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親の在り方について考える
2014年に息子が生まれ、2017年に娘が生まれ、現在ママ歴4年目。
どうやって子どもに接するのがいいのか、未だに全然よくわからない。
子どもには、自分で幸せを掴める人になってほしい。
その願いは一貫して変わらないのだけど…子どもが子どもらしくワガママを言う時に、寛容に受け入れることが出来ないことがある。
ご飯を残してお菓子が食べたい、
お風呂に入りたくない、
いつまでも着替えない、
YouTubeが観たいから寝たくない、
などなど…
なるべく寄り添って、気持ちを受け止めてあげたい。
「ママは自分を受け入れてくれる」という安心感を感じてほしい。
そうは思っても、1日何回も衝突すると、「いいかげんにしなさーい!!」と雷を落としてしまう。
だって、同じことの繰り返しなんだもん、毎日毎日さぁー…
と悩める私が出会ったのが、古典の一節だった。
「太上(たいじょう)は下これあるを知るのみ。その次は親しみてこれを誉む。その次はこれを畏る。その下はこれを侮る」(老子)
(訳)最も理想的な君主は、人民はただ君主がいるということを知っているだけである。次によい君主は人民から親しまれ褒められる君主で、次は人民から恐れられる君主。最低なのは人民から侮られる君主だ。
老子のこの一節は、リーダーシップについて語られる時に用いられる。
だけどこれは、親の在り方にも転用できるのではないか?と思った。
(意訳)最も理想的な親は、子どもがただ親がいるということを知っているだけである。次によい親は子どもから親しまれ褒められる親で、次は子どもから恐れられる親。最低なのは子どもから侮られる親だ。
こうして読んでみると、侮られたり恐れられたりするのはさすがに嫌だなぁと思う。
じゃあ、親しまれて褒められる親は?
私はここを目指してた気がする。
だけど、私が願う「子どもには、自分で幸せを掴める人になってほしい。」という思いは、叶うのだろうか?
一番良いのは、「子どもがただ親がいるというのを知っているだけ」の状態なんじゃないだろうか?
子どもが自立して、親から離れてる。
社会と自分らしく関わり合い、どうしても辛くて立ち上がれなくなったら、「親に話そう」と思えるような存在。
そうなるために、今私に出来ること。
それでも一番大切なことは、子どもが子どもらしく自分の感性を否定することなく、自分の頭で考えて、行動出来るように手助けすること。
子どもが行動して、失敗して、それでもまた立ち上がって挑戦できるように勇気付けること。
イライラして頭ごなしに怒ることも、時にはあるかもしれない。
だけど社会には理不尽なこと山ほどあるし、不機嫌な人に遭遇することもあるだろう。
大事なのはその後にちゃんと仲直りすること。
きっと私もどこかで、無償の愛を注いでくれる子どもたちに寄りかかってるところがあるんだろうな。
自分自身もまだまだ修行が足りないな…
子どもたちが、「ただ親がいることを知っている」状態を目指す。
これを来年以降の目標に掲げたいと思います!!頑張る!!
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