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「目方で男が売れるなら・・・」

 60歳の誕生日を控えて生命保険会社からの封書が舞い込んだ。「生命保険の保険料お払込期間満了とご活用方法のお知らせ」とある。

 入社したてのころに社内を徘徊していた保険のおばちゃんにつかまって、深い考えもなく「ま、社会人なんだから保険に入るのは当たり前なんだろうなー」と加入したやつだ。当初の受取人は実家の親で、その後カミさんに変更しているはず。

 お手紙は「死亡・高度障害のとき約300万円を一生涯保障」「ご継続可能な特約はございません」としている。あるいは「年金受け取りコース」「一括受け取りコース」も選択できるようで、その場合に受け取る金額はいずれも150万円程度だ。それなら、「よっぽど困窮していないなら、葬式費用として300万をキープしておくよね」と思う。

 日常生活には“出てこない”保険や年金の詳細。手続きをすると安心して、すぐに忘れてしまう。念のためクラウドに保存している備忘録を確認したら、60歳までに死亡した場合に支払われる保険金は4000万円という契約だったようだ。それが300万になるのか。

 果たしてよかったのか、それとも損をしたと考えるべきか。

 「保険」なのだから、「ちゃんと稼ぎがあるはずの60歳までに死んじゃったら遺される家族が困るでしょ。これに備える4000万円」ということ。当たり前だ。

 逆に言えば「あんたはもう60になってロクに稼がなくなるんだから、いつ死んだって同じでしょ」と通告されたも同然だ。残りの人生そのものを否定されているようで、やっぱりイヤなものだな。

 まあ、生命保険については40年ほど前の若かりし自分がそのように判断したのだから文句も言えない。もっと高い保険料を貰いたいのなら、さらにカネを注ぎ込んでいくことになるのだから、それはないんだろう。

 名作シリーズ「男はつらいよ」のテーマソングに「目方で男が売れるなら、こんな苦労もかけまいに」という秀逸なフレーズがある。さっぱりモテない寅さんの嘆き節だ。耳にするたびに「そうだよなあ。人生の価値は収入だけで計っちゃいけないよね」と自分なりの解釈をしてきた。

 一方で、交通事故などで死亡した場合に被害者側が請求できる損害賠償には「逸失利益」という考え方がある。つまり「このヒトは年収○万円で、このままならあと○年は稼いでいたはずだから、掛け算したらこれだけ損しちゃったよ」ということ。

 こちらの計算式を適用すれば、私の“価値”は還暦を迎えるこのタイミングで暴落することが確定なので、やっぱりミもフタもない。

 つまり、これからは「いつ死んでもええよ。カネで損をするわけではないから」という“おまけの人生”なのだ。

 ま、それも仕方がない。健康にここまで稼いでこられた幸福を味わいながら、あとは毎日を楽しくやるしかないだろう。
 
 「生きてるだけで、丸儲け」。明石家さんまの言葉である。
(23/2/8)

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