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【詩】処暑の火曜日

処暑の火曜日

処暑の火曜日はとても暑くて
少年のぼくは飼い主に裏切られた猫のように
日陰を探して人通りの絶えた町をうろついていた

ぼくは大人になったいまでも
鉛筆とかアイスピックとか妻の八重歯などといった
先の尖ったものが苦手である
それは幼い頃に突然咲いた母の白い日傘が
ぼくの目をかすめたからだ

母がそれを詫びたのは 十年後
ぼくが大学に入って最初の夏の帰省の時だった

母はたぶん油断していたのだと思う
ピアノの上に小さな木彫の持仏があった
ぼくはそれが水子地蔵だとすぐに分かった
三つか四つのとき
お前も産まなきゃよかった、と
母がふとつぶやいたことを
思い出したからだ 

   それにしても あの時
   母が弾いていた曲はなんだったんだろう

いつのまにかそばに立っていた母が
悪かったわ、お前の右目駄目にして
許してくれるわね
と言った
母はもう長いことピアノは弾いていないようだった
ぼくは埃のはらわれていない鍵盤蓋を哀しく感じながら
黙ってうなずいた そして
やっと母にすこし許されたような気がした

施設の母がぼくのことを思い出さなくなってから
五年目の夏が過ぎた

処暑の火曜日
ぼくは なぜか
白い日傘をさした身重の母のことを考えている
おそらくこんなふうに
許すあても許されるあてもなく
了らぬ夏を彷徨うしかないのだろうと
思いながら


「2022 金澤詩人賞」で入選した作品です。


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