Hajime Yamazaki(山崎元)

経済評論家の山崎元です。日頃原稿に書かない話題も含めて、時々に書きたいと思ったことを書…

Hajime Yamazaki(山崎元)

経済評論家の山崎元です。日頃原稿に書かない話題も含めて、時々に書きたいと思ったことを書いてみたいと思っています。ご愛読頂けると幸いです。

最近の記事

「癌」になって、考えたこと、感じたこと(5)

 さて、客観的に「持ち時間」を予想し、これに対応して、一方で「希望」も捨てないことが、共に重要だということが、もともとの筆者の主張であった。  この考え方は、幸福の追求がぎりぎりまで出来ること、と「人生の通算成績」は死後に持って行くことは出来ないということの二つの強力な事実によって支えられている。  とは言え、「予想」される持ち時間が、急に短縮されてしまった場合にこれにどう向き合うかは精神的にもハードな作業だ。  筆者は、先ず2023年の3月に再発が分かった時に余命平均ベース

    • 「癌」になって、考えたこと、感じたこと(4)

       今回は、癌に罹り、進行することで見えて来た、物、仕事、人間関係などの必要・不必要について書く。論理の筋立ては見えていて、一つには時間的な制約、もう一つには体調・体力的な制約によって、主にそれまで抱え込んでいたものの中で不要になったものがどんどん見えて来たということだ。  ところで、この原稿を書くにあって、こちらの事情で遠ざけた仕事や人間関係の当人や関係者が読者の中に混じっている可能性について考えなければならない。これは、率直に言ってかなり気の引ける事情だ。  この点について

      • 「癌」になって、考えたこと、感じたこと(3)

         しばらく間が空いた。もう死にそうになっていて、原稿は書けないのかと思われるのはまだ不本意だ。しかし、本当に死んでしまうと原稿は書けなくなるので、もっと困る。続きを書くことにしよう。  今回は、癌の治療コストとがん保険について書くことにする。幾らか専門のお金の話なので、他の回よりも気楽に書ける。 <治療費を幾ら負担したか>  癌に罹ったという話をすると、いつどうやって癌が分かったかという質問(なぜかこの質問が圧倒的に多い)の次くらいに多いのは、がん保険はどうしていましたか

        • 「癌」になって、考えたこと、感じたこと(2)

          <3カ月遅れの取材記事掲載>  このシリーズの序説とも言うべき初回に、あるメディアの取材を受けたけれども、その記事が公開されていないという話を書いた。その取材からは3カ月が経過したのだが、記事の公開が始まることになった(全5回の予定だ)。  記事の公開が遅れた理由は、ほぼ私の推測通りだった。取材した記者の奥様が、癌に罹っていて症状が深刻であり、看病・介護・看取りなどで記者さんが忙しかったのだ。プロの仕事として「連絡無し」は感心しないが、許すことにした(許さない場合、私は記事

        「癌」になって、考えたこと、感じたこと(5)

          「癌」になって、考えたこと、感じたこと(1)

           〜発病の経緯と検査について考えたこと〜 <癌発見の経緯>  2022年の6月くらいから、喉の調子が今一つだと感じていた。不調だと感じた部位は喉の少し奥と、耳の下のリンパ腺の辺りだった。細菌が感染しているような感覚だったので、近所の内科医院を受診した。コロナが問題の頃であったせいだろう。医師は、一切私に触ろうとせず、おそるおそるライトで私の喉を数秒照らしただけで、「抗炎症剤を出しておきますので、様子を見てください」と言った。  10日くらい経って、悪くもならないけれども改

          「癌」になって、考えたこと、感じたこと(1)

          「癌」になって、考えたこと、感じたこと(0)

          〜我が癌の記、その0、「序章」〜  私は、2022年の夏に食道癌が見つかった。その後、治療を受け、現在に至っている。診断が確定してから一年が経過した。 癌は人がよく罹るありふれた病気だし、私の癌が特別なものだったわけではない。また、私は医師や医療ジャーナリストのような医療の専門家ではないし、特別な治療によって癌がすっきり治ったというような体験を持っているわけでもない。  だが、癌についてネットに記事を書いてみると意外なくらいよく読まれるし、時には、癌について話して欲しいとい

          「癌」になって、考えたこと、感じたこと(0)

          インデックス投資ナイトのスピーチ原稿

           インデックス投資家が年に一度集まる「インデックス投資ナイト」というイベントがある。今年は7月8日に渋谷のカルチャー・カルチャーで行われた。毎年人気を博していて、チケットは売り出し後数分で完売になる。  私は、ありがたいことに毎年登壇者として声を掛けて貰っているが、今年は体調の問題を考慮して、いつものパネルディスカッションではなく、10分プラスαの予定で単独スピーチの時間を貰った。  今回は、その際のスピーチ原稿として用意した文章をご紹介する。時間がタイトな場合の10分用の内

          インデックス投資ナイトのスピーチ原稿

          10代の頃、私を作った3冊の本

           先日、音楽家の坂本龍一さんが亡くなった時に、彼に関連する記事を何本か読んだ。心に引っ掛かった一節が見つかったのは、娘さんでミュージシャンの坂本美雨さんへの朝日新聞のインタビュー記事だった。美雨さんが、若い頃に「一流」を求める父に反発を感じたことがあったというエピソードの中のものだ。親子のやり取りは大半がメールだったという。  美雨さんが言う、 「同じころにもう一通。『僕が今、つくっているものの98%は、10代で吸収したもので成り立っている』と。彼には、私が大事な時期を有意義

          10代の頃、私を作った3冊の本

          幸福の決定要素は、実は一つだけだった

           たいていの人間は幸せでありたいと願う。では、幸せを感じる「要素」あるいは「尺度」は何なのか。既に、多くの人がこの問題を考えている。  私は、このほどこの問題に暫定的な結論を得た。人の幸福感は殆ど100%が「自分が承認されている感覚」(「自己承認感」としておこう)で出来ている。そう考えざるを得ない。  現実には、例えば衣食住のコスト・ゼロという訳には行かないから「豊かさ・お金」のようなものが必要かも知れないが、要素として些末に見える。また、「健康」は別格かも知れないが、除外す

          幸福の決定要素は、実は一つだけだった

          『資本論』のマジックはどこにあるのか?

           ここのところ、個人的な関心と、後には仕事の都合もあって、マルクスの『資本論』及び資本論に関係する書籍を何冊か読んでいる。今回は、資本論のマジックとも言うべき箇所がどこにあるかについて書いてみたい。  遊園地の幽霊屋敷で、間違って照明のスイッチを入れて「正体を見てしまった」ような心境になったのだ。  さて、カール・マルクス及びその著書である『資本論』は独特の影響力を後世に及ぼしている。  偉大な経済学者として、スミス、マルクス、ケインズ、と3人を並べて違和感がない。それぞれ

          『資本論』のマジックはどこにあるのか?

          サルトルの哲学とミクロ経済学

           高校生時代の3年間、私は、サルトルを熱心に読んだ。クリーム色でソフトな表紙の、人文書院のサルトル全集の感触が懐かしい。当時、世界と人生を考えるための理論が欲しいと思った。この年代によくある月並みな動機である。サルトルを選んだのは、無神論と実存主義の組み合わせが気に入ったからだ。  当時は1970年代なので、世界の思想界でのサルトルの評判は既に低落していたが、気にしなかった。構造主義にはまだ気がついていない。代わりにミシェル・フーコーでも読んでいたら、時流に乗った大学生になれ

          サルトルの哲学とミクロ経済学

          山崎元の母の教えをご紹介します

           息子は母親の影響を強く受ける。息子と母親の関係は難しい。私の場合もそうだった。  母・山崎明美は昭和10年生まれで、私は昭和33年に生まれた長男だ。母は、旭川西高等学校を卒業して、ほんの少しだけ働き、ほどなく結婚した。地元の国立大学に進学できる学力が十分にあったと思われるのだが、学歴嫌いの父親に忖度した。時代とはいえ、惜しいことだった。  父親は家具商や証券会社などを作った商売人で、母方は豊かだったとはいえ農家の出なので、良家の子女ではない。だが、性格的な質は間違いなく「お

          山崎元の母の教えをご紹介します

          私のミッション・ステートメント

           有名な企業の多くに、会社のあるべき姿を言語化した、「社訓」、「ミッション・ステートメント」、「バリュー」、「行動原則」、などと呼ばれるものがある。  会社が急には潰れない程度まで育って余裕を持ち、経営者が社会的な自意識を全開するようになると作りたくなるものなのだろう。そうしたニーズを、経営者の周囲にいる経営茶坊主たち(「経営企画室」、「社長室」などに棲息する生き物)が見逃すはずもないし、彼らを顧客とするコンサルタントにとってもいい商売材料だ。  あれは、個人にもあった方がい

          私のミッション・ステートメント

          「しらけ世代」の私の男女平等感覚を反省してみる

           街には、美人が一人もいない。もちろん、ブスもいない。多様な個性がキラキラと輝いているだけだ。目を開けて歩くと、眩しくて目が潰れそうになる。  上記は、諦めに近い心境を皮肉交じりに書いてみた「遊び」だが、これが、noteでぐらいならぎりぎり許されると思っているのは、私が公的に高い立場にいないからだ。「女らしさ」について語るのも今や地雷原を歩くに等しい。現在、女性を容姿で評価することは厳に慎まねばならない。  男性に関しては、イケメンなどという言葉はまだ流通している。だが、「

          「しらけ世代」の私の男女平等感覚を反省してみる

          「経済評論家の父が息子に伝えた、お金の稼ぎ方・増やし方とは?」

           書籍のタイトルを考えてみた。いかにもありそうな書名で、似たテイストのものが既に複数あるにちがいない。  もの欲しげな、率直に言って少し下品に思えるタイトルだ。私は自分の本に使いたいとは思わない。しかし、編集者との話が煮詰まって疲れてくると、「このタイトルが売れると思います」と説得されて、これに決めてしまうかも知れない。  そうなると困るので、noteに要点を書いて、このテーマを手放してしまうことにしよう。世はコスパ(コスト・パフォーマンス)、タイパ(タイム・パフォーマンス)

          「経済評論家の父が息子に伝えた、お金の稼ぎ方・増やし方とは?」

          山師と株屋の孫として。「私の履歴書風」の我がルーツ

           日本経済新聞の名物に「私の履歴書」がある。功成り名を遂げた人物が一ヶ月にわたり自伝を連載する(注1)。多くは記者が取材して書いた文章に本人が手を入れたものだろうが、登場者はおしなべて上機嫌だ。  功も名もない私が登場できる場所ではない。「日(を)経(た)新聞」と言うぐらいだから、古い話がよく似合うね、と嫌味の一つも言ってやりたいところなのだが、あの種の自分語りはいい気分のものではないかと想像される。noteに自分で書くのなら許されるのではないか。「私の履歴書」第一回のつもり

          山師と株屋の孫として。「私の履歴書風」の我がルーツ