経験という名の蓄財
経験者として転職する。
入社直後はその経験をじわじわと発露していく。
環境や仕事にも慣れ、いよいよ大きなミッションやプロジェクトがはじまるころ、持てる経験の全てを総動員して成果をあげていく。
周囲からの評価、賞賛。拍手喝采。くすぐったい褒め言葉。
上司と薄いグラスにビールで乾杯。
「採用してよかったよ。ありがとう」
おそらく、この時点で転職してよかったという気分は最高潮を迎えることと思います。
ところが一年もすると、経験から享受できる価値がどんどん滅減していきます。まるではじめからその会社が持っていたかのような愛想のないスキルと化すんですね。
“ありがたみ”
のようなものが少しずつ薄れていくのを感じる。
それだけでなく二年、三年と時が経ち、社内でもそこそこのポジションにつくころには、あれだけ重宝してもらえた自分の能力、つまり入社前に持っていた経験をあろうことか汎用化しろ、と言われるようになります。
それもまるで会社がまっさらな自分に投資して付与してやったかのような口ぶりで。
そこであなたはこう思う。
「違うだろ」と。
「俺の持っていたスキルは前までの会社で身につけたもので、そこまでの投資を今の会社はしていないだろ。なのになぜスキルを分解して汎用化しなければならないのだ」と。
あんなに最高の転職を果たしたと思っていたのに急に冷めてしまう。お前の経験を寄越せ、その上みんなに分けろだなんてまるでやらずぼったくりじゃないか。そんなふうに思えてしまう。
こういうことって、あるんじゃないかなと思います。どうですか?
専門性を汎用化せよ
実際にぼくもその昔、非常に頼りないながらもある経験を持って転職したことがありました。
最初のうちはそれを高く買っていただけていたのですが…組織が大きくなるにつれ、経営者からなんどもお小言をいただくことになってしまいました。お小言の内容は概ね以下の通り。
お前のスペシャリティをコモディティ化しろ。お前がスペシャリティだと思っているのは単なるお前の思い上がりだ。勘違いするな。だからそのスキルを誰でもできるようにマニュアルにしてコモディティ化しろ。
いま冷静に考えてみると実にふしぎな構文だな、と思います。わかりやすく言い換えると「お前の専門性を汎用化しろ、お前は自分でそう思っているだけで専門性を持っているわけではない、だからそのスキルを早く汎用化しろ」ということをおっしゃっているわけですよね。
うむ、それはそうだなあ、と思ったり。ん?どういうことかな、と思ったり。
でも、少なくともですよ
ぼくが前職での経験から得た専門性がぼくの思い込みでしかなく「専門性ではない、つまり汎用性の高いスキル」なのであれば、とうの昔に汎用化できているはずですよね。
いろいろふしぎ。
どこかで何らかの詭弁のような、経営者の方の感情みたいなものが混じっているのでややこしいのでしょうか。
当時はいまよりさらに頭の回転が鈍かったので、そんな疑問点をお伝えしたりできませんでした。経営者ときちんとコミュニケーションできなかった点は非常に悔やまれます。
でも、その会社を辞めたあと、ぼくのもとにやってくるベンチャー企業の経営者から相談されることもほとんど同じ。特にテキストコンテンツがサービスのフロントに立つ事業の場合、間違いなくスペシャリティのコモディティ化のために知恵を貸してほしいというものでした。
どうやらビジネスサイドにはスペシャリティをコモディティ化したいというマインドが強くあるようです。
さて、
経験を持つ転職者にとって
いったいどのような態度、あるいは心持ちで新しい環境でその経験と向き合っていくべきでしょうか。できれば後味の悪さを感じないような、心の整え方をしっておきたいものですよね。
これはあくまでぼくの私見ではありますが、経験とはすべて未来への蓄財である、と考えたほうがいい、と思います。
つまり、前職あるいは過去になんらかの取り組みによって獲得した経験で、新しい職場に転職できたとする。その時点で、それまでの経験は十全にその役割を果たしている、と。
そうやって考えれば、新しい職場で経験を発揮して評価されるというのは付録みたいなもの。そこにいつまでも耽溺していないで、どんどん新しい経験を積んでいくべきではないでしょうか。
過去の栄光に縋る、というネガティブなフレーズもありますよね。あれと同じで過去の経験にいつまでも喰わせてもらうのではなく、積極的に新しい経験を貯めていく。それが未来に向けての蓄財になる。
だとすれば、転職先はあなたの経験をそれなりの値段で買い取ったわけですから、どう使おうが自由ですし、あたかも自社で積ませた経験のような捉え方をされたとしても「そりゃあそうだよなあ」と納得できるのではないか。
そんなふうに思うんですよね。
つまり
それまでの経験は全て新しい会社に置いていく。
そこはもう、ケチケチせずに(しているつもりは毛頭ないでしょうけど)ドーンと太っ腹に奢っちゃうつもりで。あますところなく全て放出する。そしてそんな経験があったことすら忘れる。
忘れて、また新しい経験を積むために、目の前の仕事に虚心坦懐に打ち込んでいく。この繰り返しがおそらくですけど、充実した職業人生につながるのではないでしょうか。
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