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「中途半端で宙ぶらりん」を味わう

 話題作映画の試写に行った。事情があり、ここではタイトルを明かさない。

 入社以来30年以上も報道セクションに在籍していたので、映画はエンタメ系も文芸系もあまり鑑賞してこなかった。「こうした作品たちに触れるのも大切」という口実だが、勤務時間に抜け出して2時間をこれに充てるのは、やっぱりいささかの罪悪感がある。

 あえてジャンル分けをすれば、今回の作品は「文芸系・ヒューマンドラマ系」。前半が退屈だが、後半はグイグイと惹き込まれる。ジーンとした余韻を残す素晴らしい作品だった。

 前半がどれだけ退屈かといえば、1回目の試写でウトウトしてしまったことを反省してもう1回行ったのだが(2回で合計4時間、そりゃ罪悪感もあるわ)、やっぱりまた同じようなところで意識を失ってしまったのである。

 なにしろ陰影ある作品なので、ところどころで解釈が難しい。1回目を一緒に観た同僚とあれこれ話していたら、私は気づいていなかったことをしっかり指摘されることもあった。当方がぼんやりしていることもあるが、きちんと鑑賞するためには一定の素養が必要とされる。なかなかハードルが高いものだ。

 それでも2回目ともなると、見落としていた映像上の伏線や、登場人物の心の動きがかなりわかるようになった。解釈をポーンと放り出されたようなラストシーンについても、「ああ、これはあえてシロクロをつけずに観客に委ねているんだな」ということを納得する。

 これと違って「トップガン マーヴェリック」や「シン・ウルトラマン」といった娯楽系作品は明確な決着を見せて、観客にカタルシスを与えなければいけない。自分の“守備範囲”である書籍にあてはめれば、芥川賞/純文学と直木賞/エンタメの違いだ。

 現実世界は「トップガン」のように明確な“決着”がつくことは滅多にない。受験や就活の合否くらいか。それだって、渦中にいる際は無我夢中でも、長いスパンで捉えれば「ちょっとした人生の起伏」に過ぎない。中途半端で宙ぶらりんというその実相を提示するのも、こうした作品たちの大切なありようだ。

 きのう、芥川賞の候補作が発表になった。「全員が女性」ということが見出しになっている。


 私がイチ推しする傑作、根本宗子「今、出来る、精一杯。」は残念ながら候補にならなかった。

 それでも、候補作はいずれもちょっと読んでみたくなるラインナップだ。既読の「N/A」以外も、気になった作品は読んでみるつもり。

 毎日のくらしは中途半端で宙ぶらりん。それを抉り出して味わうことができる作品にもっと出会いたい、とワクワクしている。
(22/6/17)

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