に響くのだろうなと考えていました。また漫画で例えますけれど1900の演奏はのだめカンタービレの のだめなのでしょう。リズムは即興だし譜面も無視。けれど感動してしまう僕らはピアノにそんなに詳しくないからであって、音楽通の人には違和感だと感じてしまうのではないでしょうか。例えば、ほら、スマホのラインアプリの位置がいつもと違う場所にあったらあれれ?と思いますでしょう? 1900の音楽は物珍しく真新しいからあの時代の人たちを奮わせることできたのでしょう。でもあれ…現代人の僕も感動している…きっと人間それぞれにぴったりとハマる旋律があるのでしょうね。ロックが好きだったりクラシックが好きだったり、JPOPだったり演歌だったり。この段落の結論、不思議音楽音楽不思議。
・何かのきっかけで火が付き、1900による怒涛の演奏がはじまります。何がきっかけだったのか人に問えば、「負け犬と言われたから」「調子に乗り過ぎだぞこのッと思ったから」などの意見があがると思います。僕の考えはこうです。ジェリーの演奏から物語が消えたから。今までの演奏とは違い、ただ実力を見せるだけの演奏になったことで1900に火が付いてしまったのでしょう。1900にとってはつまらない演奏だったのかもしれませんし、そこでムカッときたのかどうかは1900本人に聞くしかほかありません。きっかけを挙げるならばジェリーの演奏から物語が消えたから、でしょう。皆さんも同じ意見でしたか?
・後悔させてやる……1900の怒涛の速弾きに人々は言葉を失います。この時代にヴァンヘイレンやオジーオズボーンがいれば話は別ですけれど、誰もが初めて見る音の早さだったのではないでしょうか。と思ってたんですが、速弾きはもう既にあったはず。ショパンのエチュードなんて速弾きばっかりですもんね。音楽に詳しくないのでお聞きしたいのですけれど、1900が演奏していたのはショパンのエチュード10-4ですか?似ているようで違う音に聞こえたので、今ここでは1900の即興の音楽としておきます。
・誰もが言葉を失う凄まじい演奏でしたが、僕が感じたのはあの場の船客とは少し違うんですよね。確かに凄まじい鬼気迫る演奏でしたが、1900の演奏にも物語が無かったように見えました。1900があの時思っていたであろう事をあえてセリフにするのなら「これでいいか!技術勝負なら受けて立つぜ。これで満足だな。あんたが演奏したつまらん音楽がジャズだってんなら、Fuck jazz too.」。あくまでこれは僕の読み取った感情の表しですので、監督の意図していることの代弁ではありません。
・ジェリーはいろいろ考えさせられる結末になってしまいましたね。彼の演奏はとても素晴らしい。そこに間違いはない。ここでまた、僕が読み取った感情の表しをします。観客たちに称えられる1900を見てジェリーが感じたのはこの場での敗北に対する悔しさ(だけ)ではなく、ではなく…うーん、見えてこない。もう少し考えますのでしばしお待ちください。~五分後~ ジェリー・ロール・モートンは紳士的な男だと思うんです。僕は。女性に対してだけかもしれませんが紳士的で、必要なマナーが身についていて、自分を綺麗に見せるためのいわば演出家の一面もあると思うんです。そんな彼があの場で感じたのは自分自身への後悔、なのではないでしょうか。演奏勝負としてみたら、観客の盛り上がりからみるにジェリーの負けです…いいやこの感じは1900の勝ちと言った方がいいかもしれません(だれもジェリーを見ていないから)。ですので、勝敗に対しての悔しさももちろんあると思います。さらにそれ以上に、それまでの1900に対する行動や傲りに後悔しているのではないでしょうか。又は自分自身を恥じているのではないでしょうか。それ以降のジェリーのセリフが無いため様々な考察が出来ます。それがこの映画が名作として語り継がれるわけの一つかもしれませんね。…だって考察って楽しいし。
・マックス役のプルイット・テイラー・ヴィンスの視線は眼球振盪という症状によるものなんですね。今知りました。
・僕は一目惚れしかしたことがありません。なので1900の気持ちがわかります。皆さんはどうですか?経験したことが無い人の為に説明しますと、一目惚れは風邪の日に飲むポカリスエットです。風邪の日にポカリスエットを飲んだことが無い人の為に説明しますと、風邪の日のポカリスエットは脚のしびれが戻ってくるようなものです。脚のしびれの経験が無い人の為に説明しますと、いや全部ひっくるめて説明しますと、生まれつき自分の中に存在していた記憶を思い出したような感覚に陥ります。相手の全身の輪郭が際立ち周りの景色の情報は脳で処理されません。車のエンジンはかかっているのに走っていない、ような状態になります。
・僕が説明するまでもなく、ただこのシーンを思い出してもらえばよかったんだ。
・少女役のメラニー・ティエリーを見てるとレア・セドゥだと勘違いしそうになる。
・これは僕の音楽だ……契約を破って録音したレコードを回収した1900。ほかの人に聴かせるわけにはいかないよね。君の心を音にしたものなんだからさ。でも、でもでもでもでも、僕の音楽だといいつつも、彼女の為の音楽でもあるんじゃないの~?僕と彼女の音楽だ、と言っても良かったんだぞ~。ふふ。奏でていた音楽。“Playing Love”. 先を歩く彼女に追いついたら、そこからこんどは一緒に歩きだしそのまま遠くまで歩いていたい。僕にはそう聞こえたぞ~。
・お嬢さん…もしよろしければ…ささやかな…贈り物を……なんて声かけていいかなんて分かりませんよね。相手が居酒屋やスーパーの店員さんなら、すみませんのひとことで済みますがそれは明らかな関係性が築かれている状態だから声かけられるのであって、初対面の人には声かけられませんよ。1900のおしゃべりは失敗に終わるわけですが、声をかけるなら今しかないみたいな状況でしたよね。ドキドキしてたんだろうな~1900。わかるな~この気持ち。僕の恋愛話してもしょうがないのでしませんけれど、まさに今声をかけるべきだという好条件が揃っていましたね。同じ船で旅をする共通点、大雨(雨すごいですね)、ひとりきり、目があった、傘を持っていない(どうして?雨が好きなんです)、贈り物を持っている(どうして私に?実はあなたの為…あ、ええと、僕の曲なんですが一度誰かに聞いてもらいたくて…よかったら、あ、)。え~なんて言うんだろう。あの時お邪魔が入らなければ1900は少女に何と話しかけたんだろう。
・少女が立っていた後ろに白い筒がありました。キセルのような形をしていました。あれは何ですか。何か分かればあの位置で海を見ていた理由も分かるのに。
・そして1900は女性専用船室へと入り込みます。流れているピアノのBGMはゆったりとしていて落ち着きがあります。4音に一回不協和音が聞こえてきてこちら側の不安を煽ります。1900…怖いよ。侵入に気付いたのが赤ちゃんだけだったからよかったものの…コメディ映画だったからこうなっていたでしょうね→いやああああ!男の人よぉお!いやあああ(枕バンバン) あ、あ、ち、違うんです。僕はただ見回りにいいぃ! 枕バンバンバンバン。
・女性専用船室で流れていたBGMの曲名は“The Crisis”です。Crisisの意味を調べてみました。[危機]何らかの手を打たなければ破局に至るような、極めて不安定な状態、だそうです。
・渡してくれええぇぇぇぇぇ その手に持った贈り物をおぉぉおぉぉ。僕はこの瞬間を今も引きずっています。観客である僕には何もできないわけですけど、代わりに渡してあげたかった。でもそれはロマンチックじゃないので、僕が大声を出して船客の足を止め、贈り物を渡す時間を作ってあげたかった。
・(オチをまだ知らない)この時点の観客としては、いまここで贈り物を渡さない方がロマンチックになると予想できる会話を、二人はします。幸運を!…ありがとう あなたも!…いつか訪ねてきて!○○ストリートの○○番地よ!父は魚屋をしているわ…行けたら……行けたら(メイビー)と答えた1900の表情が最高です。口をウムっとして眉をギュッとひそめ、ぎこちない笑顔をし、あ、行ってしまったの顔。この瞬間、僕たち(我ら観客)の思い描くこの物語に望む終わり方はこうです。いつか船を降り、彼女を訪ね、玄関先でレコードを渡す。贈り物です、と。アコーディオンを弾いていた彼にも再会し、エンドロール。エンドロール後、日曜の夜にマックスとお家で小さな演奏会をする、そんなおまけ映像で映画館の明かりがつく。以上で上映は終了です。お忘れ物のないようお帰りください。ゴミはこちらで回収します。飲み残しはこちらにお願いします。階段を下りながらスマホの電源をつけすぐさまツイートするのだ「か、ん、ど、う、し、た!!」と。ラーメンでも食べて帰ろうか。気分がいいから。いい映画だったなあ。まだピアノの音が聞こえているよと余韻に浸る。そうだ、CDショップでサントラを買って、本屋で原作本を買って帰ろう。思い切って海でも見に、行こうかな。ってね。それが僕らの望むハッピーエンド。
・レコードって板チョコみたいに簡単に割れてしまうんですね。脆いのはあの時代だけなのですか?現在流通している者はグイングイン曲がりますか?
・見たいものがある 海だよ…生まれて今日まで見続けてるだろ?…陸から見たいんだ…身を乗り出して見たら同じだよ…違うよ 船からじゃ海の声は聞こえない…海の声って?…海の声だよ 大きな叫び声なんだ 人生は無限だと叫んでる それを聞けばこれからの生き方を決められる 船にいると海は何も言わない 陸に降りて2,3年暮らせば僕も普通の人間になれるだろう いつか海の見えるところに行き海を見渡すと声が聞こえる…君が船を降りる理由はあの娘だ たとえそうでなくても 船を降り陸で演奏することはすばらしいことだ 結婚して子供を作って人生を楽しむ 無限でないにしろ価値のある人生だ…僕を訪ねてきてくれるかい?…もちろん……1900がこれまで記憶してきた街の風景や音、匂いは理解のしやすい物だけでした。ですがある夜聞いた海の声の話は1900にとっては想像のつかない物語だったのではないでしょうか。そして彼は海の声を体験してみたいと船を降りる決心をしたのです。
・船から降りることなく引き返した1900。この時彼が何を思ったのかは最後に明らかになります。この映像を観ている最中に僕が考察した彼の考えを書きます。↓下の段落での‘僕’は1900の一人称として読んでください
・降り立ったこの場所で、陸地で僕にできることは何なのだろう。無限に広がるこの世界で、僕が必要な場所を見つけることは出来るのか。ビルを建てる人がいる。そこで働く人がいる。魚を獲る人がいる。鳥は空を飛ぶ。わざわざ僕がそれらになろうとする必要があるか。僕は陸に降りて自分が何者になりたいか、何者であるかを知る必要はあるのか。降りる意味があるだろうか。僕の居場所はこの船だ。降りたらわかるかもしれない…でも今日じゃない。今日の僕に降りる意味はない。今日の僕がこれからの僕だ。
・↑最後の文はいったい何が言いたいのだろうか。‘今日の僕がこれからの僕だ’とはなんだ。僕(書いている僕)がそう思ったのだからそう書いているのだが、いまいち伝えたいことが分からない。説明がないと受取り手に意味が伝わらないポエムは多数あるが、作者本人にも意味が分かっていないポエムを書く者がいる、それが僕だ。
・帽子を投げた意味を考えます。僕の中に二つの考えがあります。一つ目は降りることはない(と決めた)のでもう必要ないから。二つ目は降りるかどうかを帽子に賭けたから、です。帽子に賭けるとは、投げた帽子が陸に乗ったら降りる、そうじゃなきゃ降りないという賭けのことです。答えを出すにあたって重要なのは帽子を投げる前の1900のニタリ顔の意味を考える事でしょう。1900の見せたニタリ顔は降りないと決めた前向きなニタリなのか、それとも僕の運命をこの帽子に預けてみようのニタリなのか。…どちらとも言えるな。となると答えを出すにはもっと現実的な視点で考える必要があります。船の上の生活とはいえ雨や雪の日に甲板に出るには帽子が必要でしょう。というわけで、帽子を投げたのは帽子に運命を預け賭けにでたから。と予想します。…ちょっと待って。次の雨の日はどうしたらいいんだ。帽子が無いと甲板に出るのに躊躇してしまうのではないか。カッコよく投げ捨てた手前、また新しいのが欲しいとは言いにくいのではないか。…いかんいかん、現実的視点モードがそのままだった。帽子なんていくら捨てたっていいんだ。帽子投げるのはいつの時代もかっこいいんだから。紳士がハットを投げて服掛けに掛けるように、学校の卒業式で帽子を空に飛ばすように、大谷選手がWBC優勝決定の瞬間キャップを脱いだように、帽子を投げるのはかっこいい。それでいい。つまり、帽子を投げた意味それは、かっこいいから。(こんな答えでいいのか?)
・海の上に落ちた帽子を見たあと表情、動きは、よしっ戻るかと気持ちを切り替えたような姿に見えます。1900が答えを見つけた瞬間なのでしょう。
・タラップから船に戻る時に流れていた曲の名は“Second Crisis”です。Crisisには前述の意味のほか、転機、岐路、重大局面という意味もあります。
・決心したとは言っても、いろいろ考えてしまうのは我々と同じ。吹っ切れるには時間がかかります。やがて葛藤を乗り越えた1900がバーにいるマックスのところにやってきます。彼の顔はすっきりとしていて覚悟が決まった者の顔をしています。「マックス、さあ音楽をしよう」と、表情筋が代弁しているようにみえました。僕もあの顔になることがあります。あの顔とは、覚悟が決まったスッキリとした爽やかでかつ勇ましい顔のことです。僕はスーパーでトロピカーナのジュースを手に取る時、あの顔になります。今日はいいの飲んじゃおう、って気持ちを抱きながら。意を決してヱビスビールを買う時やプレモル買う時なんかも同じ顔しちゃいます。オスの本能なのか自己防衛なのか、僕は冷蔵ケースからビールを取る時に少しかっこつけてしまうんですよ。普段から飲んでるこれにしようかな今夜も~みたいな動きしちゃって。いつもはトップバリューの100円発泡酒ばかり飲んでるってのに。
・過去と今の映像を切り替える際に、いつも船の姿が映るのが好きです。過去のマックスが降りたシーンの次には今のマックスが船に乗るシーンが映る。火薬が積み込まれる船を見るマックスから船で働くための面接を受けるマックスへ。いつもヴァージニアン号の大きな姿が画面に映し出されています。過去と今が切り替わったことが分かりやすくていいですね。親切!
・物語の終わりもそろそろです。最後の余韻に浸りたいと思います。
・やあコーン 船酔いか?……二回目の鑑賞時、1900が船にいるかどうかさえ忘れていた僕ですからほぼ初見の方と同じように喜びました。いたああああああ!と。空想家の僕、もしかしたらマックスの見ている幻覚…幻想かとも思いました。それでいて現実的視点も持ち合わせているので、船の中でどうやって生き延びていたんだろうとも考えました。まあそれはたまに貯蔵庫に行って缶詰を食べていたんでしょうね。何も食べないわけにはいきませんから。缶詰なんてこの船に乗ってるのか?と考えましたが、なければトマト缶を飲んでいたのでしょう。そんなことを考えながらもとにかく1900の姿を見れて嬉しかった。なによりマックスが1900と再会できて良かった。
・あれからずっと何を?…ピアノを弾いてた 踊る人もいなくなり 爆弾が落ちても ピアノを弾き続け 船とここへ……1900の弓のしなりかのような猫背。若い時はもう少しだけまっすぐだった気がするんです。ただ歳を重ねたせいかもしれませんが、考えまくりの僕はこう思うんです。ピアノだけに向き合ってきた、と。ピアノピアノピアノ…そういう時間を過ごしてきたからあの猫背になったんだろうなと僕は思うわけです。ピアノ経験者にとって弾く時の姿勢というのは常に美しくあるべきだろうという考えがあるのでしょうが、なんせ僕は自分のことしか知りません。集中するほど人は猫背になるものだと思いきっている人間です。なので1900も同じです。彼はピアノに集中する人生を送ってきたためあの猫背になったのです。きっと。
・君はどうしてた トランペットは?…ずっと前に吹くのはやめた でもお前と会ったらまた吹きたくなってきた……トランペットは?と聞く1900の顔は本当に心配している人の顔です。再会した時からずっと気になっていたのでしょう。マックスがトランペットを持っていないことに。自分とはピアノである、という生活を続けてきたなかでマックスもそうであるものだと、それが当たり前であるかのように心配している顔です。「盗まれたのか?」「吹けない病気なのか?」そう言ってもおかしくない表情を1900はしています。…しているように見えます。
・君と俺でコンビを組む バンドでもいい ダニー・ブードマン・T.D.レモン・1900とそのビッグバンド……マックスがレモンと口にした時の1900の表情、僕にはこのように見えました。「レモン…そうだ…僕はレモンの箱にいたんだ…そうだった…はぁ…マックス…君は僕を良く知っているね…」
・降りて一緒にやろう 桟橋から花火を見物して最初から出直そう そうしなきゃいけない時もある 出発点に戻るんだよ……マックスの話を聞く1900の顔はとても険しい。睨みつけている顔のようにも見えてしまうくらい静かな海底のような表情をしています。「僕には違う」そんな顔をしている1900の表情を見てマックスも察したような動きを見せます。「この話じゃなかったか。別の話でアプローチをかけよう。彼を船から降ろすために。生きていて欲しいから。よし、それじゃあこの話はどうだ…」の動き、そして顔。
・何かいい物語があって語る相手がいる限り人生捨てたもんじゃない 覚えてるか?君の言葉だ 君は山ほど話を持ってる 世界中が耳を傾け君の音楽を聞きたがる……何かいい物語が合って──前々にも先述しましたがこの言葉は僕の今の人生観そのものです。…この記事の根幹でもあるので後述します。
・大きな街 終わりが無かった 教えてくれ いつ終わりが見えるんだ タラップまではよかった 降りることは平気だった 問題なのは目に見えたものではなく見えなかったものだ すべてがあったが終わりは? すべてのものに終わりが見えなかった 世界の終わりが……「あの時」の答え合わせです。
・ピアノは違う 鍵盤の数は88と決まってる 無限じゃない 弾く人間が無限なんだ 人間の作る音楽が無限 そこが好きだ……
・タラップから見えたのは何千何億という鍵盤だった 無限に続く鍵盤 人間が弾ける音楽は無い 神のピアノだ……
・数えきれない道から一本を選べるか? 一人の女性も 一軒の家も 自分の土地も 見たい景色も 死に方も選べ 終わりのない世界で生きていく?考えただけで恐怖につぶされてしまう……
・僕はこの船で生まれた 世界が僕の前を通り過ぎていく どんなに多くても一度に2000人だ……
・僕にも夢はあった でもそれはこの船の中で見る夢だ……
・陸?僕には大きすぎる船だ 僕は船を降りられない なら人生を降りるほかない……
・船で生まれ船で育ったからこそ見える世界、終わりがなく広すぎる世界。そのあまりの大きさに圧倒され、恐怖に近い感情を覚えたであろう1900。その大きすぎる世界で生きている我々への1900からの問いかけ。陸に生きる我々は勇敢であるから世界に向き合っているのか、それとも大きさに気付いていないままの愚か者なのか。
・1900は美しい世界があることも知っている、だからこそあの後も何度か船を降りようとしたはずなんです。行動に移していなくても頭の中で。僕はそう思います。けれどもそのたび世界の大きさを感じてはピアノに戻り、また外に出ようとし内に戻る。その生活は1900にとって苦しみに近いものだったと思います。そうして次第にその夢が欠けていき、外と内など考えることもなく、船が自分の居場所だと、生き方だと。
・僕はどこにも存在しない人間だ 君だけが僕の存在を知ってる 許してくれ 僕の友 僕は降りない……君だけが僕の存在を知っている。この言葉から1900の気持ちを考察してみました。行き着いた答えに自信はありませんし、そうだったらいいなという段階ですが、聞いてください。マックスが口にしたレモンの名前で1900はマックスが自分の事をよく覚えていてくれている事に気づきます。こうして探しに来てくれたことも1900には喜びだったでしょう。そして1900はこう思った(気づいた)かもしれません。自分は船を降りることは無い、船が自分の居るべき場所だからだ。けれど、マックスが自分を知っていてくれることはマックスが僕自身を船の外に連れて行ってくれているようなものかもしれない、船だけが自分の居場所だと思っていた、けれどマックスの中にも僕はいるんだ、思い返せばみんなから聞いた街の話だってそうだ、みんなの中に街はあって、同じように僕も存在しているんだ。…これはハッピーエンドが好きな僕(私)を救うための理想的解釈ですが、悪くはない考察でしょ?1900の最後に喜びを残してあげたい僕の優しさが生み出した考えです。
・天国の門でこう言われるんだ「もう一度名前を」「1900(ナインティハンドレッド)です」「ナイチンゲール ナインストック…」「船で生まれて死んだので、そこには名前が無いかも…」……
・「片腕が吹っ飛んで…」「腕ならあそこにある 無くしたのはどっちの腕だ?」「左腕です」「あー…あるのは右腕が2本だ…君がよければ…その…右腕を左につけてはどうかな」……
・右腕2本でずっと過ごす?どっちで十字を切ればいいんだ……
・マックス 右腕2本ならどんな音楽が作れるかな 天国にピアノがあるといいな……
・1900…最高に素敵な別れ方だよ。最後の最後まで君は1900だったよ。僕は君のお父さんを知っている。ダニーも似たような男だったよ。最後まで誰かを楽しませようとする、そして自分が不幸せだと微塵も感じさせない、もはや思わさせない素敵な男だった。
・爆破が近いヴァージニアン号の中で記憶のピアノを奏でる1900。彼の頭の中で聞こえているピアノを我々観客も一緒に聞くことができます。演奏しているのは“A Mozart Reincarnated”です。1900が幼少期、初めて人前で演奏した曲と同じ曲です。船長に向かって‘Fuck the regulations(規則なんかクソ食らえ)’と言い放ったあの夜です。彼の最後の演奏はスローなテンポで、一音一音を懐かしんでいるように聞こえました。
・いい話を聞かせてもらった……楽器屋の店主はそう言ってマックスにトランペットを渡し、去っていく彼を見届ける。ほんと、いい話だったなあ。美しい物をみた感動と物足りなさを感じる切なさの余韻。一風変わったストーリーだが魅力的でロマンチックで共感できる。歴史上1900のような人が存在したとは思えませんが、信じたくなります。
さて、長かった感想文も終わりを迎えようとしています。映画の感想については以上ですが最後にもう少しだけ、自己紹介のようなものを続けます。
何かいい物語があって語る相手がいる限り人生捨てたもんじゃない
いいセリフだ。
このセリフについてこの記事の中で、今こうしてnoteを書いていることや僕にとっての人との繋がりを意味する核心的セリフであり今の僕の人生観である、と書きました。
僕がnoteに書いている物がいい物語だというわけではありません。そうなっていきたい思いはありますが、僕にとって重要なのは語る相手がいる限り人生捨てたもんじゃないの部分です。
これまで1年半ほどnoteを続けてきましたが、書くことが別段好きなわけじゃありません。どちらかと言えば嫌いです。それでも書き続けているのは話を聞いてもらいたいからなんです。僕はおしゃべりなんです。
といっても人付き合いが好きなわけではなく、嫌いなわけでもないですが自ら進んで会いに行くようなことはありません。誰かを遊びに誘うことも食事に誘うこともしません。誘われたら高確率で行くんですよ?だっておしゃべりしたいから。この性格は神様も予想外だったと思いますよ。
神「この男の感情はワインのように歳を重ねるごとに味わい深くし、他人に対しては納豆のように混ぜれば混ぜるほど粘り気が増すように会えば会うほど親密度が増すようにしよう。うわ、ワインと納豆一緒に口にすると口内が雑巾絞ったバケツみたいになるな。失敗した~」
神よ 今からでもいいから作り直してくれ
つまりは日常で話し相手がいないので不特定多数に対しnoteを書き続けているわけです。だからハートなどで反応が返ってくるのは凄く嬉しいです。僕の話を聞いてくれている!という気持ちになれるので。
反応を貰うために書く方法はいくらでもありますよね、たぶん。お得情報だったり、芸能人のゴシップだったり、エトセトラ……文字を書くのを仕方なくやっている僕ですが一応こだわり、というか根幹に持っている物(言葉)があります。
これまた映画に感化された言葉ですが、映画『ザ・ホエール』のセリフ、
「自分の書きたいことを書け」
この感想文は短いので安心して読んでください。ここまで読み続けたあなたには俳句のような短さに感じるとは思います。ていうか、ここまで読んだあなた、凄いですね。僕しか読まない記事だと思っていたのに。
これからもnoteや他の媒体で文章を書き続けていきたいと考えていますが、伝えたいという気持ちは針の穴ほどしかありません。僕がしたいのは、
例えば雑貨屋にいるとします。僕は気に入った商品を手に取り言います。「これいいな~」。すると横にいる友人なり恋人なりが「ほんと猫すきだね~」なんて言うから「猫ってさ、悪魔が唯一嫌いな生き物なんだよ」って冗談で返すんです。
こういうことがしたいの。
何かいい物語があって語る相手がいる限り人生捨てたもんじゃない、そうでしょ?君はおしゃべりなんだから。誰かと話すことが好きなんだよね、君は。君みたいな人はねえ人が好きなんだよ。この映画にそう言われた気がしてイチコロコロン、惚れました。
名作映画と言えど、観たことがないって人が多数いる印象があるこの映画。この映画を観た次の日から、会う人会う人に『海の上のピアニスト』を勧めました。勧める時の謳い文句はこうです。
「海を見に行きたくなります。そして、人生が変わる可能性があります」
この映画を観たあなたならお分かりでしょう?この言葉は決して大げさでは無いですよね。
この映画を映画館で観れたことは、これから何年でも自慢できるでしょう。皆さんも機会があれば映画館で、もちろん家でも、観返してみてください。いい話ってのは何回聞いてもいい物ですから。
ここまで話を聞いていただき、ありがとうございました。
僕は「きどあいらく」です
ニンテンドーDSに登録していた名前を今も使っています。
これからもよろしくお願いします。それではさようなら
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