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鎌倉北条氏から三嶋大社へ、さらに明治天皇からトーハクへ移った重文『北条太刀』

今日は東京国立博物館トーハクで開催されていた特別展『国宝 東京国立博物館のすべて』が終わって初めての週末でした。先週までの混んでいる状況が頭に残っていたので、混む前に行こうと午前中からトーハクへ行きました。すると拍子抜けするくらいに空いていました。それだけ特別展の経済効果を思い知らされます。

久しぶりに空いているトーハクをゆっくりと巡ってみると、本館の1階ではなく2階の地味な方の刀剣の間に『北条太刀』という愛称の《しつらえ》がありました。見れば北条家の|三つ鱗みつうろこの紋が入っています。隣には『太刀 号 北条太刀 福岡一文字』の刀身がセットが展示されていました。

左が『三鱗紋みつうろこもん兵庫鎖ひょうごぐさりの太刀たち』鎌倉時代・13世紀
右が重要文化財『太刀たち 号 北条太刀(無銘)』鎌倉時代・13世紀
いずれも東京国立博物館蔵

あまり根拠もなく「後北条氏」の「北条」だろうと思っていましたが、解説パネルには「北条氏が三嶋大社に奉納した」ものだと記されています。“後”がないということは、『鎌倉殿の13人』の方の北条氏なのでしょう。ということで、少し興味をいだいて調べてみました。

北条太刀については、様々なサイトで語られていますが、最も信用できそうな「文化遺産オンライン」に、詳細が記されています。それによれば、この太刀は、静岡県の三嶋大社に伝わってきた太刀とのこと。三嶋大社といえば、東海随一の神社であり、ここ関東でもよく聞く名前です。

三嶋大社の舞殿(手前)と拝殿(左奥)(Wikipediaより)

写真左側の刀身をおさめるしつらえの方には、北条氏の家紋「三鱗紋」が見られます。さらに、北条家が奉納したものと三嶋大社では伝えられてきため、「北条太刀」と呼ばれているそうです。

三鱗紋みつうろこもん兵庫鎖ひょうごぐさりの太刀たち』鎌倉時代・13世紀

しつらえの、太刀を腰に佩用はいよう(固定)するための帯取おびとりに、兵具ひょうぐ用の鎖を使っています。この「兵庫鎖太刀」の形式は、南北朝時代や鎌倉時代の公家や武家ともに好まれ、神社や寺院への奉納品としても用いられました。

ただし刀身には、製作者を示す銘が刻まれていません。以下は本当なのか素人には全く分かりませんが、「刀身の様式から福岡一文字派の作と考えられています」とあります。で、とりあえずこの福岡一文字派というのが鎌倉時代に、備前国びぜんのくに(今の岡山県南東部)の鍛冶を代表する一派ということもあり、この刀身が鎌倉時代のもので間違いないだろうと、思われているようです。

重要文化財『太刀 号 北条太刀』鎌倉時代・13世紀

ちなみにトーハクの刀身の解説パネルには『太刀 号 北条太刀 福岡一文字』と、無銘にも関わらず「福岡一文字派」によるものと、半ば断定しています。一方で、国立文化財機構のサイトである「e國寶」には、登録名が「中身 太刀 無銘伝一文字」だとあります。そのうえで、刀身の様々な特徴を列挙して、やはり「無銘ではあるが、備前国一文字派の作と考えられる」としています。

重要文化財『太刀 号 北条太刀』鎌倉時代・13世紀

そのe國寶の解説によれば「(北条太刀は)明治20年(1887)に静岡県の三嶋神社(現三嶋大社)から明治天皇が取り寄せたものである」とあります。

明治天皇は熱心な刀剣ファンで、各地を巡幸された時に、名刀を見て回っていたそうです。そうして三嶋大社の北条太刀も、同じく三嶋大社にあった「上杉太刀」と一緒に、明治天皇へ献上されました。

なお明治天皇がどれだけ刀剣好きだったかは、noteの『刀箱師の日本刀ブログ 中村圭佑』で、詳細が記されています。

e國寶の解説では「(北条太刀は)明治20年に静岡県の三嶋神社から明治天皇が取り寄せた」とあります。この「取り寄せた」という言葉が引っかかっていたのですが、Wikipediaを読んでいて、少しだけ意味が分かった気がします。Wikipediaの「三嶋大社」のページによれば、現在同社には重要文化財の「太刀 銘宗忠」が保存されています。この「太刀 銘宗忠」が、「明治20年に旧宮内省から三嶋大社に寄進されたもの」だそうです。

明治20年は、明治天皇が現国宝の「上杉太刀」と現重文の「北条太刀」を、三嶋大社から取り寄せました。そして同年に現重文の「太刀 銘宗忠」が、三嶋大社へ寄進されたんですね。明治天皇からの寄進ではなく、宮内省からの寄進だったのでしょうか。

ほかにも数百振の太刀が、明治天皇へ献上されています。現在、その多くは、個人的にはありがたいことに、トーハクの所蔵となっています。他にも上杉太刀や北条太刀のように、(言葉が悪いかもしれませんが)トレードされたものがあったかどうか、気になるところです。

また、福岡一文字派の多さにも驚きです。今回紹介した「上杉太刀(太刀 銘 一)」と「北条太刀(無銘)」、それに「太刀 銘 宗忠」も福岡一文字派です。その中で、「北条太刀」はなぜ製作者不明の「無銘」なのかが、とても気になります。特別に無銘が珍しいわけでもありませんが……。もし権力者の北条氏が、無銘の太刀を三嶋大社に献上するだろうか? と。製作者が無銘と決めたのか、それとも発注者が無銘が良いとしたのか? 謎ですね。

専門家の間では、無銘というのが不思議でも謎でもないのかもしれません。

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