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この素晴らしい『武蔵野図屏風』の数々は、いったい誰が描いたの?

私は、東京国立博物館東博=トーハクでググッと来たものを、スマホや一眼カメラで撮っておきます。

博物館や美術館で写真を撮るという行為には、賛否があるかと思いますし、鑑賞しているそばで「カシャッ…カシャッ…」と聞こえてくると、イラッとすることもあります。ただ、私もそのイラつく気持ちが分かるため、撮ろうとしているものを、ジッと鑑賞している人がいる場合には、そのへやを一度出たり、無理のない範囲でその方から離れるようにしています。これは、撮る撮らないに限りませんね。先に鑑賞している方の集中を、できるだけ邪魔しないように、したいものです。

そうだ、展示品を写真に撮る撮らないの賛否について書いていたのを忘れていました。

賛否は分かりませんが、写真を撮ろうとすると、その対象物のどこをどうきれいに撮ろうかと、一瞬でも考えます。その一瞬の思考を経ることで、その作品がとても印象に残るようになります。美術館で、単眼鏡で作品を観ている人がいますが、あれと同じような行為だと思います。

<2021年9月21日>のことです。東博2階の屏風と襖絵が展示されている7室には、江戸時代に描かれた『武蔵野図屏風』が置かれていました。それを見た時に、ギューッと心を掴まれた気持ちになりました。

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『武蔵野図屏風』

武蔵野とは主に江戸の西部(東京都から埼玉県南部)にまたがる平野部のことです。広大なススキの原に雑木林が点在するという風情ある景色は、「万葉集」にも見えるなど古くから愛され、多くの和歌に詠まれました。本図はそのイメージを絵画化したものと考えられます。

文化遺産データベースより

『武蔵野図屏風』と題する屏風は、東博所蔵の作品のほかにも、国内各地に残っているようです。なぜだろう? と思っていたら、東博とは別の『武蔵野図屏風』を所蔵する東京富士博物館の、Google Arts & Cultureの解説に、次のように記されていました。

金箔地に秋の草花の萩、桔梗、菊、すすきなどが生い茂る野辺の広々とした情景が描かれている。左隻には雲上の富士、右隻には草の間に沈むように月が配され、「武蔵野は月の入るべき山もなし草より出でて草にこそ入れ」などと詠われた古歌の歌意を表した武蔵野図。この図様は、桃山時代から好まれて江戸時代にはパターン化され、他にもサントリー美術館所蔵の類型化した同様の作例が知られている。作者は不明だが、画風は江戸期の洗練された趣味を伝えて上品で美しく、デザイン感覚が光る。

Google Arts & Culture
東京富士美術館所蔵の『武蔵野図屏風』雲上の富士が描かれた左隻
東京富士美術館所蔵の『武蔵野図屏風』草の間に沈むように月が配された右隻

ちなみにサントリー美術館の『武蔵野図屏風』はこれです。

サントリー美術館所蔵の『武蔵野図屏風』
サントリー美術館所蔵の『武蔵野図屏風』

「行く末は空もひとつの武蔵野に草の原より出づる月影」(『新古今集』)など、数々の和歌に詠まれた武蔵野は、とくに近世に入ると屛風の主題として人気を博した。

サントリー美術館 解説

いずれの作品写真もデジタルカメラで撮られたものなので、実物とはずいぶんと印象が異なるだろうと予測できます。実際に唯一肉眼で観た東博バージョンのものを文化遺産データベースのWebサイトで観ると、全く印象が異なります。

それでも各館所蔵の『武蔵野図屏風』をPC上で見比べてみると、萩、桔梗、菊、すすきなどの見える度や、緑の濃さや明るさが違うのかなと思われます。

私が観た東博バージョンでは、次のような感じでした。

すすきと菊(キク科の植物)

すすきが、かなり密集しているうえに、緑色が明るくないためもあってか、菊なのか……が見えにくいです。

桔梗と菊

このすすきが密集した感じと、花がポツリポツリと隠れるように咲いている雰囲気に、良さを感じました。観ていると、心が落ち着く……なんていうと言い過ぎでしょうか。

ただ実際には、私はこのすすきに覆われた、屏風の下半分しか観ていなかった気がします。上半分の、下部よりもきらびやかな富士や多摩なのか秩父なのかの丘陵を、ほとんど見逃していた気がします。

行く末は
空もひとつの武蔵野に
草の原より出づる月影

新古今集

いま私が住んでいる場所(武蔵野)からは想像できませんが、和歌を詠みつつ『武蔵野図屏風』を観ると、かつての武蔵野の情景が思い浮かぶようです。

で、「数々の和歌に詠まれた武蔵野」っていうのに、どんな和歌があったのか、気になってGoogle検索してみました。すると、「むさし野」を題材にした和歌をリストアップしてくれているブログを、すぐに見つけられました。

で……『武蔵野図屏風』って、誰が書いたの?

ネットでしつこく調べてみましたが、そのことに触れているサイトやブログは見つけられませんでした。

これだけ何人もの人が描いた題材なのに……どの作品も作者不詳……しかも、それを誰も調べていないなんて……。もちろんネットで少し調べただけなので、きっとどこかの誰かが調べているとは思うのですが……。江戸時代なのだから、「この人かなぁ?」っていう思い当たる人くらいは居てもおかしくない気がするんですけどね。残念ながら今回は、そうした推測すら、見つけられませんでした。


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