採用された人に会いに行く
これはもう、絶対にというか、間違いなくやったほうがいい。なのにほとんどの求人広告事業者はやんない。やればいいのに、やんない。
もしかしたら、やっているところはあるかもしれない。
だけど、もしやっていたらデーハーに宣伝するはず。ドヤ顔でアピールするはず。PRTIMESが炸裂しているはず。
そうして、おそらくぼくの耳にもその喜ばしいニュースは届くことでしょう。でもなかなか聞こえてこないんだよなあ。みんな実は地味にやってるのかしら。
なにを?
それは
自分が作った求人広告で採用された人に会いに行く
ということ。
それも気まぐれで、カッコつけで1~2回やるんじゃなくて。業務の一環に組み込む。個人情報とかプライバシーとかややこしいことが多い世の中だから全部というわけにはいかないけれど、多くの案件でやる。
これ、ぜったいやったほうがいいんですよね。
なぜやったほうがいいか
結論からいいます。
自分がこしらえた求人広告で採用された人に会いにいくと、自分の仕事が人の人生を左右することもある、と感じられるから。同時に企業の成長に貢献することもある、と感じられるから。
ついせんだっての話になります。
ぼくがお手伝いさせていただいているクライアントの中に、採用から入って編集部門の業務支援まで関わっているメディアがあります。
そこはベンチャーで人手も足りていなかったことから、ぼくのほうで媒体選定から広告作成、スカウト配信、書類選考、一次面接まで担当。そこから現場にパスして社長面談を経て採用、というプロセスを組みました。
ぼくからすると、採用された人が編集部に配属されれば一緒に仕事をすることになります。文字通り、自分が作った求人広告で採用された人に会いに行くどころかともに働く、です。責任も重大ですがそれ以上に「ぜったいにいい人採用するぞ」とワクワクしながら選考作業を進めます。
ほどなくして一人、採用要件ど真ん中じゃないけど、きっとこれまでの仕事の経験はスライドできるはず、という方と面談しました。話してみると雰囲気やフィーリングもマッチしそう。
要件からは外れるけどお墨付きです!と申し送りして、見事、採用となりました。業界誌編集経験者、26歳の女性です。
それから数ヶ月。ある日、ぼくは彼女と組んで企画を立て、ある著名人にインタビューすることに。彼女はぼくの見立て以上に能力や適性がフィットしていたようで、なんだかのびのびと仕事を楽しんでいるようでした。
その姿を見て、ふと、胸にえも言われぬ思いがこみあげてきたんですね。ああ、この人に入社してもらえてよかった。本当にがんばっていて、とてもうれしい。このときの高揚感というか、充実感というか。なんともいえず満たされた気持ちになったのです。
その人のキャリアの充実もそうですが、編集部門もキャパシティやリソースが増えて守りから攻めに転じることができた。チームがとてもいいムードになってきた。もうぼくのお手伝いは必要なさそうです。
ぼくとしては、クライアントをひとつ手放すことになるので財政面では寂しい限りです。しかし一人の編集者のキャリアアップと1つのメディアのグロースを支えることができたのが、大きな満足ですし何よりの財産。
冒頭の結論をもう一度書きます。
自分がこしらえた求人広告で採用された人がその会社で活躍している姿を目にする、というのは、広告表現を生業にする者として自分の仕事の成果を確認することに他ならないのです。
そうして、生き生きと再スタートを切ってがんばっている人の笑顔を見るにつけ、自分の仕事への誇りや責任、やりがいみたいなものに繋がると思うんですよね。
求人広告は人の人生を左右する広告だ、ということをあらためて確認できる。同時に依頼してくれた企業の成長に貢献する広告だ、ということもわかる。それが採用された人に会いに行く、という行為なのです。
なのになぜやらないのか
ね、めっちゃいいでしょ?せっかく求人広告をつくるという仕事に就いているのなら、ここまでやらなきゃ意味がないとまで言えませんか?
でもみんなやらないんです。ここまでやらない。
なぜか。
生産性向上につながらない、効率が悪い、売上にも利益にもつながらない。その時間でもう一本、求人広告を作ったほうがお金になる。
そんなふうに思われているからじゃないか(遠い目)。
採用された人に会ってもいい結果ばかりじゃない。ミスマッチだったらどうする。最悪の場合、採用側の嘘、つまり求人広告で語っていたことが虚偽に近いということになりかねない。媒体として責任がとれない。
そんなふうにも思っているからじゃないか(白い目)。
だとしたら、そりゃ会社として、組織としてはやんないよね(棒読み)。
ダマでやっちゃおう
会社としてやらない。組織としてやらない。そういう結論なら、クリエーター個人としてやっちまえよ今すぐ、というSCHOOL OUT(※記事最下部参照)な選択をおすすめします。
つまりダマでやっちゃおうぜ、ということです。いちいちそんなの上司に報告なんかしなくていいですよ。仲のいい営業やコンビ組んでるディレクターを捕まえて、スタバの一杯もごちそうして。
お願いしてみましょうよ。
こないだのあの広告で採れたって聞いたけどその人にインタビューできないかなって。なんで?って問われたら、そりゃお前の株を上げるためだ、クライアントサービスの一環だよって返せばいいじゃん。
嘘も方便、解釈次第。
全てのクライアントは無理でも、関係性良好な何社かで採用された人に会って話を聞かせてもらう。30分でいい。15分でいい。5分だけでもいいっていうのは「俺の話を聞け~」だけどその反対。聞かせてもらうほうです。
数こそ少ないかもしれませんが、自分の広告のどこが良くて、どこがダメだったのかを知ることは値千金。耳の痛い話を聞かされるかもしれません。しかしそれも含めて価値があります。
求人広告制作という仕事の存在意義をもう少しだけ上げたい。それにはまず、携わる一人ひとりが自分の仕事を楽しめることが大事で、そのために何より必要なのは「実体感」だと思うのです。
どうか、明日も求人広告制作者が仕事を楽しめますように。
品川駅でこんな事言うと炎上しますけど。
※今週の一曲『SCHOOL OUT』
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