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【Lo-Fi音楽部#003】想い出のクリフサイド・ホテル

彼女が女子大小路のスナック「のりまき」で働きはじめたのは梅雨があけたばかりの頃だった。お金がないから仕方がないの、と畳み掛けるように告げられると高校3年生男子にできることはうつむくぐらいしかない。なにしろ持っているのは原付バイクと毎月のバイト代ぐらい。その小銭もガソリン代やスタジオ代、彼女との飲み代で消えてしまうのだ。

俺は必死に考えた。どうしたら彼女が水商売の道に入らずに済むか。おかしいだろ女子高生がスナックのホステスって。俺が学校を辞めて働くか。いっそ彼女にも学校を辞めてもらって一緒に実家の大衆食堂でもやるか。いや、無理か。頭の中で力のない妄想がぐるぐる回っていた。


彼女と付き合うようになったのは高2の2月。街中に国生さゆりの「バレンタイン・キッス」が流れていた。商業高校に通う友人からの紹介で、彼氏と別れたいんだけど別れてくれない、すごくしつこいからなんとかしてほしい、という相談を受けた。俺はそのシロタという男の家に行き、玄関先でお前がしつこい変態野郎か、といいながら一発殴った。

もう二度と連絡しません、学校で会っても無視します、と近くのファミレスで一筆書かせて学生証のコピーを取り、火の点いたタバコを持たせて写真を撮って、約束を破ったら学校にこの写真を送りつけると脅してから解放した。そうして彼女と「紫」という居酒屋で乾杯し、そのあと一発やらせてもらった。その日は一発に縁があった。

彼女は高校生にしては尋常ではない色気があり、連れて歩いているだけで周囲の男たちからの視線をビンビン感じた。一度、一緒にいるところを父親に見られたのだが後日「おい、お前あの日活の肉体派女優とは付き合っとるんか?」と聞かれたほどである。父親はうらやましそうだった。

日活の肉体派女優は天真爛漫なところがあり、俺が学校の仲間とディスコに行くといったら「わたしもー」といいながら付いてきたことがあった。友人たちは最初、なんでこんなところに女を連れてくるんだ、というような怪訝そうな顔で警戒していた。しかしほどなくして彼女はみんなとうちとけ、最後はまたみんなで遊ぼうね、というほど親しくなっていた。

「ハヤカワがあの子連れてきて最初ちょっとムカッとしたんだよ。なんだ女連れって自慢かよ、とかよ。でも話したらすごいいい子じゃん。かわいいし面白いし。またみんなで飲みに行こうぜ」

いつしか俺の日常の大部分は日活の肉体派女優で占められるようになった。


彼女の家庭環境は複雑だった。市立の商業高校に通う普通の女子高生だと思っていたのだがそうではなかった。実家はさびれた商店街で大衆食堂を営んでいる。店主は母親だ。父親はいない。彼女の部屋に飾ってあった父親の写真には首から肩、さらに胸にかけて入れ墨が彫られていた。俱利伽羅紋紋にふんどし一丁の男たちの写真もあり、どうみても本職である。殺されたか、殺したか。刑務所に入っているのかもしれない。

母親は新しい男と籍を入れ、その男との間に子どもを作った。新しい男は無職で、朝からパチンコ屋か雀荘に入り浸っていた。彼女は新しい男とは相性がよくなかった。彼女は半分だけ血のつながった弟を自分の子どものようにかわいがった。

新しい男は店の常連で、いつも連れと二人組でやってきていた。ある日、彼女が繁華街で買い物をしていると、新しい男の連れとバッタリ会った。新しい男の連れはこの後よかったらドライブでもしないかと提案した。彼女はまったく知らない相手でもないし、店のお客さんでもあるので無碍にできず、言われた通り助手席に座った。

その夜、彼女は山道に停めたクルマの中で新しい男の連れに暴行された。その足で泣きながら付き合っていた彼氏に告白したら速攻で別れを切り出された。失意のどん底にいたときに気の迷いでひと晩を共にしたのが俺が一発喰らわせたシロタというわけだ。

家が貧しいので学費を自分で稼いでいた。肉屋とスーパーのレジ打ちと清掃のバイトをかけもちで回している。おかげで常に睡眠不足だが授業中に寝ることは絶対にない。自分の稼いだ金で通っているからだ。しかも下校後は毎日バイトがあり家では弟の世話をしなければならないので、授業中しか勉強する場所も時間もないのだという。

彼女はその集中力で学年2位の成績をあげていた。

俺はこの話をラブホテルで聞いたとき、働こう、と思った。もうあんなチャラチャラした学校なんかには通ってられん。退学して独立して稼いで、彼女を養おう。本気でそう思った。そのことを口にする前に彼女は寝息を立てていた。今日も疲れているのだろう。俺はホテルの冷蔵庫から瓶ビールを出して、消毒の匂いのするコップで呑んだ。


学校を辞める計画が遅々として進まない中、彼女の身辺に変化が訪れた。新しい男と息子との生活が困窮を極めつつあった母親が、彼女に家を出て行けと言いはじめたのだ。もし出ていかないなら家賃を払え。その家賃を稼ぐなら知り合いのスナックが雇ってくれるからそこで働け。実の母親が言うことか?俺は軽い眩暈がした。

母親はそのスナックからピンハネするつもりだ。なんなら紹介料すらせしめる気だろう。どうするの?と聞くと、住むところがなくなると高校もやめなくちゃいけないから、という。俺は、とりあえず住まいと仕事の確保、それと当面の生活費…と焦った。このときほど大人じゃない自分に腹が立ったことはなかった。早く働きたい。早く一人前になりたい。何だっていいからとにかく稼いで、この状況から彼女を救出しないと。

心配しないで、もう面接もして合格したから。お昼のバイトも辞めてきたし。お肉屋さんの店長さんはすっごい悲しんでくれたけどね。彼女のバイト先の精肉店には俺も何度か顔を出していた。店長は中年の太ったオヤジで、おい兄ちゃん、こんないい子彼女にできてお前は幸せもんだぞといいながら笑顔で俺の背中を何度も叩いた。俺は、あの人の良い太った中年が彼女を手放すことになって悲しいという感情を露わにしたと思うといたたまれなくなった。

その話、なんとか止められない?と俺は一応聞いてみた。金や住まいのことは俺も考えるから、と何の策もないくせにとりあえず言ってみた。するといつも以上に大人っぽい笑い方で「だって無理でしょう」と言った。そうなのだ。無理なのだ。大丈夫、そんな悪いお店じゃなかったから。すごく親切なママさんだったし、ちゃんと学校にも通わせてもらえるから。なんかわたし、ふっきれちゃった。がんばるね。彼女はどこまで本気かわからないが、明るく言い放った。


夏休みがはじまった。彼女の水商売デビューは順調のようで、試用期間中にも関わらず彼女目当ての客が何人もついたという。俺は気が気じゃなくて、ほぼ毎晩、仕事があがる時間に原チャリで店のそばをグルグル走り回っていた。そのうちバイクの音がうるさい、というクレームが入り、俺は店から少し離れた電信柱の影から彼女の出入りをチェックするようになった。気づけばシロタとまるで同じ穴のムジナである。

彼女の誕生日が近かったので雑貨屋でイアリングを買った。その夜、店の外で出待ちをして渡そうと決めていた。いつものように電信柱の影に潜んでいると彼女が客の見送りで店から出てきた。チャンス、と思って手を振ると、きちんと気づいてくれた。駆け寄ろうとすると大きく両手でバッテンをする。そして店の中に消えたと思ったらすぐに出てきて俺のもとにやってきた。ママがあなたに気づいて怒ってんのよ。今夜ちょっと時間つくれるからラストまで待っててくれる?俺がもし犬なら千切れんばかりに尻尾を振ったことだろう。

それから2時間ほど、セブンスターを吸いながらひたすらラストを待った。その間に彼女は3回、見送りで出てきた。今夜はやれるかな。そう思っただけで俺はいくらでも待てる気がした。そしてラストの時間。午前1時である。最後の客と思われる3人組を見送ってから、しばらくして彼女が出てきた。ごめんね、この後お客さんとアフターになっちゃった。私のお誕生日お祝いしてくれるって。俺は泣きそうになった。でもお寿司だし遅くならないと思うから、いつもの地下鉄の出口の東海銀行の電話ボックスの脇で待ってて。必ず行くから。俺は彼女の家の最寄り駅に原チャリを走らせた。時計を見ると午前2時だった。


指定された待ち合わせ場所でタバコを吸うこと、3時間。まったく彼女の気配はない。時々タクシーがやってくる。その度に気持ちが沸き立つ。そして意気消沈。これの繰り返しであった。夏の夜明けは早い。4時半を過ぎると東の空がうっすらコーラルピンクに染まってくる。

一台の原チャリが猛スピードで目の前を横切った、と思ったらUターンして戻ってきた。歩道にもかかわらずお構いなしだ。お前こんなところでなにやっとるんだ。原チャリを停めていきなりの尋問口調に一瞬でキレた。あ?お前に関係ねえだろう。そういったかどうかのタイミングでパンチが飛んできた。めちゃくちゃ喧嘩っ早いヤツだ。避けるつもりがつんのめってころんだ俺に蹴りを入れようとしてきた。

慌てて足を掴んで素性を聞くと、このあたりをシマにしているビラ配りグループの一員だという。いくつだと聞くとお前から言え、というので17だと答えた。するとそいつはニヤッと笑い、なんだタメか、と急に力を抜いた。腕っぷしにはまるっきり自信がない俺は内心、ホッとした。

そこから地元の話になり、俺の中学の話に展開すると形勢は一気に逆転する。自慢ではないが俺の通っていた中学校は地元の新聞に記事が載るほどの不良学校だった。アンコを抜いたジスペケで登校するヤツがいれば、授業中にラジカセで銀蠅を流しながらツイストを踊るヤツもいた。学区外にその名を轟かせる不良もいて、それらの話はビラ配りの心を打ったようだ。

俺とビラ配りはすっかり意気投合した。俺にとっては格好のヒマつぶしになったし、ヤツも仕事中の揉め事は避けたかったんだろう。俺はここで2時から女を待っているという話をした。するとビラ配りはなぜか尊敬のまなざしで俺を褒めはじめた。お前すごいな本気でその女が好きなんだな、立派だなお前気に入ったわ。俺とビラ配りは名前を教えあった。

ビラ配りは「頑張れよ!」と言いながら2ストならではの白煙をなびかせて走り去っていった。と、思ったら反対側からまたあらわれて、ほれ、と缶コーヒーを投げてくれた。もしかするとすごくいいヤツなのかもしれない。

すっかり夜が明けた6時。一台のタクシーに乗って日活の肉体派女優は現れた。うそ、ずっと待ってたの?口に手を当てて驚く彼女に、これ、誕生日プレゼント、といってペンショップオリンピアと書かれた小さな包みを渡した。

コーヒーでも飲む?と言われたが、いいや今日はもう帰るわ、と原チャリに跨った。朝のラッシュを避けることができたおかげで、家まで20分で着いた。玄関をあけると母親が起きていて「あんたちょっといい加減にしなさいよ」と呆れ気味に言い放った。俺は無視して布団に潜り込み、そのまま14時間ほど寝つづけた。長時間寝るのには体力がいる。若くなければ不可能なことでもある。

目が醒めて、ここはどこだ?というせん妄に似た感覚にとらわれながらも少しずつ状況を思い出して、とりあえず真っ暗な部屋でテレビのスイッチを入れた。その時に流れていたのがこの曲です。

ああ青春のマサトシナカムラ!中村雅俊が切なく唄い上げる『想い出のクリフサイド・ホテル』。

みなさん中村雅俊といえば役者、というイメージが強いでしょう。実際、役者さんなんですが、歌もいいんです。たとえばドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」の主題歌とか

名曲として誉れ高いこれとか

あえて『恋人も濡れる街角』を外すところがお洒落だなと思っていただけると幸甚です。

さて今回ご紹介する『想い出のクリフサイド・ホテル』ですが、こちらはドラマ「誇りの報酬」の主題歌でした。ぼくが目を覚ましたのはちょうど番組がはじまった時間だったわけです。

この曲、なんといっても印象的なのがイントロとコーラス。例によって専門的なことは一切わかりませんがシーケンサーによるシンセサウンドからのディストーションギター、そこにかぶさるストリングスが悲しい唄のはじまりを予感させます。

この心憎いイントロ、というか曲全体を通して単なる歌謡ポップスに終わらせないアレンジは佐藤準さんによるもの。日本が誇るマイスターと呼ぶにふさわしいアレンジャーだと思います。

そしてもう一点のコーラス。コーラスアレンジに川村栄二さん、そして特筆すべきがコーラス作詞にあのケーシー・ランキンさんが名を連ねているのです。ケーシー・ランキンといえば「バッシティバッ バッシティ♫」や「ワンサゲン~ニョロンニョロン~🎶」でおなじみSHŌGUNで活躍されたミュージシャンです。そりゃカッチョいいわけです!!

ぜひみなさん、あらためて『想い出のクリフサイド・ホテル』を聴く時はイントロとコーラスを要チェック彦一モードでお願いします。また詳しいことは書きませんが切ない歌詞にも耳を傾けてくださいね。ちなみにぼくのカラオケ十八番です。いまでも歌いながら泣きます。


結局、彼女とはこの後まあまあしんどい別れ方をした。客の男とデキて、俺との約束を反故にして海に一泊旅行に出かけたからだ。その頃の俺の荒み具合といったらない。同級生が共通一次に向けた夏期講習に打ち込んでいるときに朝から飲み屋でベロンベロンに酔い潰れていた。最悪の夏休みだった。

そして、2年後。東京でテレビ局のアルバイトをしていた俺は女子高生が大量に出演する夕方の番組にサクラとして雇われ、スタジオにいた。そのオンエアを、あろうことかビラ配りが見て、同棲中の内縁の妻に事の顛末を話した。その内縁の妻が俺が付き合っていた日活の肉体派女優だというからこの世界はそこそこ狭いのである。

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