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命の使い道としての選択

日々の日常生活は選択の連続だ。
今日何を食べようか、何をしようか、誰と過ごそうか。

1日24時間。
誰にでも平等に与えられた時間。
睡眠時間と仕事の時間を除く、それ以外の時間をどう使うか重要だ。

限られた時間の中で、やはり自分が大切にしていることは自然と優先順位が上がっていく。


一緒に時間を過ごす理由

私の仕事の終わる時間は大概遅い。
相手の仕事の終わるのも遅い。

だから私たちが一緒に過ごす時間は、深夜少し前から始まることが多い。
寝るまでの数時間、一緒にごはんを作り、お酒を飲みながら少し話をする。

相手は自分が感じたことを、時々私に話す。
私は相手の話を否定しないで、もっと話してくれるように聞き役に回ることが多い。

相手は、仕事が終わった余暇を私を過ごすことを選ぶ。

1人の時間を作らないで、自分の時間を私にくれる。

1人で作業することがあっても、私と同じ時間の中にいてくれる。

これが相手の愛情だと気づいたのはだいぶ時間が経ってからだ。


自分の気持ちには嘘はつけない

会うということは愛情なのだ。

ケンカをすると、会わない期間ができる。
その間、私たちは心を整える。
お互いに冷静になって、何かを諦めて、何かを許す。
そして、心をリセットできたら再び会う。

本当に嫌なら会わないのだ。
自由意志だから、無理してまで相手に時間を使わない。

人は割と自分の気持ちには正直なのだ。


一緒に楽しむ時間

どうせ有限な時間を一緒に過ごすなら、2人で楽しめることをした方がいい。
好きな食べ物や飲み物、映画などちょっとしたことで人は幸せになれる。
お互いが相手の関心ごとに関心を持ち、相手の好きなことはなんだろうと想像する。

一人一人が好きなものを選ぶけど、その選択肢の中から2人で楽しめるものを選ぶ。

だって2人でいるんだから。
2人でいる意味はそこにある。

自分と相手、それぞれ個人。
さらに2人という共同体。

一緒に時間を過ごすということは、総合的に考えて、お互いが楽しめることを選択していくことだ。


相手からの愛情

相手からの愛情は、目には見えないことが多い。
言葉にしたところで、正確には伝わらない。

だからこそ、時間という誰にでも平等で限りあるものを自分に差し出されたとき、私は大切なものをもらったかのように受け取りたいな、と思う。

他の人と過ごしてもいい時間。
自分のためだけに使ってもいい時間。

それを私のために使う。
私にその時間をくれる。

相手は、命の使い道として私を選んでくれている。

だからこそ一緒にいる時間は、最大限に楽しめることを自分から探して、機嫌のいい私としていたい。

相手もメンタルが落ちてたり、機嫌の悪い日もある。だけど、そんなことは知らない、でいい。

それは相手の問題だから。

私は自分側から見て、相手が私に有限な自分の時間、すなわち自分の命を差し出しているという事実だけを見ることにする。

目の前に差し出された愛情をそのまま受け取ることだけが、今の私にできることなのだ。

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