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『ザ・ホエール』感想文

2023年 4月12日 水曜日 の日記


※映画『ザ・ホエール』のネタバレを含みます。


※noteで文章を書いている方は特に注意。観てきたほうがいいです。






映画感想文


あらすじとテーマ

大学のオンライン授業を生業としているチャーリーは、自分の姿をカメラで見せることは無い。生徒にはカメラは壊れていると伝えている。彼は恋人のアランを亡くしたショックによるストレスで、我を忘れた過食を繰り返し、歩行器なしでは移動もままならない姿になっていた。チャーリーを支えるのはアランの妹で看護師のリズ。彼女からの、病院へ行くべきという判断を頑なに拒むチャーリー。そんな日々が続いていたある日、病状が悪化したことで自分の余命がいくらもないことを悟ったチャーリーは、今まで築けなかった親子の関係を作ろうと決意し、長らく会えていなかった娘のエリーを呼び寄せる。家にやってきた17歳のエリーは、学校生活で多くのトラブルを抱え、心が荒んでいた。


この映画はチャーリーの住むアパートの中だけですべてが展開していく物語。その体型から、外に出ることは一切なく、少し暗い部屋の中だけで過ごすチャーリー。この物語は彼の心の中をのぞいているかのような作りになっていて、我々視聴者はその心にある悲しみや愛に自らの心を揺さぶられていく。彼の心の中にはいくつもの悲しみがあるが、ところどころで彼の芯にあるポジティブな心が見え、その姿が愛らしく美しく、思わずとも感情移入してしまう。彼の中の悲しみには、同性のパートナーに先立たれた喪失感、その彼を選び妻と娘を捨てた罪悪感がある。その感情からどうにかすこしでも抜け出そうともがく五日間の物語。そして、最も大切な我が子への愛を描いた物語。


劇中に登場する五人は皆それぞれ苦悩を抱え、その苦悩を拭いたいかのよう、人を救いたいと願っている。一度壊れた関係や、深くできた溝を、赦すことで元に戻すことはできるのか。深い悲しみや苦悩の暗闇を照らす希望の光はどこにあるのか。人は人を救えるのか。



私の感想文

物語の冒頭でチャーリーは生徒たちに語りかける「───この授業のポイントは、明確かつ説得力のある文章を書く方法を学ぶことであることを忘れないでください。それについて考えてください。あなたの主張の真偽を考えてみてください」

物語を通して度々読み上げられる文章がある。それはメルヴィルの『白鯨』について娘エリーが数年前に書いたエッセイ。このエッセイが最初に読まれたのは物語が始まってすぐのこと。発作により激痛に見舞われたチャーリーは偶然訪ねてきたトーマスという宣教師にそのエッセイを読むよう頼む。なぜ読ませたのですかと聞くトーマスに、とても良いエッセイであるから死ぬ前に聞いておきたかったと答えるチャーリー。

エリーの書いたエッセイには、エイハブ船長は鯨を殺せば人生が良くなると思っているが実際にはそうならないと批判的に書いている。さらに鯨の描写についての章は退屈でうんざりさせられたとも書いている。この、本心を書いた、本当の自分を書いたエッセイをチャーリーは気に入っており、これまでで一番良いエッセイだとも言っている。

チャーリーは最後のオンライン授業の前に生徒たちにメールを送る。エッセイなどどうでもよい。自分の書きたいことを書けと。この時のチャーリーはその数時間前にあった心の傷によりついにストレスが限界を迎え、吐いてしまうほどに過食をしていた。その感情の勢いのままに送ったメールなのだ。その次の日には自らの姿をカメラに写し、パソコンを投げ捨て強制的に授業を終わらせた。パソコンは破損し修復不可能な状態。

私も微力ながらエッセイを書く人間として、このシーンや物語を通してのエッセイに対する言葉に感銘を受けた。物語やエッセイを書く上で明確なルールや制約があることは理解しているが、その本質に自分の書きたい思いや本音が含まれているかどうかが大事なのだと気づかされた。

私には言われて嬉しかった言葉がある。大学生時代、文章を書く授業を選択していたことがある。普段は新聞記者だかジャーナリストをしてる非常勤講師から学ぶ、映像を見てその感想を書くだけの授業。最初の授業で課題が出された。自分の家族について何か書いてくるという授業。私は父についての事を書き提出した。次の週、私の書いた文章が優秀なものだとして、印刷されたものが皆の元に配られた。名は伏せてあったが私はそれが少し恥ずかしかったが誇らしかった。講師が言うには「自分の心が赤裸々に書かれた良い文章だ」とのこと。返却された私の原本には赤線でいくつかの修正案が書かれてあった。この褒められの経験は今でもずっと心に残っている。あの時あの言葉で人生が変わってもおかしくなかったと思う。

そしていま、この映画を通してあの時の言葉がまた新たな意味を持つものになった。この映画を観た日、私の中の書くことへの姿勢や指針、方向性が明確に定まった気がした。


チャーリーの心の内側にはどうしても消すことのできない後悔がいくつもある。亡くしたパートナー。失っていた娘との数年。彼は死を目前にして、娘との関係を修復しようと望んでいる。それが彼にとっての救いになると信じて。エリーの中には様々な葛藤がある。自分を捨てた父親を憎んでもいるし、自分を捨てた経緯について問いただしたくもある。知りたくもあり知りたくもないといった複雑な感情にもまれ、苛立ちを募らせていく。二人の関係は良好なものになっていくことはなく、物語が進むにつれて事態が悪化し収拾がつかなくなっていく。物語の最後に彼らをつなぐのは、エリーの書いた『白鯨』についてのエッセイ。

チャーリーは自分の死が目の前にあることを自覚し、この世で最も大切なたった一人の娘にありったけの思いを伝えた。そうして最後にエリー自身にそのエッセイを読んでもらうことを頼む。エリーはどうしていいかわからず逃げるようにして部屋の扉を開けた。

その扉から降り注ぐまぶしいほどの太陽の光が部屋の中に入り込む。終始暗かった世界が明るく照らされた。チャーリーに背をむけたまま立ち尽くすエリーの顔は、堪えきれずに流した涙で震えていた。振り返り、エッセイを読む彼女。その視線の先には光を浴び、自らの足で歩こうとするチャーリーの姿があった。その姿には美しささえ感じた。

劇場内を照らすこの光に私は「希望」を感じた。終始暗いままの映像が続いていたその最後に差された太陽の光に。堪えきれずに私の目から落ちた涙。目に溜まった涙のフィルターがより一層明るさを眩しいものにしていた。

エリーには生まれつきかと思われる、一度聞いたものや見たものは忘れないという力がある。この数日で目にした父親の姿や、かけてもらった父親からの励ましの言葉も忘れることはない。この経験はこれから彼女が作り出していく人生に大きな影響を与えたことだろう。

物語の最後は、家族3人が浜辺で過ごした記憶の映像で終わる。チャーリーが最も幸福に感じた記憶へと回帰したのだろう。

彼の最期は、力強く、儚く、それでいて美しかった。浜辺の美しい映像からして、彼の望みである、娘の人生をより良いものにするという願い、人生でたった一度だけ正しいことをしたと信じたい気持ちは、自分への赦しをもって救われたのかもしれない。



おわり



おやすみのあいさつ

二時間をかけて溜まってきた感情が最後の最後に最高潮に達したこの映画。エンドロール中も涙が止まらず、劇場が明るくなる直前に指で拭うまで、私の頬は濡れていました。ここまでグッと来た映画は久しぶりだったかもしれません。確実に私の人生に刻まれる、もしくは人生を変える映画です。普段は買うことの無いパンフレットを買って帰りました。

映画鑑賞後の余韻はすさまじく、まるで文化祭が終わったあとの達成感というか疲労感に似たものまでありました。

主演のブレンダン・フレイザーにも圧倒されまくり。彼の印象はハムナプトラやセンターオブジアースでしか無かったけれど、これを機にほかのドラマ的作品を観てみたいと思いました。鑑賞後に知った情報ですが、彼は第95回アカデミー賞主演男優賞を受賞してるんですね。納得。納得。エリー役のセイディー・シンク、リズ役のホン・チャウの演技にも終始圧倒されまくりの濃い二時間でした。

ダーレン・アロノフスキー監督の作品はこの『ザ・ホエール』が初めてでした。これをきっかけに彼の手がけた作品を観てみようと思いました。そう思って調べたら、『レスラー』『ブラックスワン』『マザー!』と、どれも気になっていたが観ていない、名作と呼ばれる作品ばかりが。これ忙しくなるぞ。上記の映画やブレンダン・フレイザーの出演作を観たらまたこのような感想文を書きたいと思っているのでまた読んでください。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます!!!それではおやすみなさい。さようなら


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