見出し画像

のんきでいられる家

いつの間にか、実家で過ごした年月より地元を離れて暮らした年月のほうが上回ってしまった。

親と祖母、妹と5人で暮らしていたあの頃、家はシェルターだった。
気難しかった祖母は休みがちな私にいい顔をしなかったけれど、家にいるときだけは、10代特有の狭苦しい社会から外れて生きることを許される気がした。

愛着のかけらも残らない高校を卒業して、ちいさな学生寮で新生活が始まった。
新社会人の頃、ケンタロウさんの料理本を相棒に自炊に励んだ1DKのアパート。
妹と喧嘩したり、肩を寄せ合ってニコニコ動画に爆笑したりした駅近のマンション。
あの頃通ったカレー屋は未だに繁盛している。

結婚後も何度か引っ越しをして、現在の定住地に落ち着いた。
その間も、実家に帰らない年はなかった。
息子の顔を見せるためでもあるし、育児ノイローゼがひどくて私だけ帰省するなんてことも、2回あった。

10月中旬、久しぶりに1泊2日で帰省した。
お盆にも帰省していたのだが、黙って居間のソファに座っているだけで意識がもうろうとしてくる。扇風機を3つフル回転させていても、サウナのほうがましだったんじゃないだろうか。

今回は玄関先に雪虫が飛び交う季節だ。幸い回すのはサーキュレーターだけで済んだ。

帰省するたびに、確実にみんな年を取っていると感じる。

口数の少なくなった祖母が「畑のとうもろこしが綺麗さっぱりなくなった」と打ち明けてきた。
お盆に帰ったとき「初獲れだ」と食べさせてくれた、しゃくしゃくのにじみ出るような甘さのとうもろこしが、茎ごとさらわれてしまったのだという。

祖母は長年畑でじゃがいもやかぼちゃを作っては、袋いっぱいにくれた。
近年は「疲れた」と言ってやめてしまい、まだとうもろこしは育てているのだと知って嬉しかったのに。
祖母は被害届も何も出さないという。心の中で盗んだ奴に天誅、と毒づいた。

父は帰省した日の昼食後必ず、私と夫にコーヒーを淹れてくれる。
ところが今回は、お湯を沸かさずアイスコーヒーを出してくれた。
「無糖だと思ったんだけどな」。甘ったるいコーヒーだった。
今度はおいしいドリップコーヒーを手土産に持っていって、私が淹れよう。

母は家族のなかで1番お喋りだ。
私が録画し忘れたドラマ「きのう何食べた?」を観ながらはしゃいだり、一緒にTBSの「オールスター感謝祭」を日付が変わる頃まで観たりした。
それでも、帰省するたびにいつも咳をしている。
コロナ禍が終わっても、美容室に行かず髪を伸ばしている。ドラゴンボールのタオパイパイより長い三つ編みおさげだ。

年月の流れは否応に感じるけれど、いまでも実家は私のシェルターだ。
息子と一緒にお風呂に入り、エビスとかわはぎで一杯やりながらテレビを観て寝る。
布団で寝起きして、朝は焦げつきだらけのトースターで食パンを焼き、昼まで各々好きなことをして過ごす。
帰省した2日目は、SNSすら一度たりとも開かなかった。

だけどふと、5年後、10年後のことを考えるようになった。
漠然とした、ブラックホールのように渦巻く不安。
ずっと同じままの実家でないことくらい、分かっている。
来るべきときが来たら、私たちはできる限りのことをしなければいけない。

でもいまは、先のことを悲観したくない。
せわしない社会から距離を置いてのんきでいられるあの家と家族に「またね」を残して、自分の暮らしに戻っていく。


※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。

この記事が参加している募集

#これからの家族のかたち

11,329件

サポートをいただけましたら、同額を他のユーザーさんへのサポートに充てます。