見出し画像

トーハクで特別展『やまと絵』の、豪華過ぎる関連展示が始まってた!(1)

東京国立博物館(トーハク)では、10月11日~12月3日(2023年)の会期で特別展『やまと絵-受け継がれる王朝の美-』が開催されます。

まだ1カ月も先の話じゃないか……なんて油断していたら、同展の関連展示『近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-』が、9月5日から本館(日本館)2階の3つの部屋で始まっていました!

本館(日本館)2階で開催されている特集『近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-』

この特集展示は、特別展とは異なり、一般1,000円ぽっきりで見られます。「それってトーハクの所蔵品しか観られないんでしょ?」なんて侮るなかれ。特別展に先立って、上記サイトに掲示された出品リストを確認すると、これがもう(国宝はないけれど)俵屋宗達、土佐光起、住吉如慶、狩野探幽、狩野晴川院、岩佐又兵衛、本阿弥光悦、尾形光琳、酒井抱一などなどなど、そうそうたる絵師による作品ばかりなのです。

前後期を合わせて86点が展示され、そのうちの9点が重要文化財に指定されています。特集展の出品リストを見ていると、「なんで特別展の方に展示されないの?」なんて作品もチラホラ……。多くの優作が残る「近世やまと絵」だけあって、特別展へ入れようかどうか迷った作品も少なくなかったんだろうなぁと、容易に想像できます。

絶対に激混みで、各作品をゆっくりとは観られないだろう特別展へ行かなくても、こっちの特集展を朝の9時半に行ってじっくりと見て回った方が、よっぽど「やまと絵」を楽しみ尽くせるのでは? なんて言ったら怒られそうですが……それくらい豪華で力の入ったラインナップです。

もちろん、特別展へ行く! と決めている人には、「特別展だけで力尽きないで! 特集展も観てまわれる体力を、しっかり温存しておいてね!」という意味でも、今回のnoteでは、こちらの特集展を紹介していきたいと思います。

以下は、わたしのおすすめと、トーハクによるおすすめ作品を紹介していきます。


なお以下の作品は、記載がない限りは全て東京国立博物館の所蔵です。また画像は、わたしが撮ったもの、もしくはTNMアーカイブ画像です。

■まず「やまと絵」とは何か? 特別展から特集展へ

まずは「やまと絵」とは何かを振り返っていきます。

一般的に「大和絵」とは、平安時代の9〜10世紀初頭に、中国絵画の影響を受けた「唐絵からえ」もしくは「漢画」との対比で呼ばれる、フワッとした絵画のカテゴリーです。つまり「大和絵」とは「唐絵ではない絵画」のことです。「唐の絵」との対比で「(古代の日本)大和の絵」としているわけです。おそらく、その「大和絵」とも少しだけ異なる、よりフワッとした絵画カテゴリーで展開できるよう、トーハクでは『やまと絵』という、ひらがなを使うのだろうと思います。

さて、平安時代までは遣唐使によってもたらされた、主に仏画などで中国絵画の影響が色濃い時代でした。その遣唐使が、「国力が衰退した唐へ、危険を犯して使節を送る必要があるのか? ないでしょ?」という菅原道真の提言により、894年(寛平6年)に廃止されました(907年に唐は滅亡)。以降は中国文化の流入が激減。その代わりに、日本独自の文化……貴族文化や国風文化が熟成されていくことになりました。

そして絵画の分野では、自然や風俗を題材とした絵が成立しはじめたのです。その初期の、唐絵ではない「やまと絵」の傑作として、特別展『やまと絵』で展示されるのが、13世紀の鎌倉時代に描かれ、「やまと絵」現存最古とする《山水さんずい屏風》(京都・神護寺蔵)です。

山名義海模《山水さんずい屏風の模写》明治28年(1895)
原本:鎌倉時代・13世紀・京都の神護寺所藏
※特集展ではなく、特別展で原本が展示されます

「やまと絵」の画題は、自然だけではありません。平安時代に書かれた、日本文学の祖といえる『源氏物語』や『伊勢物語』など題材にして、絵巻や屏風絵が描かれました。そうした日本の独自色の強い……国風文化(日本の初期貴族文化)を絵画化した作品も、「やまと絵」と呼んでいます。

その後の「やまと絵」の定義は、描かれた時代ごとに変化しつつ、江戸時代まで続き、現代まで継承されてきました。とはいえ、基本は「主に中国などの外国からの影響が少ない絵画」くらいの定義で、はっきりとした基準はありません。そもそも「やまと絵とは何か?」は「日本人とは何か?」を考えるのと、同じような難しさがありますよね。

とはいえ、いくつかの条件はあります。例えば臨済宗や曹洞宗などの禅宗が隆盛した鎌倉から室町時代の「やまと絵」は、当時トレンドだった水墨画=禅画=漢画ではないこと。それと似た条件ですが、仏画でもないこと

そうした小難しい宗教や思想などを注入せず、日本文化の中で育った人たちが、見ていて心地よく感じられたり、ワクワクしたりできる絵が「やまと絵」……というのは、わたしの解釈です。

そのため「やまと絵」と言っても、様々な画題があり、おそらく多彩な画法が使われていると思います。画題に関して言えば、前述の通り日本の自然を写し取った屏風や、『源氏物語』や『伊勢物語』などの古典からインスピレーションを受けた作品、寺社の由来や昔の説話などを絵巻にしたものなど、エンターテインメント色の強い作品が多く含まれます。また特別展で言えば『伴大納言絵詞』や『平治物語絵巻』、『一遍上人』関連の絵巻などです。

特別展ではなく常設展……総合文化展で観られる特集『近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-』に話を戻すと、これは室町時代の後期から江戸時代にかけての作品から……「これが『やまと絵』だよ!」というものが集められています。

では、各作品を観ていきましょう。

■これは観ておきたい! 渡辺始興の明るい《吉野山図屏風》

いつも屏風の秀作3作品が展示されている本館2階の7室。部屋に入って視界に飛び込んでくるのが、春の吉野山を渡辺始興しこうが6曲一双の屏風いっぱいに描いた《吉野山図屏風》です。

吉野山なんて、桜が咲いている時期はもちろん、咲いていない時期だって、わたしは行ったことがないのですが……この《吉野山図屏風》を目の前にすると、「日本だなぁ」っていう気がしました。

同作は所有権がトーハクにないもの……個人から預かっている作品ということで、残念ながら撮影禁止になっています。そのため素晴らしさを記すのは難しいのですが……構図や色相はとてもシンプルです。汁椀によそったご飯を逆さにして、中華チャーハンのようにパコッと皿に盛ったような形の、緑や黄緑の山々が連なっています。

その画面にいっぱいに配置された、パステルカラーのような緑系の色相と、やわらかい山容とが、なんとも気持ちを落ち着かせてくれるというか、観ていて優しい気分にしてくれるんですよね。背景は金箔が敷き詰められていますが……なんでしょうね……その金箔が「どうだ、すげえだろう!?」って見せつけるように感じられない、そういう下品な感じが一切せず、緑色の山々を映えさせるために金箔を使っているといった自然さを感じさせます。

この金地が緑色の山々を映えさせるという点について、もう少し続けます。それと関係があるのか素人のわたしには分かりませんが……金地は無表情で平面的、少なくとも立体感はありません。対して、緑系の山々は、少し離れるとベタ塗りのようにも思えますが、離れて見ると立体感とか質感と言うべきか……全体を見ると、山々にしっかりと表情があるように“感じられる”効果を出しているような気がしました。

さらに、その山々のところどころには満開の桜が描かれています。近寄って見ると一つ一つの花が緻密に描き込まれていて、散る花びらは描かれていないのですが、ひらひらと舞う桜の花びらが見えないけれど感じられ……寒い季節が終わったばかりの、春の澄んだ空気や、新緑の山の香りなどが漂ってくるような作品でした。

《吉野山図屏風》は、もしかすると、わたしが最も好きな作品に躍り出たかもしれませんw それだけ気に入ってしまいました。

■大好きな作者不詳の《武蔵野図屏風》がやってきました

その《吉野山図屏風》の隣に展示されているのが、《武蔵野図屏風》です。わたしがとても好きな作品というか画題です。手前のススキ野原の隙間から菊や桔梗などの花や月が覗き見られ、遠景には富士山をはじめとする山々を配しています。

昨年も同じ時期に、初めて観たんです。その時に感動したことをnoteにも記しているのですが……1年ぶりに対面しても「やっぱりいいねこれ」という感じました。

作者不詳《武蔵野図屏風》右隻
作者不詳《武蔵野図屏風》左隻

下の写真は、撮った画像を明るく修正したものです。部屋照明がそれほど明るくないため、実際には、もっと作品全体が暗く曖昧だった気もします。ただ、記憶色のようなものだと、すごく明るい絵のようにも思えるんです。

これは月だと記されていた気がするのですが…東京富士美術館が所蔵する《武蔵野図屏風》の説明書きには、『古く「万葉集」や「伊勢物語」にもその名がみえ、俗謡に「武藏野は月の入るべき山もなし、草より出でて草にこそ入れ」とある。一面を無数の秋草で埋めつくし、左隻に雲上の富士を、右隻に草の間に沈む月を配す。銀の顔料で描かれた月は、経年変化で黒く変色している。』と記されています。トーハク版に描かれている月も、銀の顔料で描かれているのかもしれません。これを銀色に再現した《武蔵野図屏風》も観てみたいなぁ。

おもしろいのは、トーハクに限らず様々な《武蔵野図屏風》が、江戸東京博物館やサントリー美術館、東京富士美術館などに所蔵されていますが、いずれも筆者が不詳という点。「オレが描いたぜ!」という主張が全くないんです。美術作品というよりも、工芸品というか、定番意匠として制作されたということでしょうか。

■俵屋宗達センパイの重文《関屋図屏風》

俵屋宗達《関屋図屏風》と言えば、静嘉堂文庫美術館所蔵の国宝《源氏物語源氏物語 関屋澪標(せきや・みおつくし)図屏風》が頭に浮かびますが、トーハクにも俵屋宗達の重要文化財に指定された《関屋図屏風》があります(知らなかった!)。

滋賀・石山寺に参詣する光源氏が、17歳の頃の恋人・空蝉うつせみに、10年ぶりくらいに逢坂の関で偶然再会する場面。光源氏の牛車に道を譲るために、牛車を停めて待つ空蝉うつせみの一行だけが描かれています。再会とは言っても、互いに牛車の中から出て逢瀬したわけではなく……でも逢坂の関だから実際はどうだったんだろう? というドキドキもありつつ……和歌を取り交わしたんでしょうね。ちなみに逢坂の関は、山城と近江の国境くにざかいにあった関所です。タイトルの「関屋」とは、関所の番小屋や、関所の建物のことです。

右側にゴチャっと要素が偏っていますが、画面の左側がスカスカなためか、全体としてはスッキリとした印象を受けて好ましいです。また、全体としてゴチャッと華美な静嘉堂文庫版の《関屋図屏風》よりも、要素を大胆に整理してあるため、とても落ち着いた雰囲気ですよね。トーハク蔵の《関屋図屏風》が普段使い用の屏風で、静嘉堂文庫美術館蔵の《関屋図屏風》がハレの日や祝いの日に使う屏風だったのかもしれません。

ちなみに屏風中央から左側にかけて、当時の公卿の烏丸光広さんが和歌……ではないのか……を記しています。

もうちょっとキレイに書いてあげてよ……とも思いますがw これはこれでOKだったんでしょうかw 以下のような文章が記されているそうです。

うち出のはまくるほどに
殿は粟田山こえたまひぬ
行と来とせきとめがたき
なみだをや
関の清水と
人はみるらん
みぎのこゝろをよみて
かきつく(花押)
をぐるまのえにしは
あれなとしへつゝ
又あふみちにゆくもかへるも

家を出てから長い時間が経ち、粟田山を越えてしまったのかなと思います。行くのも帰るのも、涙を止めるのも難しい。この涙は関の清水のようだ。人は私のこの気持ち、右の心(行くのも帰るのも辛いという気持ち)を理解するのだろうか。大車の絵に描かれたような、これからの未来はどうなるのだろうか。(by ChatGPT)

いやぁ〜、それにしてもトーハクは、明後日の火曜から特別展『横尾忠則 寒山百得』&特集『東博の寒山拾得図』が、来週末には特別展『京都・南山城の仏像』が始まり、10月11日には特別展『やまと絵』ですからね……毎週観に行っても、すべてを観て回れないんじゃないかと、今から心配です。また、この鬼のスケジュールで、トーハクの学芸員さんなどスタッフが疲弊しないか、そちらも心配ですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?