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山頭火に遊ぶ-ほろりと歯がぬけて

山頭火は「草木塔そうもくとう」に歯を詠んだものを3句収めている。
               ほろりとぬけた歯ではある
    冬がまた来てまた歯がぬけることも
    噛みしめる味も抜けさうな歯で

日記を見ても歯医者にかかった形跡はない。だから、治療などせず、歯痛に呻き苦しみながら、自然に「ほろり」とぬけるのを待っしかなかった。もちろん入れ歯を買う金もない。このような彼の歯との格闘は昭和7年、51歳の時から亡くなる昭和15年までほぼ8年半続いた。

▢ 山頭火歯抜け年譜

日記をもとに山頭火の歯との格闘を年次的に追跡してみよう。
                     ☆太字の部分は俳句である。

【昭和7年】
1月24日 行乞で佐賀県の呼子・名護屋付近を周遊
   ほろりとぬけた歯ではある         (1本目) 
3月10日 佐賀県小城町、常盤屋で前歯がぬける。(2本目)
4月29日 福岡県田川郡 筑後屋で歯が痛み、2本ぬけるだらうと予測。
      翌30日、句友の緑平氏宅で句を詠む
   ぬけさうな歯を持つて旅にをる
   ぬけた歯を見詰めてゐる          
7月2日  山口県の川棚温泉逗留時の句
   旅もをはりの、歯がみなうごく
   見なほすやぬけた歯をしみ/″\と      
   ほつくりぬけた歯で年とつた
   投げた歯の音もしない木下闇
   これが私の歯であつた一片

7月6日  夕方、いたむ歯をいじっていて「ほろりと」抜け、今年に入っ
      て3本の歯がなくなったと「はかない気持」になる。
   ほつくりぬけた歯を投げる夕闇       (3本目)

【昭和8年】
2月17日 歯がうづく。去年は上の歯3本抜け、今度は下の歯2本抜けると
     予測する。そして酒が固形体でないことに感謝する。
   うづく歯を持ちつゝましう寝る
6月30日  ぬけさうでぬけなかつた歯が抜ける。  (4本目)
8月18日  知らぬ間に歯が抜けていて、寂しさを感じる。(5本目)

【昭和9年】
5月19日 長くぶらぶら動いていた前歯が抜ける。(6本目)
     この時点で後歯はすべてなくなったと山頭火自身記している。
   ほろりとぬけた歯は雑草へ
11月11日 ぬけそうでぬけなかった歯がぬける。(7本目)
12月14日
   噛みしめる味はひも抜けさうな歯で

【昭和10年】
1月18日
   ぬけた歯を投げたところが冬草  (8本目)
2月14日 
   花ぐもりの、ぬけさうな歯のぬけないなやみ
4月3日 花見辨当をたべていて歯がぬける。ぬけさうでぬけなかつた歯が
     ぬけ、さっぱりして解脱の気分になる。(9本目)
     7日にこのときの句ができる。
   花見べんたうほろつと歯がぬけた
6月12日
   梅雨めく雲でぬけさうなぬけない歯で
6月13日 朝飯を食ってて歯が抜ける。最後に近い歯だと思うと、さっぱり
     と同時に、さびしい気分になる。(10本目)
   空梅雨の風のふく歯がぬけた
   ぬけた歯を投げ捨てて雑草の風
   ぬけるだけはぬけてしまうて歯のない初夏
   歯のぬけた日の、空ふかい昼月

7月5日 朝鮮飴をもらって熊本を思うがその懐かしさをかみしめる歯もな
     いと嘆く。
7月20日  歯のぬけた口で茹で蛸とビフテキを食べる。

【昭和11年】
7月28日 歯の激痛に悩まされる。
8月11日 歯がぬけ、痛みがとれる。(11本目)
9月17日 歯のないのに鮹を食べる。
12月14日 歯齦がだんだんかたくなり、歯の代用をするようになったと楽天
     的になり、人間のからだはよくできていると感心する。

【昭和12年】
12月20日 歯が抜け、残り3本となる。(12本目)

【昭和14年】
4月18日 伊勢志摩あたりを周遊。
   ほろりと最後の歯もぬけてうらゝか (13本目)
                ☆実はまだ歯はまだ残っている。
4月25日
   春寒抜けさうで抜けない歯だ
5月3日 
   ぶらぶらぬけさうな歯をつけて旅をつゞける
5月4日。
   ぬけさうな歯がぬけてほつと信濃の月 (14本目)
   春の夜ふけるとぬけるまへの歯のなやみ

5月11日 
   ぽろり歯がぬけてくれて大阪の月あかり (15本目)
   ぬけた歯はそこら朝風に抜け捨てゝ

                ☆たぶんこれで全部抜けている。

【昭和15年】 
9月5日 終焉の地、愛媛県松山市「一草庵」にて
   銭がない物がない歯がない一人

〈補足〉  
成人の歯の数は通常 28本~32本とされる。日記で確認できた山頭火の抜けた歯は15本。歯がすべて抜けたことはまちがいないので残りの約15本の歯の行方として次の3つが考えられる。
    ① 昭和7年、すなわち50才前に抜けていた。
    ② この間の日記に書かれていない。
    ③ 抜けたのではなく、折れたか、摩耗劣化により崩壊した。

▢ 昭和10年4月3日の「其中日記」

このようにみてくると、「抜けそうで抜けない歯」という言い方が多く出てくることに気づく。経験からいうと抜けるまえのぐらつく歯はなんとも悩ましく鬱陶しいものである。それだけにそれが「ほろり」と抜けると雲が一気に晴れたようなスカッとした気分になるだろう。昭和10年4月3日の山頭火がまさしくそうである。彼はそれを「解脱の気分」と述べている。じつは、この気分でかかれたこの日のくだりが、ぼくの「其中ごちゅう日記」イチ推しの箇所である。

▢ 私はうたふ、自然を通して私をうたふ。
▢ 私の句は私の微笑である、時として苦笑めいたものがないでもあるまい   
 が。
▢ くりかえしていふ、私の行く道は『此一筋』の外にはないのである。
▢ 俳句性を一言でつくせば、ぐつと掴んでぱつと放つといふところにある         と思ふ。
▢ 私の傾能は老境に入るにしたがつて、色の世界から音の世界――声の世
   界へはいつてゆく。
▢ 俳句のリズムは、はねあがつてたゞよふリズムであると思ふ。
 (井師は、短歌をながれてとほるリズム、俳句をあとにかへるリズムと説
  いてゐる。)          ☆井師・・・荻原井泉水のこと

其中日記/昭和10年4月3日

「ぐつと掴んでぱつと放つ」「わたしの句はわたしの微笑である」
「色の世界から音の世界――声の世界へ」「はねあがつてたゞよふリズム」
速射砲のように彼の俳句観が放たれている。いずれも山頭火の句で検証したいという衝動に駆りたてられるフレーズである。

▢ 山頭火と草田男の初夏の歯のちがい

締めくくりに、10数句ある山頭火の「歯」の句のなかでぼくの一番好きな句をとりあげたい。

  ぬけるだけはぬけてしまうて歯のない初夏

昭和10年6月13日、10本目の歯が抜けたときに詠んだ句である。
「ぬけるだけぬけてしまうて」は、助詞の「は」が利き、口の中の鬱屈が消えたことをうまく伝えている。そして、この口の中の晴ればれ感は「歯のない初夏」として季節に向かい、老いの初夏をきらめかせるのである。

この句を目にしたとき、中村草田男の例の句が頭に浮かんだ。

  万緑の中や吾子の歯生え初むる  
                     (
昭和14年作)
草田男は万緑のなかで「吾子」の口の中に生え始めた最初の乳歯をみつけた。そして人間も自然同様の生命の活力を有する万物の一つであることを確認し、同時に「吾子」の未来の洋々たるさをまた予感しているのである。

山頭火流にいうなら草田男の句は「明日の句」となるだろう。もはや彼には詠めない類いの句である。山頭火に詠めるのはひたすら「今」、老いの現実と初夏に生きる我が身の「今日」である。もちろんこの句は「微笑」の句。



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