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自分の心が気持ちいい方へ

まーたインフルエンザにかかってしまった。
そのせいで、週明けまで心身ともに低空飛行だった。

昨年12月はA型。1月はコロナ。
先週月曜から喉が痛く、咳もあったため怪しいと思っていたら、案の定水曜の午後がっと熱が上がった。
誰か呪詛でもかけてるのか?(「光る君へ」の観すぎ)

A型もコロナも39度台まで熱が上がった。今回は土曜にようやく37度前半まで落ち着いた。

病み上がりの日曜は、ようやくパジャマから普段着に着替え病院の領収書や洗濯物を片づけた。
やっと半分くらい日常に帰ってきた気がする。

私がダウンしている間のあれこれや息子の世話は夫がしてくれた。
コロナのときは私が発症した翌日に夫もかかり、早めに回復した私がそれなりにこなしたはずだ。

熱が下がったら今度は咳が出始めた。
透明で粘っこいたんが出る。
コロナのときと同じなため、「インフルとの複合型か?」と夫が渋い顔をしていた。
同時感染はまれにあっても、菌が複合するなど聞いたことがないのだが。

インフルのせいで、結婚記念日のデートも、長年の年上の友だちとのランチも軒並みキャンセル。
ろくに外出もできず、読書やゲーム、手帳を書くこともままならなければ、いやでも心がささくれ立ってくる。悩みごともこんがらがってくる。

月曜は夫と息子を送ってから、何もやる気になれなかった。
とりあえず手帳を書こうと自室にこもる。

音楽でもかけて気分を変えようと、先日のイエモンの配信を思い出してアルバムを通しで流した。
いくらか気分は変わったけれど、まだうつうつとしている。

しつこいくらいにぐるぐると渦巻く黒いもやの外側で、ある記事がもう一度読みたくなった。
ネットのブックマークから「北欧、暮らしの道具店」のWebサイトへ飛ぶ。

フリーの編集者でありライターの、一田憲子さんのインタビュー記事。

年始になると、皆こぞって「目標」を立てようと声高に訴えるのが苦手だ。
目標を立てること自体より、「年明け=目標設定」みたいな、安直な考え方が好きではない。
そんなにみんな同じことをして楽しいのか?

すぐに突っぱねてしまう、ひねくれ者の私は、柔らかい口調で確固たる自分の意思を語る人をうらやましく思う。

一田さんはインタビューで、このように語っている。

苦しいのは嫌だから、自分の心が気持ちいい方へ。

多分、この一文をうっすら覚えていて、自然と求めていたのだろう。

自ら悩みを根深いものにして、苦しんでいることに気づいた。

誰が命令した訳でもない。いつも私は自分で自分を縛りつけている。

身体も心もつらいなら休んで、好きなことをすればいいのに。

自分の心が気持ちいい方を選べばいいのだと思えると、実家のご飯を食べたときのように、身体も心も余計な力が抜けた。

昼前に大河ドラマ「光る君へ」の録画を観て、ぽろぽろと涙をこぼした(感想は後日)。
家事はそこそこに、YouTubeでギャル語の源氏物語の動画を観て声を上げて笑ったり、清少納言についての動画をじっくり観たりして過ごした。

早めにぐっすり休んだのもあり、今日は大分心身ともに回復した。
今週も無理かも、とあきらめかけていたWebマガジンの作業も進み、間に合わせられそうだ。

自分の心が気持ちいいほうへ。
苦しいほうへ縛ってしまいそうなときは、思い出せるようにしたい。

誰がなんと言おうと、それが本来、人間の自然な在り方なのだから。


※ヘッダーはぷんさんからお借りしました。いつもありがとうございます。

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