見出し画像

【広告本読書録:026】幸福を見つめるコピー完全版

岩崎俊一 著 東急エージェンシー 発行

 岩崎俊一さんがお亡くなりになって、はや5年。この本が出版されたのは没後約半年というから、脱稿時はすでに病床の身だったのですね。そうおもうと胸がつまります。

ちなみに『完全版』とあるように、2009年に『幸福を見つめるコピー』が出版されています。この完全版にはそれ以降の新作コピー、前回収録していない旧作コピー、さらにエッセイがあらたに加わりました。

と、ここまで書いて、ふと「あとがき」に目をやると…2009年岩崎俊一とあります。すると、もしかしてこの本は没後あらたに編集されたもの?いやいや鈴木康之さんの解説からは決してそうではないことがうかがえます。

では岩崎さんは、病床でどの部分をお書きになったのか。そんな、いろいろと探る楽しみも読者に与えてくれる、ぼくにとっての座右の書。宣伝会議の別冊シリーズが続いていたら間違いなくそのラインナップに加わったであろう『岩崎俊一全仕事』がこの一冊です。

ぼくと岩崎さんをつなぐ細い糸

岩崎さんとぼくは運命のいたずらというか、ボタンの掛け違いというか、人生にはすれ違いというものがあるのだなあ、と思わず空を見上げてしまいそうになる邂逅未遂がありました。

東京に来て最初のコピーのお師匠となったのが竹内基臣さんであることは、すでにこの連載でお話していたとおもいます。それは上野にあるコピー学校だったのですが(現在はもうありません)、ちょうどぼくが入る一年前までは竹内さんの他に講師として岩崎さんがいらっしゃったんだそうです。

当時、竹内さんは岩崎さんと飲み仲間でもあったらしく(狭い世界での同業ですから、当然ですね)よく「岩崎も俺もこんなの馬鹿らしいから一年で辞めようって言ってたんだけど、俺はもう一年やることにした。あいつはお前の一個上の先輩を引っこ抜いていったぞ」とおっしゃっていました。

ぼくは竹内さんのコピーも好きでしたが、それ以上に実は当時から岩崎作品に強く惹かれていて、そのことを竹内さんに伝えるとちょっと機嫌が悪くなったものです。いじわるっぽく「お前、岩崎んとこなんかタコ部屋だぞ。お前の先輩なんか給料出なくてよ、警備員のバイトやっとるらしいぞ」なんて裏話をしてくれたものです。

実際、聞くところによると岩崎さんの事務所では岩崎さん宛てに入ってきた仕事をスタッフにやらせてみて、よければ採用で給与支給、だめならボツで無給、という制度だったそうです。ううむ、ぼくもその話を聞いてから約5年後に広告業界のアウシュビッツに収容されることになるのですが、ま、五十歩百歩ってとこですね。

ぼくはその話にうなづきながら(そんなところで仕事をするのはヤだな…)と若者らしくおもったものでした。一方で、そういう職人道というか師弟関係に憧れていたこともあり(でもどうせやるなら岩崎さんの事務所みたいなところがいいな…)ともおもっていた。

それから約二年後。目黒の求人広告代理店でコピーライターとしてのキャリアをスタートさせたぼくは、その年の『朝日広告賞入賞作品集』に、その先輩の名前を見つけます。

「し、進藤さん…」

その人、進藤さん(下の名前は忘れた)が堂々と一般の部で朝日広告賞を受賞されているじゃありませんか!

そのとき、ぼくは、こうおもいました。

(このままじゃだめだ。ここにいてはだめだ)

まさかそれがアウシュビッツに強制収容される道の第一歩だとは知らずに。

「手紙文」をルーツとするボディコピーの職人

さて、そんなおもいで話はさておき本の紹介です。冒頭でも書きましたがこの完全版には前作の未完全版(?)があります。そこに新旧未収録のコピーを何本も追加。さらに珠玉のエッセイを加えた豪華版となります。

特にエッセイは岩崎さんの晩年におけるもう一つの柱ともいえる仕事。東急沿線に無料配布される『SALUS』の連載「大人の迷子たち」を修正加筆した4編がとりあげられています。

ちなみにこの東急沿線のフリーペーパー、という媒体でも、ぼくと岩崎さんは薄く細い糸でつながっていて。そのことは、また「大人の迷子たち」を取り上げるときにとっておきます。

さて、岩崎さんといえば読書家であり、なかでも『手紙文』に強い憧れを持っていたそうです。そのことはP104からはじまるエッセイ「わが輩の恩人は漱石である。」に書いてあります。

ここで岩崎さんは若いころ、単身上京して三週間目というタイミングで京都に残してきた妻と娘に書いた手紙を全文引用。その、湿度高めの文面は本編で味わっていただくとして、「実は」と自分の文章作法のルーツを語ってくれます。

高校生の岩崎少年(青年?)は漱石の『こころ』と出会い、その第三章「先生と遺書」の文章の美しさ、なめらかさ、心地よさにすっかり魅了されたんだそうです。なぜそこまで手紙文に惹かれるのか。自ら振り返ると、それは手紙の向こう側にはっきりと人がいることと深い関係がある、とします。

見えているから、どこか話しかけることに近く、すなわち人の呼吸と連動していて、文章の基本であるリズム感が生まれるのではないか、と。そして岩崎青年は志をあきらかにします。

「書く仕事がしたい。そして、いつかこういう美しい文章を書いてみたい」

なるほど、稀代のボディコピーの名手は、こうやってその芽を土の中から伸ばしはじめたのですね。

ちなみにこの手紙は投函されることなく、書簡箱の奥にひっそりとしまわれていたそうです。岩崎さんはこのエッセイをこんなふうに閉じています。

多分いま一番驚いているのは、四十二年の眠りを突然破られた当の手紙ではないだろうか。

上手いですね~。ぼくが言うことではないかもしれませんが。

キャッチコピーは「うまいこと言え」

さて、そんな岩崎さんですがキャッチコピーも、もちろん名作を数多くものにしていらっしゃいます。ミツカンの「やがて、いのちに変わるもの。」やライオンの「今日を愛する。」などはコーポレートスローガンとして息長く愛されています。

ここでは『完全版』から、あんまりメジャーじゃないけどぼくが個人的に好きなキャッチコピーをいくつか紹介します。

おやすみなさい。命令形なのに優しいね。(ネムー/大塚製薬)
花を育てるようになると雨が好きになる。(シャーウッド/積水ハウス)
この子の3歳は、たったの1年。(ベータムービー/ソニー)
出会いという美しい言葉を汚したのは、私たちがつくり出したネット社会です。(らくらく連絡網/イオレ)
人は健康な時に、そうじゃない自分を想像するのが、なんて苦手なんだろう。(介護付き老人ホーム/東京海上日動サミュエル)

どれを見ても「うまい…」と感嘆してしまいます。うまい、というより、美しい。ぼくはなぜか長めのキャッチが好みなんですが、岩崎さんのキャッチは長くてもしなやかでするりと読めてしまう。あるいは、脳内で好きなナレーターの声に変換して読めてしまう不思議な魅力があります。

岩崎さんは亡くなる前、若手コピーライターに向けたコピー作法として「うまいこと言え」という言葉を遺されています。『幸福を見つめるコピー完全版』とは別の本に掲載されたものですが、学びが多いので一部引用します。

コピーライターの仕事を分解すれば、コンセプト作りと言葉探しの2つに大別される。どちらも大事であることは言うまでもないが、特に僕は、後者の「どう言うか」こそコピーライターという仕事の真髄だと考えている。
ものは言いよう。どんなに大事なこと、必要なことを言っていても、言いかたがつまらなければ役に立たない。同じ中味をテーマにしても、結果は「言いかたが上手」な者の圧勝なのである。
引用:「ブレーン」2014年10月号「超新訳コピー・バイブル」

ぼくもそうですが、ある程度の年代のコピーライターは駆け出しのころ「どう言うかは考えるな、何を言うかが大事だ」という鉄の掟で育ってきているはず。だけど、それは確かにわかるけど、なんかおもしろくないなとおもい続けていました。

そんなぼくのもやもやにどストライク!な岩崎さんの秘伝。これを読んだときすでにぜんぜん若手じゃなかったですが、目の前の霞がスーッと消えていった気がしたものです。

人、そして人生そのものに対するやさしいまなざし

さいごに『幸福を見つめるコピー完全版』から序文である「人は弱い生きものである」の一部と、ぼくが立ち読みしながら泣いてしまった鈴木康之さんの「解説」の結びを引用しておわりたいと思います。

この序文、本当に名調子で、序文コンテストのようなものがあったら文句なしに一等賞でしょう。本当は全文引用したいのですが、さすがにそれはどうかとおもい、一部にとどめます。

そして鈴木さんの解説ですが、ぼく、ほんとうはこの本を買うつもりはなかったんですね。だって既に家の本棚には『幸福を見つめるコピー』はあるんですから。それにエッセイ集である『大人の迷子たち』だって持ってる。もちろん岩崎コピーのファンとして、常に作品はチェックしてるし。

そんな感じで新宿ブックファーストで、追加されたであろう箇所だけ読み始めました。それが鈴木さんの解説で手がとまり、思わず目頭が熱くなったことを覚えています。結びの箇所だけでもご紹介しましょう。

そういう、人間観察と文章表現の才人が満を持して物するエッセイが、ハートウォーミングなエンターテイメントでないはずがありません。教科書的な起承転結を超えて、起承転転結転になっていたりする。読み終わった後で、同業の物書きのノドから深い溜め息と「ウマ!」の感嘆詞を漏らさせるのです。
……
と、昨年末、書いて送稿。返信なし。西武での唱和展の準備で多忙なのだろうと思っていたが、その時、すでに岩崎俊一は再入院の身だったとは。
……
おーい。

この「おーい」に込められた鈴木さんの想い。あるいはかつての盟友、竹内さんは、この一報をどんな心持ちで受け止めたでしょうか。

でも、この本の帯に、長らく事務所でタッグを組んでいた岡本欣也さんが書いているように、岩崎さんのコピーは何十年経っても古くならないから、悲しんでばかりいるのではなく、そういう作品を遺してくれたことに感謝を捧げるべきでしょう。

すべてのコピーライターはこの本を書棚に一冊、仕事場に一冊。あわせて愛人宅にも一冊ぐらい置いてもバチはあたらないのではないでしょうか。

(おしまい)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?