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東急沿線新聞『あらかると』のおもいで

六本木のアウシュビッツと呼ばれたプロダクションが得意としていたのは『自動車』『流通小売』そして『不動産』でした。

入社したばかりのぼくに最初、あてがわれたのは『流通小売』の中でも特に地味な、東急沿線新聞の“あらかると”というコラム。月に一回、1500文字程度の雑文でありながら販売につながる文章を書くというものです。

もしいまならチョチョイのパーで片付けられる仕事です。それどころか結構いいやつこさえるんでいつか本にしてくださいよ、ぐらいの軽口を東急エージェンシーの担当にたたいちゃう、そんな仕事。

しかしそれまでまともな分量の文章を書いたことがなく、知識の瓶に一滴の水も溜まっていない22歳の若造にとっては重く深くしんどい仕事でした。

■ ■ ■

まずコラムの「テーマ決め」の時点で社長OKが出ない。出しても出しても「ダメ」「ボツ」「何がいいたいの?」「やり直し」の連続です。

だいたい東急ストアの利用客、東急沿線に住んでいる人たちの暮らしぶりやニーズのことなんかからっきしわかりません。想像もできない。考えろ、といわれても、なにをとっかかりにしたらいいのか。絶望的です。

社長や秘書からは「あらかるとで徹夜するヤツなんかはじめてみたぞ、しかもテーマで」と笑われます。ぼくをその事務所に誘ってくれた先輩からはやれやれ…というハルキスティックなため息をつかれます。ぼくはどんどん、自信を失っていきました。ただでさえ根拠もなかったのに…。

それでも三徹などを経てようやくテーマが決まります。しかし今度は筆が進まない。もうどうやっても1500文字が埋まらない。それどころか300文字に到達することすらしんどい。とにかく何を書いたらいいかわからない。

なんとかやっつけで増改築を重ねたようなグラグラの1500文字作文が完成します。それをおずおずと社長に見せにいくと「なーんだこりゃあ!」の声。「あのなあハヤカワよぉ」そこから公開説教です。公開といっても目の前には秘書しかいませんが。

見るとワープロでタイプアップした感熱紙にはこれでもか、といわんばかりの赤。そしてひとつずつ、ねちっこく、質問と罵倒が繰り返されます。「ここはだから、じゃねーんだよ。なんだと思う?」「…しかし?」「違う!」「…ゆえに?」「違う!」「……」「わかんねーのかよ!」

いわく「木を見て森を見ずだ」「お前の文には文学性がない」「こんなもんは文章じゃない、ゴミだ」「考えずに文章なんか書くな」「てにをはもできねえのかゴミムシ」「もう帰れ、名古屋に帰れ!」「お前なんかコピーライター名乗るんじゃねえ!」「俺は驚きだよ、お前がコピーライターって職業を知ってたってことがな」「学がねえんだよ学が」

罵詈雑言、という四文字熟語の意味を体で味わったことがある人は、子どもの頃にいじめに遭った人なのかもしれません。ぼくは幸い、いじめに遭ったことはありませんでした。しかし大人になってから受ける罵詈雑言というのも、それはそれで心に傷を負うものです。

しかしいまになって思えば、本当にそれぐらい言いたくなるようなダメな文章だったのでしょう。社長もよくあんなものを読んでなおかつ赤を入れてくれたものです。しかも粘り強く。ぼくみたいに出来の悪い社員にもきちんと愛情を持ってくれていたんだとおもいます。その証拠に、どんなにダメでもこの仕事を取り上げることはしなかったわけですから。

あ、単に他にやらせる人間がいなかったからかも知れませんけど。

■ ■ ■

まあ、そんなこんなで3ヶ月、半年と時が流れていきます。いつものように“あらかると”のテーマ出しで日曜の午後にも関わらず事務所のデスクに向かっていたぼく。季節は初夏。テーマの方向性は「お盆」でした。ぼくはふと、お墓参り、というキーワードを思いつきます。

でもなあ、きっとネガティブとか言われるんだろうなあ。お前は売りの現場がわかってない、墓参りで何が売れるんだよ、いまから中目黒の東急本店の売り場に行ってこい!なんてな。脳内で社長の口調を真似するぐらいの余裕は、そのころはできていたのだと思います。

そのときふいに、田舎のおばあちゃんのことが頭によぎりました。ぼくはおばあちゃんに電話します。受話器の向こうから懐かしい声が聞こえます。いつもゴミムシ扱いされているぼくも、おばあちゃんはあくまでやさしく接してくれます。ちょっと泣きそうでした。

そこで何を聞いたか、というと、墓参りのときのお墓の掃除の話です。倹約家のおばあちゃんはよく使い古した歯ブラシをつかって、戒名のくぼみの汚れを落としていたことを覚えていたのです。そんな話をふるとおばあちゃんはよろこんで、他にもいろいろと掃除のコツを教えてくれました。

ぼくはその内容を踏まえたテーマとプロットをつくり、はじめて一発で社長OKをもらいました。そしてその回は1500文字がさらさらと、これまでの苦悩がウソのように書けました。なんせおばあちゃんが喋っていたことをそのまま書けばいいのですからラクなものです。

完成した文章も、いくつかの表現上の赤入れはもらったものの、概ね無事に社長チェックを通ります。最後に提出先の東急エージェンシーと東急ストアからのチェックをいただくのですが、売り場主任が「これは何も売ってないよね」というクレームを付けてきたそうです。

ただ、いまから修正するのは入稿に間に合わないので、というような理由でエージェンシーの責任者が通してくれたとあとで聞きました。

掲載から一週間ぐらいしたころ、東急ストアの生活雑貨担当の方から電話がありました。

墓参り記事へのクレームかな、と身を固くしていると、あの“あらかると”を読んだお客さまからいくつか問い合わせをいただいたこと。そのお客さまが店頭でこれを機会に、と歯ブラシを家族全員分新調してくれたこと。あのような記事は直接モノは売ってないけど、こういう効果もあるのだから、これからもがんばるように、と言われました。

ぼくは、おばあちゃんにそのことを報告し、ありがとうと伝えました。おばあちゃんも、孫が遠く離れた東京でどんな仕事をしているか、なんとなくわかってくれたのではないかとおもいます。この件で“あらかると”を作る仕事がほんの少し、辛いだけのものではなくなりました。

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あれから数十年。東急沿線新聞は「SALUS」と名前を変え、内容も紙面も刷新。そしてぼくが汗かきべそかきヒイヒイいいながら毎号こさえていた“あらかると”は…“大人の迷子たち”というタイトルのエッセイにリニューアルされていました。筆者は、なんと、ぼくが尊敬してやまないコピーライターの重鎮、岩崎俊一さんです!

残念ながら岩崎さんはいまから6年前に他界し、もう連載は終わっているのですが、ぼくはそのことを知ったとき、岩崎さんとのかすかでありながらもうれしいご縁を感じたのでした。

いや、編集部は特に“あらかると”の後釜企画として“大人の迷子たち”にしたつもりはないかもしれないんですが、まあ、いいじゃないですか。本人がそうおもっているだけなんだから。いい思い出にさせてくださいよ。

その後“大人の迷子たち”は一冊にまとめられ、同名のタイトルで出版されました。こちらで紹介しています。

それでいくと、“あらかると”も一冊の本にまとめられ…るわけないですね。

BGMはkiki vivi lillyで『Copenhagen』でした。

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