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【広告本読書録:083】ビックリハウス

エンジンルーム 編 パルコ出版 発行

面白いとはなにか。この問いに即答できる人は、きっと面白い人なんだろう。正確にいうと面白いをコントロールできる人。面白い文章を書いたり、面白い絵を描いたり、面白い発言ができる人だ。

ぼくは面白いを定義できていない。だから何を書いても何をしゃべってもひとつも面白くない。アウトプットが面白いものにならない。

ああ、どうしたら面白いを手に入れることができるのか。ほしい。喉から出るほど面白いがほしい。

面白いを自由自在に操って、たくさんの人を笑わせたり、元気にしたい。そしてその人たちから羨ましがられたい。認められたい。尊敬されたい。偉くなりたい。つまり威張りたいのである。要するに権威がほしいのだ。

あ、ほら、またつまらないことを書いてしまった。人としてつまらない。どうしてなのか。なぜぼくはこんなに面白くない人間なのか。

子供の頃から目立ちたがり屋であった。人から注目を集めることが好きでたまらなかった。そのくせ極度の緊張しいで、照れ屋で、小心者である。赤面症ですらある。くだらないプライドばかり肥大化しているのである。

ある時、自分が面白くない理由をインプット不足に見つけた。そうだ、単なる勉強不足なのだ。たくさんの面白いをインプットさえすれば、いつかきっとぼくだって、ひと握りの人気者になれるはずだ。憧れの面白いを手にいれて、縦横無尽に使いこなせるようになるかもしれない。

そうして50年以上過ごしてきた。しかし、やっぱり面白くないのだ。

ビックリハウスとの再会

子供のころから面白いをこれでもか、とインプットしてきたのに。ぼくの筆先から、あるいは口からこぼれるコンテンツはことごとく面白くない。そのことは以前からうすうす気づいてはいた。

しかしこの10年でそれは確信に変わった。Facebookを見よ。Twitterを見よ。そしてnoteを見よ。爆笑投稿がある。じわる投稿がある。ちょっとジンとくる笑いの投稿がある。エモい投稿が山ほどあるじゃないか。ぼくのではなく誰かのが。

なんだこの面白格差。

ぼくは、いったいどこで道を間違えたのだろうか。漫画、テレビ、雑誌、映画、ありとあらゆる面白いをインプットし続けてきたのに。それらのエッセンスは一ミリも血肉となっていない。

苛立ちのぶつけ先がないまま押入れの段ボールをひっくり返した時に、一冊の小さな雑誌が底のほうで身を隠していた。

『ビックリハウス』

川崎徹さんのイラストの表紙を目にしたとき、ふと、もしかしたら俺の間違いはここからはじまっているのかもしれない、と思った。

『ビックリハウス』は1974年創刊のサブカル誌。初代編集長は萩原朔美さんで、二代目編集長は髙橋章子さん。上記のサムネは古本屋サイトにあったもので、どうやら終刊号らしい。年号を見ると1985年とありますね。9年間にわたって日本のサブカルを支えた雑誌なのであります。

これのどこが広告本なのよ、というツッコミもあるでしょう。ビックリハウスが全盛だった時代はおそらく1979年から83年ぐらいまでではないでしょうか。ぼくの手元にあるヒゾウの一冊は1983年12月号。誌面をあらためて読み返すとだいぶ疲弊ぎみ、というか構造的な疲労が感じられます。

ビックリハウスがどのような経緯というか、軌跡をたどって終刊まで行き着いたのかはわかりません。たぶん作り手と受け手の双方が『飽きた』んじゃないかなあ、なんておもったりして。

ま、それはいいとして、とにかく当時、80年代前半にこのビックリハウスの洗礼を受けた若者のうち、どう少なめに見積もっても10%ぐらいは広告クリエイティブの世界に足を踏み入れているはず。その後はどうなったか知りませんが、一度は「製」ではない「制」のほうのものづくりを生業にしたのではないか。あるいは少なくとも志したのではないか。

そういう意味で、広告クリエイターに影響を与えたという点からも、ビックリハウスは立派な広告本と言っていいんじゃないか、とぼくはおもうんですよね。いや決してネタ切れってわけじゃなくて!ほんとに!(強調)

ハウサーからの投稿が柱の雑誌

ちょっとここでwikipedia先生からの引用を。

80年代的なキッチュ、ユーモア、パロディをモットーにした面白雑誌で10代後半の読者に圧倒的な支持を集め、当時の若者文化に多大な影響を与え、常連投稿者の中には一般人時代のタレント、歌手、俳優、作家、文化人等が多くいた。(wikipediaより一部引用)

『ビックリハウス』最大の特徴は「読者からの投稿」を誌面構成の柱にしていたということです。変な言い回しですがインターネットがない時代のインターネットみたいなもんで、そりゃ若者は熱狂するわな、ってかんじ。

そしてwikiにあるように、のちの有名人がこぞって投稿していた、という事実もございます。ちょっと名前をあげると…ナンシー関、渡辺いっけい、大槻ケンヂ、清水ミチコ、常盤響、犬童一心、佐野史郎、とマジでガチなメンツが揃っていますね。

あと同誌で『ヘンタイよいこ新聞』を主宰していた糸井重里さんの存在は大きかったです。素人の扱い方が絶品だった。そうやって考えると、それから約13年後に『ほぼ日』を立ち上げたり、名著『インターネット的』を著したりするのもごく自然な流れのような気がします。っていうか、本質的には糸井さん、やってることブレてないっすね。すごいわ。

主な投稿企画連載としては『ビックラゲーション』があります。日常の驚きを投稿するもので、ちなみに1983年12月号からいくつか抜粋しますね。

▼家に「私、松田聖子。トシちゃん大好き」という電話がかかってきた
船津いずみ(18歳)北海道函館市
▼キレイ好きで有名な薫ちゃんが、弟がさわったという理由でカセットテープを水洗いしてダメにした
浅井恵美子(15歳)静岡県袋井市
▼数学の先生の物真似を研究するため、数学の授業を真剣にきいていたら、いつの間にか数学が得意になってしまった
山本啓二(16歳)愛媛県松山市
▼予備校の説明会で担当者が質問をうけつけたところ「目が痛くてたまらないんですけど」というのがでたが、担当者は落ち着き払って「どうしろというの」と答えた
百鬼夜行(18歳)神奈川県横浜市

面白いじゃないですか。いま読んでも面白い。ストレート剛速球な面白さではなく、ちょっとシュールな笑い。これ、投稿してるのみんな素人なのよ。

だったら俺だって私だって、とハガキを買いに走るヤングが激増するのもわかります。そうして日本中の若者はビートたけしのオールナイトニッポンを聞きながらシコシコとハガキ職人への道を歩んでいったわけです。

素人芸の頂点、JPC展

ちなみにぼくが持っている1983年12月号は年に一度の大イベント『JPC展』作品カタログが掲載されています。JPCとはJAPAN PARODY CULTUREの略。日本パロディ展というのが邦題?なんです。

その名の通り、世にあまたある芸術作品から広告まであらゆる表現物を模倣し、ひねりを加えてパロディにして楽しんじゃおう、という企画。最初はそんなノリだったと思うのですが回を重ねるにつれクオリティが上がっていき、最後は結構ガチで権威のある賞になったという。

これももちろん、素人の投稿が中心。素人っていうかアマチュアね。中にはプロも混ざってるけど、いわゆるメジャーじゃない人ばかりでした。

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これは第七回JPC賞を受賞した『李太白図』。北海道在住の美術専門学校に通うハタチの女性の作品です。ペンギンになっちゃってますね。

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パルコ賞を受賞したのはこちら。『クリスティナの世界』のパロディで『マリーナの世界』。これがどんなパロディかわーるシトは50代以上!

あと、こんな悪ふざけ的作品が特選だったり

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左はラスコー洞窟のパロディ。谷岡ヤスジ人気ですよね。右は当時社会問題にもなった戸塚ヨットスクールの校長を『戦場のメリークリスマス』のポスターに代入した作品。

そうかとおもうと

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こんな芸術チックな作品もあったりして。ゴッホの自画像が咳き込んでいたり、C-3POのデュシャンとか。パロディにはある一定の教養と知性がないと理解できない、なんて気分がハウサー(読者)の心をくすぐるんです。

こういうのが延々と続くの。この時は全国から639点もの作品が寄せられました。そのうち入選作品は119点。審査員は赤瀬川原平、糸井重里、川崎徹、しとうきねお、高平哲郎、橋本治、福田繁雄(以上敬称略)とビックリハウスの編集部です。

当然この号では作品とともに審査員たちの座談会も掲載されているんだけどみんな結構シビアな意見をぶつけあっていたりして。たかがパロディ、されどパロディ。いっぺんパロディを捨てろ、とか、もうやめてください、とか辛辣なの。

サブカルがチカラをもっていた時代

いまさらぼくが言うまでもなく、80年代はサブカルチャー、カウンターカルチャーがものすごくチカラを持っていた時代なんですよね。むしろマスよりも輝いてみえた。怪しさが、あやうさが。

その源流にあるのが素人臭さ、アマチュアリズムだってこともいまでは周知の事実です。たとえば『音版ビックリハウス』に収録されている坂本龍一さんの『ビックラゲーション』なんてヘタウマテクノの極みです。

もちろん教授ですからプロのパッケージに仕上げていますが、なんというか根っこの部分がパンクというかアマチュアリズムでできている佳曲です。そしてそれが売れた=お金になった時代だったんですね。

素人とプロの間にある壁を壊そうといろんなジャンルからあらゆる才能が集まりムーブメントを作っていた。

80年代は一般人が自分の表現物を公のメディアに載せて世の中に広めるなんてことは、えらくハードルが高かったわけです。だから『ビックリハウス』のようなものが必要とされたし、圧倒的支持を集めていたんですよね。

そして、それがよかったんだろうな、とぼくはおもいます。つまり『ビックリハウス』や『オールナイトニッポン』といったメディアが、あくまで個人的な面白いが広く一般社会に通用するかどうかのフィルター役を果たしていたんだと。

いまはそういったフィルターがないわけで。思ったことや感じたことをすぐにネットの海に垂れ流せてしまうんですよね。

加えてぼくの場合になると『ビックリハウス』に影響を受けていたというのは、素人芸やパロディを一生懸命学んできたことになるわけで。

ビックリハウス的なものをずっと追いかけていくと結局、原本というか、古典などには目が向かなくなるわけですよ。難しそうでめんどくさいから。上澄みのカンタンなところだけをインプットし続けてきたってことなんです。

だから面白くないんですね、ぼく。いつまで経っても。

やっぱりみなさん、古典ですよ古典。本物ね。原典ね。何か表現を生業にしたいのであれば、古典の名作をしっかりインプットしなければ。本質的なところを自分の血肉にしなければ、新しいものは生み出せないんですね。

♪今日わかった~(二拍三連)←こういうところね。面白くないの。反省します。

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