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自由研究は、親の宿題なの?夏休み終盤の親子の攻防

小学生の子を持つ親なら、誰もが通る通過儀礼「自由研究」。

巷では、自由研究の出来が親の「レベル」を反映するとかなんとか、子どもの宿題を装った踏み絵か、とおそろしくなる。

我が家では、娘が低学年の頃は「こういうの作ったら楽しいね〜」とイメージ先行の工作や手芸で済ませていた。芸がないといえばないが、「子どもの自由研究なんてそんなもん」という意識でいたのだ。

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ところがある夏、休みも残りわずかというタイミングで、夫がいきなり「自由研究は親の本気度が試されるんだ!」と言い出した。
一瞬「ナニ、この人?ベネッセに洗脳されてるん?」と思ったが、夫は自ら材料などを揃え、自由研究のテーマを『使い残しロウソクで作ったエッグキャンドル』に変えた。
娘は、パパと一緒に作れたことが嬉しかったのか、言われた通りに作品を完成させ、それ以降なんとなく「親が介入するのが自由研究」みたいな雰囲気になってきた。

3〜4年生になると、さすがに「作って提出」だけでは物足りないと思い、作る過程や調べたことを紙にまとめる、というような作業もやらせてみた。

他の子の自由研究をみると、自ら体験したことを新聞形式でまとめた子もいれば、市販のキットを使って見栄え(だけは)良く仕上げてあるものなどさまざま。娘のは、見栄えはイマイチだけど、子どもがそれなりに努力して作った痕跡のある作品になっていたと思う。

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ところで、「自由研究」とはそもそもどういう意味?
いつの頃からか、工作(普段は使えないような材料や道具を使うとベター)や手芸を「自由研究」と呼ぶようになっているが、本来「研究」とは、自ら疑問に思ったことを探究すべく、観察や実験を行い、それをレポートとしてまとめる、という一連の行為を指す。
そう考えると、さすがに小学校低学年には難しいかも・・と思ったが、普段プロジェクト学習を行っている子たちにとっては、いつも通りのプロセス。むしろ、「好きなテーマを選んでいいんだ、よっしゃ、やったるか!」という感じになる。

ところで日本の学校教育で、「プロジェクト学習」が導入されてるのって、どのあたり?
学芸会で出し物を発表する、とか、社会科見学でどこそこに行ってレポートを書く、という体験学習は年1,2回行われているけれど、普段、学科別のカリキュラムが細かく決められている中で、それをやろうとしても時間がない。

「学活」や「総合」の時間は、係のしごとや行事の準備、英語や他教科への橋渡しの時間として使われている。

考えようによっては、掃除の時間は「学校の共有スペースをどうやって整備するか」のプロジェクト学習なのかもしれないが、日々ルーティン化された「お掃除」をやってるだけ、という認識の子がほとんどだろう。

それなのに、いきなり夏休みだからって「自分でテーマを決めて」「調べて、あるいは体験して」「気づいたことをまとめる」という、大きくわけて3つのワークを子どもひとりで遂行するのは無理がある。

ここで「親の出番」なわけですが・・・親主導の工作や、買ってきたキットを組み立てたり、というのは「手を動かす」「手順通りやる」ということの訓練にはなるけれど、親の満足を買っているだけのような気が否めない。

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プロジェクトの主導者は、あくまでも子ども。子ども自身が「これどうしてなんだろう?」と疑問に思ったことを、本やネットで調べたり、あるいは親も一緒になって体験することで、より深い気付きを促せるかもしれない。

ここまでは、子どももノリノリだろう。
自分の興味に沿った活動を、親も後押ししてくれる。
だが、たいていの子は、「これで満足」してしまうのだ。



大事なのはここから。自分が体験し、気づいたことを人にどうやって伝えるか。この「伝え方」が9割(そんな本あったな)と思っていい。

高学年になると、壁新聞をつくったり、学級通信をまとめたりといった学習を通じて「伝え方」の雛形が少しずつ出来ている。
完成形が頭にあることで、体験したことを絵や文章にまとめ、人に伝えるというプロセスが見えてきやすい。

低学年の場合、最低でも「なぜ、これを作ろうと思ったのか」「作ってみた感想は」くらいは文章に起こさないと、「ただ粘土をこねただけの作品」や「家にある不用品をセロテープで貼り付けたオブジェ」などが出現することになる。

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我が家の場合、息子は前から作りたいものが決まっていて、それを作るための設計図などは、親が口をはさむ前から準備していた。次に、ホームセンターに連れていって、必要な材料を選ばせ、あとはカッターなど道具を使う際は危険のないように見守る。

作業開始から完成まで、半日ちょっと。
想像通りのものが出来て、彼は満足気だった。

さてここから・・・
わたしは口を酸っぱくして、「これが何なのか、見た人が分かるように」説明文を書かせようとしたが、そこに何の興味も示さない。
自分の頭でわかっていることを、なぜあえて文章にしなければいけないの?そういう不満が見てとれたので、「みんなに伝わらなければ、どんなにすごいものを作っても意味がない」というようなことを話したのだが・・

散々うるさく言って、彼がイヤイヤ書いた文章がこれ。

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概要を省いて、いきなりディテールを攻めてくる。専門知識や、少なくとも興味がある人でなければ読み進むことのできない、わかりにくい文章。
書けば書くほど、ドツボにはまっていく・・・私は頭を抱えた。

結局、悩んだ末にひとつの答えにたどり着いた。
完成形」を見せて、その「穴埋め」をしてもらうしかない。

大きな画用紙に、彼が書いた設計図や計算式などのメモを貼り付け、それらが何を表すのかを1行で書かせる。
たった1行、ここにたどり着くまで何時間かかったか。

あとはウィキペディアで調べた簡潔な説明を、大人の権限でコピペさせてもらい、仕上げに彼の言葉で「感想」を付け加える。

とりあえず、完成!!

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今回の自由研究でもっとも手間だったのは、息子に「人に伝える」ことの意義をわかってもらうことだった。
それが伝わったかどうか、はさておき。

夏休みの大きな課題から開放された私は、ホッと一息ついた。
ここからは、ダラダラTV見ようがゲームしようが、あまりうるさく言うまい。

そして新学期間近、持ち物のチェックをしようとプリントを見ると・・・

絵日記、まるまる残ってる!
1行日記、3日分しか書いてない!!
あと1日でどーすんのよこれ〜〜!!!


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