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1冊だけ読み込みレビュー 『はい、泳げません』

 世の中には、いや、今の日本には幸いにも飽和するほど物語があふれている。
これは本においてはずいぶん前から見られた現象だし、今や、映画やドラマもそうだ。
(さもなくば、ドラマや映画は倍速再生が当たり前、になんかならないと思う。)
 物語が好きな人たちは何だか今や、「読むべき」ばかりじゃなく「観るべき」作品にみんな、追い立てられているみたいだ。

 と、こう書くとなんだかネガティヴな結論に落とされそうだけれど、私はこの飽和気味の物語の在り方って悪いばかりでもないと思う。

 私にとって物語は、心がしんどい時に助けてくれる、魂のパートナーだ。例え読んだり見たりした作品が、何かの二番煎じだったとしても、私を救ってくれたのならそれは私の中で一番の物語だ。
 物語による救いの手はたくさんある方がいいと思う。そういう物語の存在の仕方もアリだと思う。
 ちょうど、その人にとっての大切な人が友だちや親や、パートナーが、一人ずつそれぞれに現れるように。
たとえ、オリジナルの輝きには及ばなくても、その人の活路とか、喜びとかをもたらしてくれるものであるなら、それもいいと思う。

 それくらい、物語は世の中にあふれている。

 今回、レビューを書こうと思うこの物語も、実は以前に同じようなパターンでストーリーが展開されたものの、二番煎じかもしれない。
 でも、出会ったのは私。

 だから書いてみようと思う。
(ただし、ネタバレはあります。)

 『はい、泳げません』

 この作品、実は映画の方を先に観た。理由はタイトルが正直で面白かったのと、予告編の一言一言が惹きつけられるワードばかりだったからだ。
(「(泳ごうとして)溺れたら、私が助けます」とか、
「水の中なら思いっきり泣いてもいいんです」とか…)
 ハートフルなラブロマンスかな、なんて思いながら映画館に足を向けた。


映画版DVD


 予想は概ね当たっていた。水難事故で息子を失った心の傷を癒やしきれない男の、再生の物語。予想外の展開があるわけじゃないけど、気持ちよく観られた。長谷川博己演じる小鳥遊(たかなし)と、綾瀬はるか演じる厳しめの水泳コーチの薄原とが恋を成就させる、というありたきりの展開じゃないのもよかった。
 が、それで終わってしまったー。

 ただ、これを映像化させた原作はどんなものだろうという関心だけは残る作品だった。
 ので、まずは図書館でこれを借りてみようかな、と、自分の「読みたいものリスト」には挙げておいた。

 とはいうものの、私の読みたいものリストはまぁまぁの冊数がある。だから読むとしてももっと先の予定だった。

 が、どうやらこの作品とは縁があったようだ。
 ちょうど読むものが一区切りしたところで寄った図書館に、この本はあった。

………しかもスポーツ実用書の棚に。


単行本 新潮社刊(文庫版もあります)


 その時の感想は特に深い感慨もなく(ああ、そうなんだろうなぁ。)だった。
元々はエッセイか実用色の強い著書をあそこまでの物語に練り上げたのだろう、と思った。言うなれば『武士の家計簿』式だ。
 他に借りたい本もこの時には見当たらなかったので、思い切って借りた。

 《念のため、ここでお断りを入れます。
 私は映画は一回しか観ていないのだけど、本の方はじっくり読んだので、このレビューは本寄りになります。》

 さて、先に映画を見てしまったせいでつい、映画と比べてしまうのだけど、結論から言うと私は原作の方が好きだ。

 ただ、最初の方は読むのに難航した。この本は著者の高橋秀実さんの体験談なのだが、この人、別に映画のような、息子の水難事故のトラウマを抱えているわけではなくて、単に水嫌い。しかも、泳ぐ動機もただ何となく「泳げるようになりたい」という漠然としたものなので、映画と違って一念発起するような、ベルエポック的なものは、一切ない。
なので、はじめの方は泳がない理由を必死で探すような文章が続き、ちょっとイラッとする。

 ただそんなふうに感じるのは、私は泳ぐのに全く抵抗がないのでそう思うのかもしれない。
 体を動かすのも大好きだからそう思うのかもしれない。

が、よくもまぁ、やらない理由をここまで挙げ連ねられるものだ。そしてこの人、頭で理解できないとすぐに泳ぎをやめて、プールの真ん中に立ち尽くしてしまうのだ。
私も運動をたしなむ割には理屈屋さんの所があるらしいが、さすがにここまで頭で理解し、答えを出せなければ行動できない、ところまでには至っていない(と思う)。実生活含め、ここまで理詰めで水泳に取り組む人には私、初めて会ったんじゃないだろうかー。

 でも一方で、水泳が嫌いな人、水が怖い人、っていうのはこんな理由で泳がない(泳げない)んだろうな、という一つの考え方は学べた気がした。
逆に私は、自分がこんなにも水を怖がらなくて済む生き方ができて本当によかった、と胸を撫で下ろしたほどだ。
 地表全体の7割が水だというこの地球。もちろん、泳げるプールや海や川は、更に割合が低いだろうけど、ここまで水に怯えずに生きられるとは、何という幸せ。日本の体育教育に感謝だ。
(この本にはなかったが、学校教育に水泳が取り入れられたのは、子どもの水難事故を減らすため、というのもあったらしい。)

 それでもこの著書、先にも書いたように、映画のようなトラウマ的事件のせいではなく、本当に何となく、もしくは本を書くため、泳げるようになりたいと思った、という率直な動機がかえって清々しく感じられた。そこについては映画より好感が持てたのだ。

 ーーーでも、映画で名前を変えた理由がわかった気がする。

 こうやって息を止めて潜水で泳ぐようなパートを抜けると、次第に著者も水と和解をしはじめる。頭でっかちで理屈屋さんなのは変わらないが、その理屈が泳ぎに寄り添っていく。
とうとう「水がゆらゆらと私を泳がしてれるのだ。」なーんてことにも気付いていく。

 とはいうものの、この著者はしょっちゅうスクールを休むので、最終的に泳げるまで2年かかっているし、途中、日本泳法に色目を使ったりと寄り道も多い。理詰めでのアプローチする姿勢は最後まで1ミリも変わらないけど、それがだんだん泳げる人の考え方に近づいていくのを追っていくのは楽しい。
 一方でその粘り強い理屈っぽさで「体を振る、伸びて進む」など泳ぎのテクニックを言語化する所にもたどり着いている。
これならスポーツの実用書棚にあっても恥ずかしくない、と思うような文章化能力だ。
 最後には人の泳ぎを見て「左右のバランスが悪い」とか「力が入りすぎている」とかを見極める域まで達する。

 一方、綾瀬はるか演じるコーチの方は原作では桂さんという名前である。(こちらは一般人なのに露骨に実名だから変えたのだと思う。)
まずはこの人の教え手としてのレベルが格段に高いことに一番、驚かされる。
 もちろん、お金を取って教えているのだから当然かもしれないが、さすがプロ!と拍手を送りたくなるような人だ。

 昔、三重苦を克服したヘレン・ケラーを描いた『奇跡の人』という舞台由来の物語があった。
 映画化されたり、舞台演劇として今だに繰り返し語られる物語だが、ここでいう「奇跡の人」は見えず、聞こえず、話せず、の三重苦を克服したヘレン・ケラーではなく、そんな障害を持った子どもに言葉や知識を与えることに成功したアニー・サリバン先生の方だと聞いたことがある。
 私の目からはこの『はい、泳げません』の桂コーチに、このサリバン先生が重なった。

 そもそもかなりやる気モードのなかった高橋氏を「泳げる人」にしたこと自体奇跡だ。もちろんどんなに遠回りしようが、水泳教室に通い切った高橋氏も偉い、とは思うけれど、よくも桂コーチはこんな生徒を投げ出さなかったものだ。
 そこから私はすっかりこの人を「サリバン桂」と呼び続けている。

 映画版の人物像も、主人公に比べて原作にかなり近い映像が結べる。交通事故に遭ったのも本当だし、競技ばかりの人生を送ってしまい、(原作では実は泳ぐのはもう、そんなに好きじゃない、と告白しているけれど)泳ぎ続ける人生を送ってしまったせいで、泳がない人生を考えられなくなってしまった点も原作と同じだ。

 けれど事故に遭って体が動かなくなった時、まずベッドの上でイメージしたのは水泳の動き。そこから実際に水泳をすることでリハビリに成功。泳ぐのは嫌いでも、教えることに喜びを見出し、コーチになる。
 教え方も「今日はバタ足〜。」みたいなやり方ではなく、生徒の動きを見て自分でも試し、違和感のあるところを突き詰める。そこからどう改善すれば美しい泳ぎになるかを追求し、次のレッスンで独自の指示を出して生徒にそれを行わせる。そして最終的には泳げるようにしていく、というもの。

コーチの鏡じゃん!

 教え手としてはサリバン桂、最上級クラスだと思うのだ。

 こういう、一つの道を極めた、もしくは極めようとしている人の一言一言は深い。
映画でもキャッチーなセリフになった「水の中なら思いっきり泣いてもいいんです」の一言も重く、深く響く。
中でも「自分がどう泳げているかしか考えてないということは、自分のことしか考えていないということです」という言葉が私には一番刺さった。
 言うまでもなくこれが響くのは、私の泳ぎ方がそうだからだ。あんまり競争したくないから、いつも自分の泳ぎしか見ていない。
 でもそうなると「視線が近くなって背中が丸まってくるんです」とサリバン桂は諭してくれるのである。
 更には「ほら、人と比べるとやる気が出てくるでしょ。優越感、湧いてきたでしょ。それでいいんです。」とまで言ってくれる。

 人と比べて得られた優越感は、裏を返せば人と比べ、劣等感に絡め取られて闇落ちをするリスクも負う、ということだ。
だから私はまだ、その境地には至れないのだけれど、この本の、この言葉のおかげで「人と比べて優越感に浸る」って気持ちを全否定するのも違うよな、って思ったりも(以前よりは)できるようになったと思う。

 ベスト、ではないけれど、私には中々に良書でした。

 私はよく肩に力が入ってる、と言われるのだけれど、この本を読んで、肩の力を抜いて伸びやかに泳げるようになるために、またプールに行きたくなったよ。

 ちなみに今回は piyo_maroさんのお写真をお借りしました。作者の高橋さんは、水面から見上げる空が怖いのだそうです。
私は桂コーチと同じに、これが好きなんですがね…。

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