好奇心に従って行動することが本来の主体的に学ってこと
先日センター試験で問題を写真撮って送った女の子が出頭したとのニュースがありました。
試験の問題を写真撮って回答してもらうって思いついてもなかなか実行に移す人はいないですよね。
もちろんいいことだとは思いませんが、事前に準備し、策を練って、東大生を使って問題を解くって
すごく知恵のいることだと思うんです。
自分で出頭したこととかを含めて、少しは褒めてあげたいと勝手に思っておりました。
ルール違反ですが、”生きる力”として捉えた時に評価してあげたいです。
東大生を使って問題を解かせる(実際成功した)ってすごいと思うんです。
またこの事件で気になってるのが、
”公平に実施されるべき試験を妨害したり、大学入試センターに本来の業務ではない調査を行わせたりした偽計業務妨害の疑いがある”
ってところです。
大学入試センターに本来の業務ではない調査を行わせたから”妨害”になる????
これが罪になるのなら大学入試センターって怖いところだなって。付随業務に入らないの?
不正を発見できなかった入試センターが責任を持って調べたってことにならないんだって。
試験管ってのを神格化?
なんかモヤモヤしてます。
私の中で
”この人に政治家になってほしい”
”この人は日本を変えられる”
って思う方は一人、大前研一さんです。
めっちゃ動画見ましたし、本も読みました。
その中の一つ『個人が企業を強くする』に「教育の在り方」について
次のように書いてありましたのでご紹介いたします。
アクティブ・ラーニングという考え方自体はすでに文科省の
審議会などでも提唱され、学校教育でも取り入れられているが、
単に子供たちが受け身ではなく主体的に学ぶ学習法という意味で使われることが多い。
しかし、構想力というのはまだ誰も考えたことのないものを生み出す力だから
あらかじめ答えが書かれている学習指導要領とは本来、相容れないものだ。
そもそも子供たちの構想力を引き出すためには、教師側にそれを促す力量が
必要になるが、それが今の日本の教師たちにあるかどうか、甚だ疑問である。
むしろアクティブ・ラーニングは、AIなどを組み込んだ創作ゲームの形で
やったほうが効果があるのではないかと思う。
わかりやすい例で言えば、多くのRPG(ロールプレイングゲーム)では、
自分で選択して次のドアを開けると、全く別の運命が待っている。
これは人生そのものであり、そこでのカギは英語で言うところの
「What If・・?」(もし・・だったらどうなるか?)である。
例えば、もしコロンブスがイタリアのコルシカ島で生まれた
海洋都市ジェノバで育ったのではなく
文化の中心地ローマで生まれ育っていたら・・と考えることによって
頭は柔軟になり、先人が考えたことのなかった新しい空間に行くことができる。
つまり「What If・・?」と考える練習を何回も何回も
繰り返すことによって無から有を生む構想力が身につくのだ。
ここで更にAIを活用すれば、能力レベルごとの細やかな学習も容易になるだろう。
(『個人が企業を強くする』より)
「What If・・?」で考えること大事に思います。
常識を疑うってことから始めるのに、「What If・・?」ってすごく適してるように思います。
日本では、歴史では年表を覚えたりとか、数学では「2+3=?」と言ったように
公式を覚える「覚える教育」が重要視されてきました。
ですから、学校の問題の正解は一つで、それ以外は、間違いでした。
不透明で多様化な現代では「答え」は、一つではないのです。
「みんなで渡れば怖くない」ではなく「みんなで渡ることが危険な時代」なのです。
みんなと一緒の方が安心してしまいますが、それこそ茹でガマの蛙の状態であり、
他の答えはないかな?とか「What If・・?」で考えることで幅が広がります。
「想像力が乏しい」と他の答えに辿り着けません。
考える力は尽きません。
鳥取英語村で自然の中での学習に価値を感じてるのはその部分が大きいです。
コントロールされた自然ではなく、ありのままの自然の中で遊ぶことで
想定外がたくさん起きます。
新しい発見もいっぱいあります。
好奇心も刺激されますし、子供本来の力(モンテッソーリ的な)も呼び起こします。
そしてこれは大人も同じに思います。
好奇心に従って行動することが本来の主体的に学ってことかと考えてます。
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