誰なのか分からないまま『呉昌碩の世界』後期展示を観てきました……@東京国立博物館
東京国立博物館(トーハク)の東洋館4階8室で開催されている『呉昌碩の世界』という特集展についてです。以前、『呉昌碩の「書画」……とは言うものの「ごしょうせき」って誰よ?』というタイトルで記しました。その時には前期の展示だったのですが、先日行った時には展示替えされていました。
同特集は3月17日までです。まだ呉昌碩さんについてはよく分かっていませんが、前期で見た時に見た時よりも、後期で見た時の方が彼の作品を好きになっていた気がします。
■呉昌碩について少し
呉昌碩の生没年は、1844年(清・道光24年8月初1日)〜1927年(民国16年)です。日本の画家で言うと……1835年生まれの橋本雅邦さんが近い世代ですね。
曾祖父・祖父・伯父・父のみなが郷試に及第して挙人となるエリート家系だった。「郷試」というのは、科挙の中でも地方で行われる試験のことです。現代日本で言えば、地方公務員の「地方上級」という感じだったのではないでしょうか。郷試に受かると、地方の役所で任官することもできましたが、さらに中央で行われる科挙へのチャレンジ資格が与えられたそうです。
とにかくまぁ呉昌碩さんは、そんなエリート一家に生まれました。ただし、19世紀の中国ですから、欧米や日本にさんざん好きなようにされた時期でもあります。生まれる4年前にはアヘン戦争が勃発。中国・清朝の末期ですから、政情不安だったことでしょう。それでも16歳までは安定した暮らしができ、お父さんから篆刻を学ぶなどしています。しかし17歳の時に太平天国の乱がおこり、弟と妹が相次いで餓死……母と許嫁もこの時期に失ったそうです。
■以外に呉昌碩の作品が少ない『呉昌碩の世界』
特集前期よりも後期の方が好みの作品が多かったように感じたのは、おそらく書画の“画”の方が多かったからかもしれません。
その中でも「これは!」と感嘆した作品の1つが《擬姚燮梅花図横披(ぎ・ようしょう・ばいかず・おうひ)》という、全く意味のわからないタイトルの作品です。
《擬姚燮梅花図横披》は、姚燮という1805年〜1864年に生きた書画をよくした文人の、梅花図を真似て描いたものです。「横披」とは、横に広がる掛け軸のことだといいます。
2mくらいの作品だったと思います。素晴らしいなと思いつつ、写真に撮りましたが……まぁその素晴らしさを写し取ってくるのは難しいですね。
梅っぽいゴツゴツとした幹や、手で折ろうとしたらパキッと乾いた音を立てて折れそうな雰囲気の枝の感じが、墨だけでよく表現されているように思おいました。その幹や枝とは対象的にフワァっと軽やかな感じで梅の花が描かれています。まぁ一見すると、その花は雑な感じというかテキトーに描かれているようにも思えますが……やっぱり上手な人がササッと描いた感じがよく伝わってきます。
■呉昌碩の色使いが好きかもしれません
同特集では個人蔵の作品が多く展示されていることもあり、撮影禁止のものが多いです。特に前期で展示されていた絵……撮って記録に残しておきたいと思った作品は、撮影禁止のものが多かったんです。
後期も、多いことは多いのですが、前期ほどではありませんでした。
あまり解説を読まずに…誰が書いたのかすらも見ずに、作品を見て、気に入ったものだけを写真に撮ってきたのですが……呉昌碩さんの作品は以上でした。呉昌碩さんの作品を目当てにくるのであれば、数としては少ないと感じるかもしれません。質に関しては……正直、どのくらいの優品が並んでいるのかは、わたしには判断できませんでした。
ただし、呉昌碩さん以外の作品でも、たくさん良いものがありましたよ。以下が、そうした呉昌碩さんと交流があったのか、呉昌碩さんが……または呉昌碩さんを師としていた人たちの作品です。
■後期展示で一番好きだった《水仙図扇面》
任伯年さんという方が描いた《水仙図扇面》は、いいなぁと思いました。何が良いのかなって今考えているのですが……主題であるはずの水仙にだけ彩色していないのが、逆に水仙を際立たせている気がしました。
上述のように解説パネルには「任伯年は、画家一族に生まれた上海画壇の巨匠で、呉昌碩とも交流しました」と、あっさりと記されていますが、Wikipediaによれば「(呉昌碩は)50歳を過ぎて著名な芸術家の任伯年から本格的に画を学ぶ」とあります。Wikipediaの記載が正しければ、この任伯年さん……むちゃくちゃ重要人物じゃないですか。
この水仙を描いた線がいいなぁと思いました。水墨画のように迷いのない勢いのある線を引くのでは“なく”……ひょろっ…ひょろっ…ひょろっと、弱々しい感じの線だからなのか、水仙やその葉も、少し弱々しく感じます。その線や雰囲気が、モダンな感じがします。モダンっていうのは……1980年代くらいの雰囲気でしょうか……描かれたのは19世紀ですけれどね。
■きらびやかな花の絵たち
張熊(ちょうゆう)さんが何者なのかは分かりませんが、1844年生まれの呉昌碩さんからすると、40も歳上の大先輩です。
《倣惲寿平花卉図扇面(ほう うんじゅへい かきず せんめん》という、意味不明な感じが並んでいますが……惲寿平(うん じゅへい)さんという高名な画家の絵に倣って描いた、花卉図……花の絵……ということです。
通常、こういうキンキラなガビっとした雰囲気や彩色が好みではないのですが……この扇の絵を見ていたら「こういうのも良いかもなぁ」と思いました。濃い色使いで、張熊(ちょうゆう)というゴツそうな名前の人ですが、とても繊細な筆使いだなぁと。
次の作品は呉熙載(ごきさい)さんという人の《牡丹図扇面》です。こちらの方は1799年生まれなので、1844年生まれの呉昌碩さんからすると、やはり40も歳上の方ですね。師匠なのか私淑したのか分かりませんが……やはりシンプルだけれど、繊細な人なんだろうなぁという印象の絵です。
次は王一亭さんという方の《花卉図扇面》です。王一亭さんは1867年生まれなので、1844年生まれの呉昌碩さんよりも20前後も若いです。となると、お弟子さんといった感じでしょうか。ただ……呉昌碩さんが絵を本格的に描き初めたのが50歳頃なので、呉昌碩さんよりも若いから単純に弟子……というわけでもないでしょうしね。
上の牡丹と似ているような気もしますが、あえてタイトルに「花卉図」と濁しているところを見ると、何が描かれているのかわからないんですかね? 葉の雰囲気がキョウチクトウのようにも思えますが……どうでしょうか。
あらら……次のも王一亭さんです。どうやらわたしは、この特集展の中では王一亭さんが最も好みなのかもしれませんw なにせ、ほとんど解説パネルを見ないで撮っているので……。
《鶏雛青藤(けいすうせいとう)図軸》とあります。「青々とした葉と藤の花の下で、ヒナと過ごす親鶏を描いた図軸」と言った感じの絵です。
こちらには王一亭を解説するパネルがありました。やはり呉昌碩さんの弟子だったようですね。代作も行なっていたそうなので、呉昌碩さんの筆致などとよく似ているのでしょう。
やたらと鶏たちの同じ画角の写真を撮ってきていました。なんかね……もっと親鶏がふわふわな感じだったんですけど、うまく撮れなかったんですよね……。
下の《曲径千竿図扇面》は、なぜ撮ってきたのか判然としませんが……たぶん、絵に力強さみたいなのを感じたんだと思います。
■呉昌碩さん以外の金石
《臨金文卷》は、もう何が書かれているのかさっぱり分かりませんね。「青銅器の銘文(金文)を臨書した書巻」なのだそうです。これは今特集のために借りてきたのか、それともトーハクに寄託されたものかは分かりませんが、個人蔵となっています。こういうのは、中村不折さんが好きだった印象があり、まぁだから今特集も台東区の書道博物館との共催なのでしょうね……同館は中村不折さんの旧宅です。
書道家の青山杉雨さんが寄贈された、《隸書霓裳逸史四屏(れいしょげいしょういっし しへい)》。1819年生まれの楊峴(ようけん)さんが、最晩年の72歳の時にしるした書です。これだけの文章を、一文字ずつ気合を入れて書いたのかと思うと、すごいですね。
↑「百」と「素」と「也」という字が良いと思いました。あと「明」……に似た感じの弱々しい感じにも惹かれます。
↑「為」と「大」の三角形の輪郭が同じなのが良いなと……揃えたんでしょうかね。あと、どれも払いが魅力的ですが、「遂」や「至」の最後の払いがいいですね……って「至」って、最後にこんなに払ったら、小学校ではバツになりそうですね。
↑ 全体的にペシャンコ文字なんですよね。おもしろいな…。
■参考にすると理解が深まるかもしれない資料
・国際シンポジウム報告書『関西中国書画コレクションの過去と未来』
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