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伊藤若冲や池大雅の“ゆる〜い”絵が見られる、新年の東京国立博物館

1月4日……新年になって初めて東京国立博物館(トーハク)へ足を運びました。混んでいたらすぐに帰ろうという心づもりだったのですが、行ってみると混んでいたものの、なかなか離れることができず、結局は家族と約束していた時間まで、めいっぱい見て回りました。

先日、『日本最大級の東京国立博物館の見どころ』というnoteを更新しました。更新時に数えてみると、現在トーハクに展示されている国宝の数は、ざっくりと23件。その中には正月におなじみの長谷川等伯の《松林図しょうりんず屏風》や、刀剣の《三日月宗近》もあるのですが、じっくりと見られませんでした。ということで、今回は、伊藤若冲や池大雅が描いた“ゆる〜い”絵たちをnoteしていきたいと思います。


■若冲の描いた色々なポーズの鶏

伊藤若冲と言えば、皇居三の丸尚蔵館が所蔵する京・相国寺旧蔵の《動植綵絵さいえ》が有名です。そんな色鮮やかな《動植綵絵さいえ》よりも、構成が整理されていて、落ち着いて見るのにちょうどいい作品《松梅群鶏図屏風》が展示されています。

《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(右隻)》
伊藤若冲筆|江戸時代・18世紀| 紙本墨画淡彩
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(右隻)》
伊藤若冲筆|江戸時代・18世紀| 紙本墨画淡彩

松梅しょうばい群鶏ぐんけい図屏風》は、タイトルのとおり、右隻に松、左隻に梅が配置された、新春にふさわしい屏風です。その中に何羽もの鶏……群鶏ぐんけいが描かれています。その鶏たちの姿がユーモラスなのですが、描いた伊藤若冲さんからすれば「見たママを描いたまで」とでも言いそうです。鶏って、こんな格好するのですかね。

《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(左隻)》

細部を右隻の右から左へと見ていきます。まずは右隻の右端に描かれた松。ここだけグワァ〜っ! という感じで力強く描かれています。おもしろい構図だなぁと感じるのは、右上には幹をメインに描いて葉が少ないのですが、その葉を描き足りなかった! というように右下からニョキッと松の最上部が出てきます。

《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》

ここらから下が左隻です。

《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》
《松梅群鶏図(しょうばいぐんけいず)屏風(部分)》

■生真面目そうな池大雅の笑顔の福禄寿さん

3年前くらいにNHKで『ライジング若冲』というドラマが放映されていました。伊藤若冲と大典顕常(だいてんけんじょう)、それに池大雅や円山応挙、売茶翁を描いたドラマなのですが……このドラマがおもしろかったんです。それで、わたしの中では、この時のキャラが、そのまま頭の中に残っています。池大雅は大東駿介という俳優さんが演じていたのですが……少し生真面目そうなキャラでした。そのためわたしの中の池大雅は、生真面目さんなのです。そんな池大雅が! トーハクに展示されている《寿星・此君・隠逸図》では、頭の大きなユーモラスな福禄寿ふくろくじゅさんを描いていらっしゃる。

《寿星・此君・隠逸図》池大雅筆|江戸時代・18世紀| 紙本墨画
植松嘉代子氏寄贈

クライアントに「見ていてもらい笑いしてしまうような、愉快な福禄寿さんを描いてもうてもええかぁ?」とでも言われたんでしょうか。池大雅さんも「生活費もうかなあかんし、しゃあない描いてみるわ」と応えて描いたのが、この《寿星・此君・隠逸図》です……というのは勝手な想像です。その想像とは異なり、もしかすると池大雅さんも、京都の人とはいえ、ノリツッコミの分かる人だったのかもしれません。

《寿星・此君・隠逸図》池大雅筆|江戸時代・18世紀| 紙本墨画
植松嘉代子氏寄贈

ちなみにさっきから「福禄寿」と記していますが、描かれているのは、関連しているのかしていないのか分かりませんが「寿星さん」です。

Wikipediaには「福禄寿はもともと福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神である。中国において明代以降広く民間で信仰され、春節には福・禄・寿を描いた「三星図」を飾る風習がある。」と書かれているので、まぁ関係はあるのでしょう。

その「寿星」の左右の掛け軸に描かれているのが、ここでは「此君しくん」と「隠逸いんいつ」です。それぞれ「竹」と「菊」の“異名”なのだそうです。特に隠逸いんいつ=菊の絵を見た時に、その柔らかな筆の運び方に、やっぱり上手な人だなぁと感じました。まぁ撮ってきた写真で見ると、どこに上手さを感じたのか、いまひとつピンッとこないかもしれません。解説パネルには「運筆や筆速の変化にご注目ください」と書かれているので、詳しくは説明できませんが、同じようなことを感じられたのかもしれません。

■臨済禅の中興の祖が描いた「布袋図」

ちなみに今回紹介する伊藤若冲と池大雅、それに白隠さんの《布袋図》は、同じトーハクの本館2階に展示されていますが、「ゆる〜い絵」としてグループ化されているわけではなく、バラバラに展示されています。

この白隠さんの《布袋図》については、作者と作品名、それに寄贈者しか記されておらず、「白隠さんって、どんな人だったんだろう?」とWikipediaで調べてみました。それで気がついたんです。この白隠さんと寄贈者との関係を。

《布袋図》白隠筆|江戸時代・18世紀|紙本墨画
植松嘉代子氏寄贈

白隠さんは、臨済禅の中興の祖と言われているそうです。生まれたのは、原宿(現・静岡県沼津市原)にあった商家の長沢家とのこと。以前、noteに記したことがあったのですが、この原という宿場町には、植松家という豪商が居たんです。そうです、この白隠さんの《布袋図》や、池大雅さんの《寿星・此君・隠逸図》を寄贈された植松さんです。

以前、noteした『藩主や将軍、皇太子がこぞって訪ねた沼津の名園』とは、この植松家の「帯笑園」のことを記しました。この時に「帯笑園があったから、藩主や将軍が訪ねた」と書いたのですが……まぁこれも間違いではないのですが、もしかすると白隠さんが葬られている松陰寺を一緒に訪ねるのも、原宿に立ち寄る目的の一つだったのかもしれません。

それにしても改めてさらっと調べてみると、植松嘉代子さんというか植松家からは、数々の優品がトーハクに寄贈されているんですよね……。

例えば今回の白隠さんであれば、《粉引歌》《楊柳観音図》《箒図》、円山応挙さんの《虎嘯生風図》《郭子儀携小童図》《龍唫起雲図》《双鶴図》《青松白鶴図》《障屏画下絵》《唐詩五言絶句「春曉」》、伊藤若冲さんであれば今回の《松梅孤鶴図》のほかに《松樹・梅花・孤鶴図》があり、池大雅さんの絵だと《菊花図》と《酔李白図》、書では《語》《一行書》《七言絶句》《唐詩五言絶句》《額字「造冶必猶此」》、呉春さんの《戴勝勧耕図》《関羽図》、曽我蕭白さんの《牽牛花(朝顔)》《葡萄栗鼠図》《山水図》、狩野山雪さんの《猿猴図》、源琦さんの《潘妃図》、円山応瑞さんの《鯉魚図襖》、狩野伊川院〈栄信〉さんの《琴棋書画図屏風》、長沢芦雪さんの《寒山拾得図屏風》、それに中国の陳子和さんの《花鳥図》……こうして並べてみただけで、ものすごい数ですが、もしかすると展示されていない作品もあるかもしれないので、寄贈された総数が、どれだけなのか……。いつか『旧植松家コレクション』として特集が組まれると思いますが、一気に見られたらよいなぁと思います。


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